其の拾参
クックマンの声が止まった。
繰り返し発した値引きがついに止まったのだ。
限界まで下げたのだろうが、それでも買い手は付かない。
それをミキは、何とも言えない気持ちで見ていた。
解っている。ここで売れ残ったとしても、いつかレシアは売られるのだ。
自分の目の届かない場所へと連れて行かれて……その後がどうなるのかなんて分からない。
そもそもクックマンも売れるとは思っていないのだろう。最初に彼はこう言っていた。
『たぶん売れないから娼婦にする』と。
そうなればここで買われるよりか、もっと酷い扱いを受けることになるかもしれない。
自分はその可能性に気づきつつ、どうしてこんな馬鹿なことをしたんだ?
食事の度に"シャーマンが居る"などと噂話を流し続けて?
分からない。自分が本当に分からない。
買い手が付かないと判断したクックマンが、取引を終えようとした時だった。天幕の外で、怒気を含んだ騒ぐ声が響いた。
その声に最初に反応したのはミキだ。自然と腰に手が伸び……そこに無い刀を抜こうとしていた。
一番恐れていた事態だ。
『アイツが来た』と心の中で呻いた。
乱暴に開いた天幕の布を掻き分け……その男が入って来る。イルドだ。
身長も体格も団の中ではスバ抜け、その力は化け物並とも言われるほどだ。
舞台に上がればその荒々しく乱暴な戦い方に観客が湧く。
だが舞台を降りても彼の荒々しさは止まらない。
何人もの男性奴隷を殴り殺し、そして買った女を何人も絞殺した男だ。
人気があるだけにシュバルも何も言えない。
それに殺した奴隷の代金も納めるから問題にもしない。
女に関しては全て彼の"所有物"だ。
昨日試合に出ていたから、いつもの様に酔い潰れ……今日は不参加だろうと勝手に決めつけていた。
誰かが起こし、取引が行われていることを告げたのかもしれない。
千鳥足の様相で歩く彼がこんなにも憎く思えたのは、ミキとしては初めてだった。
「俺様が、ちぃーっとばかり寝ている隙になに勝手にやってるんだよ」
「……昨日ちゃんと言ったはずだぞ」
「んなもん聞いてねえよ!」
団長のシュバルが代表して説明をしたが、イルドの一喝で沈黙した。
「俺様は~新しい女が~欲しいんだよ~」
本当に深酔いが過ぎるのか足取りも怪しい。
それでも彼は真っ直ぐレシアに向かい歩いていた。
「おーおー。可愛いのが居るじゃねえか……クックマン。いくらだ?」
「……この子はシャーマンの娘だ。傍に置けば不幸になると言われているぞ」
「シャーマン? 不幸? 不幸は困るな~」
一応商人として商品の説明の義理を果たしたクックマンは、それ以上何も言わなかった。
がははと笑いながら近づくイルドを、レシアはただ見つめていた。
「まあ良いや~。抱いて飽きたら殺せば良い訳だ~。不幸になる前にやっちゃうよ~。キュッと首を絞めるとあっちもキュッと絞まって気持ち良いんだよ~。女は死んじゃうけどな~」
品も無く笑う彼に、他の戦士たちも流石に視線を逸らす。
不快から唾棄しそうな雰囲気を漂わせる者もいるが、敵対することは良く無いと判断し我慢する。
ただ一人……フワフワと揺れていた少女が動きを止めてイルドを見つめ返す。
「……それは無理です」
「あん?」
「今日ここに居る誰よりも、貴方が一番死の空気を纏っています。たぶんもうすぐ死にます」
宣言するかのようにレシアはそう告げた。
「あはは。俺ってば~もうすぐ死ぬんだって~。あはははは……ふざけんな!」
イルドの右拳がレシアの頬を打つ。
酔いのせいか距離感がズレていたため、その拳は軽く彼女の頬を擦っただけだった。
だが二発目が……左の拳が顔面目掛けて放たれた。
「止めておけイルド。酔い過ぎだ」
「……あん?」
殴るはずの顔が無くなっていた。代わりに聞こえて来た声に、イルドはそれを見た。
自分の拳よりも先に、横からレシアを蹴った者が居た。
おかげで彼女は床の上を転がってあちらこちら汚れていたが無傷だ。
「邪魔すんなよミキ~」
「……本当に悪い。イルド」
「あん?」
ミキは視線を、突然のことで驚いたまま凍っている商人に向けた。
「クックマン。あの子は俺が買う」
「買うってミキ……金はあるのか?」
「無い」
「無いってお前」
「無いから作る」
次に視線を向ける相手は、椅子から転げ落ちている団長だ。
シュバルは、巨乳と酒が好きなひょろっとした中年男性だ。
「団長。俺を舞台に上げてくれ」
「……お前がか?」
「ああ」
「ふざけるなよミキ!」
背後から振り下ろされたイルドの拳を見もしないで、彼は避けた。
それぐらいはミキからすれば朝飯前だ。
「人の女を横から掻っ攫う気か?」
「……まだお前が買った訳じゃないだろ?」
「勝手を言うなよ! お前……殺すぞ!」
凄んで見せる相手にミキは冷静に身構えていた。
「だったら俺と戦え。イルド」
「あん?」
「今回の興行……最終日の最終戦で俺はお前に挑戦する。それでどうだ?」
「つまり舞台の上でやり合おうってか?」
「ああ」
「殺し合いだよな?」
「好きにしろ」
「……ふふ。あはは。あはははは……」
壊れた様に笑う相手に、ミキは半歩だけ下がった。
相手が襲って来るとは思わない。
ただあんなに笑っていたら、腹の中の酒をぶち撒けそうな気がして怖くなったのだ。
「シュバル」
「……何だ?」
「俺は今日から最終日まで試合に出ない。怪我も無い万全な状態で、どこかの、馬鹿な、奴隷の餓鬼を、ひき肉にしてやるからよ!」
顔を真っ赤にさせて鬼の形相でこっちを睨んだ彼は、ゆっくりと歩き出し天幕を出て行った。
しばらくして何故か外が騒がしくなったから、ミキは自分の勘が当たったのだと察した。
「シュバル。勝手に話を進めたが構わないよな?」
「俺は構わん。だがミキ……本当に良いのか?」
「皆して俺を舞台に上げたがっていたんだ。その日が来ただけだよ」
淡々と発するミキの様子に、シュバルは心の中で先代に詫びていた。
そんな団長の気持ちを知らない彼は、ふと視線で床を見渡したが……レシアは居なかった。
辺りを見渡す彼にクックマンは呆れ顔で近づいた。
「女なら護衛が馬車に運んだ」
「そうか」
「なあミキ? お前本気か?」
「冗談は得意じゃない」
「……後で話そう」
「ああ。商談の場を滅茶苦茶にして悪かったな」
彼は深々と頭を下げ、急いで天幕を出た。まず急いで向かう先は鍛冶場だ。
(C) 甲斐八雲
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