其の拾伍

 鍛冶場の天幕から出たミキに向かい、何故かマデイが飛ぶように駆けて来た。

『ガイルがこ~んなに目を吊り上げて呼んでいるぞ』と、両手で目じりを釣り上げ機嫌の悪い奴隷頭の様子を教えてくれる彼は、そんな相手に怒鳴られて使いっぱしりにさせられたのだ。


 説教か拳骨かそれとも両方か……ミキは覚悟を決めた。




「確認が取れた。シュバルは正式に六日後の最終日、最終試合でお前とイルドを舞台に上げる」

「はい」

「本来のお前は違うんだが……通例に基づき、本日よりお前の奴隷としての仕事は免除される。それと食事は戦士たちの天幕で食べられる」

「はい」

「それと……シュバルから先払いの許しが出た。これがその金だ」


 ガイルが握っている布袋を受け取ったミキは、その重さに戸惑った。

 視線で相手の許可を得て、閉じ口を開いて中を見る。


「通例では、先払いは銀貨15枚でしたよね?」

「その通りだ」

「ならこの金は? いくらなんでも多過ぎる」

「……どこかの馬鹿な雑用の給金から、毎回一枚ずつ抜いていた結果だ」

「……」

「舞台に上がらない馬鹿は、いつかここを出て行くだろうと思ってな……余計なことをしたって訳だ」

「いえ。本当に助かります。ありがとうございました」


 深々と頭を下げるミキに、ガイルは面白く無さそうに鼻を鳴らした。

『余計なお節介も今日までだ。これからは自分の手を離れる馬鹿に餞別でもくれてやろう』と、そう思い急いで準備した荷物をミキに放り投げる。

 慌ててそれを受け取った彼は、ガイルに顔を向けた。


「これは?」

「最終日の最終戦の舞台に上がるのに、その格好と言う訳にもいかんだろう。俺が着なくなった服があったから持って来ただけだ」

「重ねてありがとうございます」

「ふんっ! お前が女を取り合ってイルドに喧嘩を売るとは思わなかった」

「俺もです」

「ふんっ!」


 本当に面白く無さそうに鼻を鳴らして、ガイルは背を向けた。


「試合前に最低限の礼儀作法は教えてやる」

「はい」

「……勝てるのか?」

「ハッサンの仕事次第です」

「ならお前の勝ちだな。アイツの仕事に間違いは無い」


 ズリッズリッと片足を引き摺り、彼はミキの前から離れて行った。

 受け取った荷物……新品の服を見つめ、彼はもう一度深く頭を下げた。

 厳しかったが、父親代わりに自分に接してくれた相手に対してだ。




 イルドとの一件から、時間の進みがもの凄く早かった気がする。


 夕食はクックマンの天幕で済ませることにした。

 彼は最後までイルドに喧嘩を売ったことを嘆いていたが、ミキが頼んだちょっとしたお願いを全て承諾してくれたので一安心出来た。


 ミキが不安に感じたのは試合までの生活だ。


 舞台でミキを血祭りにとも燃えているイルドは心配無いが、その取り巻きが何をして来るか読めない。

 興奮しやすい駆け出しの彼らは、"自発的"に良からぬ行動を起こすことが過去何度もあった。

 特にイルドを慕う者たちは血の気の多い者が多数いる。


 その様な者たちがミキを見たらどう思うか?


 イルドが負けるとは微塵も思っていない。だが彼に噛みついた事実は決して面白い話では無い。

 嫌がらせ程度で済めばいいが……身の危険すら考えておいた方が良いとミキは判断していた。

 だからクックマンに頼んだのは、試合までの食事と寝床の確保だ。


 クックマンの商隊は、シュバルの一団とは明確に線引きされて滞在している。

 奴隷が女を買う時などは、当たり前だが夜だ。その時は馬車が向こうに出向き商いが行われる。

 それだけに彼の商隊に居れば、向こうからこっちに来る者は少なからず"怪しい者"として護衛が対応する。食事もこちらの物を食べていれば、一服盛られる心配も無い。


 そしてクックマンにもう一つ頼み、得た物がある。


 手の中に在るそれを見つめミキは軽く指で弾いた。

 キィィィンと響く音を発して宙に舞ったそれは、金貨だ。

 今まで遊ぶこと無く貯めて来た給金と、ガイルから受け取った先払いの金。それにクックマンから今までの謝礼として受け取った金。

 全てで金貨3枚。それがミキの全財産であり、今回の計画の要だ。


 ゆっくりと息を吐き、ミキは何と無く空を見上げた。

 夕闇の中に浮かぶ二つの月が煌々と輝いている。


 ああ綺麗だな……とこの世界に来て初めてそう思った。そう思えた。


 あの日あの時、自分は腹を切って死んだはずなのだ。

 だから今までずっとどこか頭の隅で、現状を夢幻の一部だと思っていた。

 死ぬ前に見える摩訶不思議な夢。

 いつか終わるなら、夢から覚めるなら……何もしない方が良いのかとも思っていた。


 でもそれは無理だった。


 気持ちは自分の剣の限界の更に向こう側を望んでいた。

 義父の様に剣のみで生きる生活は、自分には無理だと思っていた。

 それでも望んでしまうのは……義父に対して強い憧れと、それを越えたいと思う気持ちがあればこそだ。


「そうか。俺は越えたかったんだな……」

「何をですか?」

「越えられないと決めつけていた高い頂を」


 ゆっくりと視線を降ろすと、彼女は居た。


 初めて会った時と同じ布一枚の様な服を着て……抱き付かんばかりの距離まで近づき、こちらの顔を見上げるようにして見つめていた。

 ちょっと顔を動かせば、その薄い桜色の唇を奪えそうなほどの距離だ。


「どうしてあんな馬鹿なことをしたのですか?」

「どうしてだろうな」

「人を殺したくないから舞台には上がりたくないと言ってました」

「言ったな」

「ならどうして!」

「……解らないよ。本当だ」

「解らないのに上がるのですか?」

「ああ」

「命がけの場所に?」

「そうなるな」

「貴方は馬鹿なのですか?」

「お前ほどじゃないと思うぞ。イルドに『もうすぐ死ぬ』とか言うから」


 彼女は後ずさる様に一歩後退した。


「仕方ありません。彼は死にます。ミキが勝てば絶対に……そうなのでしょ?」


 どこか伏目がちな表情で、レシアはゆっくりと彼から顔を背けた。


「気に病むな。俺が勝手にすることだ……お前は何一つ悪くない」


 そっと伸ばした手で相手の頭撫でてやる。

 目を弧にした彼女は……本当に嬉しそうな表情を見せた。




(C) 甲斐八雲

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