其の拾陸

「お前って奴は……サラッと器用にこなすから腹が立つ」

「褒められていると思っておきます」


 最終日当日。ミキはガイルから舞台の上での作法を一通り習った。

 暇な時など試合を見ていたから大半は知っていたことだが……改めて習うと、見逃している個所が何個かあるのを知った。


「お前が見逃してるんじゃない。面倒臭いからやらない奴が多くなっただけだ」

「それを聞いてどう思えば良いのか」


『全く最近の戦士共は……』と愚痴を吐き出しているガイルを見て、ミキは内心緊張が解けた気がした。

 命の取り合いをすることに対しての緊張は、正直少ない。

 だがマデイが頑張り過ぎたのか、イルドの人気を甘く見ていたのか……本日の興行は満員となり、特別に通路や階段にまで客を入れる事態となった。


 何より有料の席が満員になったのが余程嬉しいのか、足取りも軽いシュバルが……天にも昇る勢いで、クックマンの元へと走って行くのをガイルが見たそうだ。

 先代ムジュアから支えてやって欲しいと頼まれた息子なだけに、彼の心中は穏やかでないのだろう。


 しかし有料席が満員ともなれば、賭けに金を落とす者が多くなるのもまた事実。

 そしてこれほどの客を前に試合をしたことの無い戦士たちにとって、本日は名前を売る絶好の見せ場と判断した結果……力み過ぎや空回りなどで番狂わせな試合が多く発生している。


 出番まで待機しているミキと、隣でブスッとした表情のガイルは……観客がどっと沸いた歓声に何となくため息を吐いていた。


「また番狂わせか?」

「これほどの客を前に平常心を保つ方が難しいんでしょうけど」

「それでも確りと仕事をするのが戦士の務めだ。本当に最近の若いのは……」


 ブチブチと愚痴が始まったので、ミキは目を閉じて自分の鼓動に耳を傾ける。

 大丈夫だ。心臓は早ってなどいない。心身共に万全の状態だ。


「ミキ。少し早いが着替えてしまえ」

「出番はまだ?」

「違う。服を着て、服に馴染んでおけ」


『そんなことにも気が回らないのか?』と相手の目が物語っていた。

 折角貰った新品の服を汚すのも悪いと、試着などしていなかった。

 相手の忠告を素直に受け入れミキは服を脱いで、ガイルから貰った服を広げた。


「いきなり着るな馬鹿者が」


 下着姿を晒す趣味の無いミキではあったが、ガイルが濡れた布を準備しているのを知り素直に受け取る。

 全身を丁寧に拭き……背中は老いた奴隷頭様直々に拭いて頂く。ゴシゴシと乱暴に拭く布が正直痛い。


「あの時の餓鬼がこんなにも大きくなって……背丈なんて俺以上だ」

「ガイルが老いて縮んだだけさ」

「はんっ! 笑えない冗談だ」


 拭き終えた相手が一発背中を張って来た。

『パン!』と、容赦ない痛みがじんわりと背中を伝う。


「覚悟は出来てるな」

「はい」

「……何の覚悟だ?」

「……人を殺す覚悟です」

「なら良い」


 改めて新品の服に袖を通し、ミキは丁度良い具合に驚いた。

 基本的には白を基調とした色合いの服だ。ただやはりズボンと言う物はどうも馴染めない。

 何度か足の動きを確認するが、それほど不自由には感じられなかったので我慢する。


「残るはハッサン次第か」

「……そうですね」


 ガイルはここからは見えない鍛冶場の天幕がある方へと視線を向けた。

 あの日……"刀"を頼んだあの日から、鍛冶場から金槌を振るう音が一度として止んだ時は無かった。

 きっと今も鍛冶師たちが総出で金槌を振るっているはずだ。


 そのおかげで他の者の武器や防具にしわ寄せが出ているのをガイルから聞いて、ミキは何も聞かなかったことにした。

 自分が原因だと知られれば余計な恨みを買いそうで怖かった。


「ちょっ……通してくれ。俺はミキに頼まれて。ミキ~!」

「済まん。通してやってくれ」


 戦士の待機場に乱入して来た奴隷が一人、護衛の手によって追い返されようとしていた。

 いつも通りにマデイだ。今朝頼んだ物をようやく買って来れたのだろう。


「最終戦の売り場が凄いことになってたぞ?」

「解っている。だからお前に頼んだんだよ」

「何だよ。俺がこんなにくたびれるのも計算の内かよ」


 ガクッと肩を落としてやって来た彼は、懐からゴソッと紙の束を取り出した。


 それを見たガイルは、目を見開きギョッとする。

 試合の賭けは勝者を当てる物だ。そしてマデイが持っていた物は全てミキの勝ちに賭けた物だった。


 闘技場で戦う者は自分の勝ち札を買うことを許されている。対戦相手の札を買うのは、八百長行為の元になりかねないので基本禁止されている。それでも誰にも気づかれない様に買う者も僅かに居るが、もしその行為が試合前に発覚すれば……その対戦においての決着は対戦相手の『死』のみとなる。


 今回ミキは自分の勝ち札を買い漁った。その行為に問題は無い。ただ買った枚数が半端無いのだ。


「どれだけ自分を買ったんだミキ?」

「有り金の全て。金貨3枚分だ」

「……マデイ。今の賭け率は?」

「999対1でイルドだ。その1だってそれ以下が無いから、仕方なく表示しているってやつだって発券の奴らが言ってた。金貨3枚分も買ったから変に感謝されたよ」

「偏り方が酷いからな……それほど偏った売れ方をしているのなら、今日の売れ行きからすれば金貨数千いや万もあり得るな」


 もしミキが勝つとなれば、恐ろしいほどの金額が生じかねない。


 ただの奴隷がイルドに挑む……それはつまり賭け札を買う者からすれば、一方的な殺戮と言う祭りを楽しむ日だ。

 イルドを応援する者たちはその見世物に対して大金を放り込んでいるのだろう。この闘技場があるハインハル王国は、政治に興味の無い国王のせいで地方に住む領主や貴族たちが私服を肥やしている。大金を持つ者たちはイルドの札をどれだけ買ったか張り合っているのかもしれない。見栄の為だけにだ。


 ガイルはハッとしてミキを見た。


「お前は最初から計算していたのか? イルドとの試合を最終日の最終戦に指定したのも……盛り上がり大金が動くのを待つために」

「戦いとは戦う前から始まるものだと昔に習ったんでね」

「……まさか今日まで舞台に上がらなかった理由は?」

「それは買いかぶり過ぎだ。ただ舞台に上がる時はこうしようと考えていた。もし計算違いがあるなら……ここまで客が集まったことと、シュバルが余計なことをするかもしれないという不安くらいかな」

「不安だと?」

「ああ」


 受け取った自分の賭け札を布袋へ納め、ミキはそれを腰に巻き付けた。

 流石にこれほどの財産だ。勝負が終わった時に目の色を変えるものが出てくるかもしれない。




(C) 甲斐八雲

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