其の玖

「はぁ~。仕事してて煩いと思ったけど、本当に煩いんだな」

「ここはまだ開けているからマシな方だ。有料席の方はもっと煩いらしいぞ」


 とは言え熱のこもった客の歓声に二人は自然と耳に蓋をする。


 今日は早い時間に人気者の出番となった。イルドの試合だ。

 彼を贔屓する客は、立ち上がり舞台に立つ彼を応援している。

 奴隷や戦士たちからは何かと嫌われている彼だが、客の声援に対してはこれでもかと反応する。

 自分の仕事が客商売だということぐらいは理解している様子だ。


 興行中の時間帯に仕事が終わることがある。


 基本鍛冶場勤めのミキなどは、ハッサンの気まぐれで仕事の時間が決まる。

 本日の鍛冶場長殿は、昨夜の深酒のおかげで労働意欲が無いらしく早々に終わった。

 入場整理をしていたマデイも早くに仕事を終え、暇を持て余した二人は自然と闘技場へ足を向けていた。


 二人が向かった先は闘技場の無料開放席……通称"立ち見場"だ。

 こんな風に時間が出来た時などミキは、実際の戦いを見つめて新しい情報を頭の中に収めて行く。

 結果として夜の鍛錬の時に最新の相手と戦うことが出来るのだ。


「にしても……何であれがこんなに人気者なのかね?」

「戦い方が極端だからな。捕まえるか一発殴ればほぼ確実にイルドが勝つ。逃げ切れればイルドが飽きて負けを宣言する。力は凄いが体力が無いんだよ」

「でも割に合わない気がするんだけど? あれに捕まったら死ぬんだろ?」

「だが勝てば一回の出場手当てが半端無い。初物の奴隷が簡単に買えるぐらい稼げると聞いたことがある。どれほどの金額かは知らないがな」


 真面目に賭け札を買って騒いでいる客たちの邪魔にならない様に端の方を陣取り、二人は舞台を見る。


 騒音染みた歓声の中でいつの間にかに試合が始まっていた。

 今日のイルドの対戦相手は、もうそろそろ中堅と呼んでも差し支えの無い男だ。きっと観客に名前を売る為にイルドとの対戦を決めたのだろう。何より逃げ切れば大金も手に入る。

 試合内容は……はっきり言えば鬼ごっこにしか見えない。凶暴で凶悪な鬼から必死に逃げる戦士。

 文字通り命がけだから逃げる戦士は必死だ。伸ばされる相手の手から必死に逃げている。


「これが闘技場の試合なのか?」

「特別な一例だな。真っ向勝負じゃイルドに勝てないから"逃げ"の戦術が定着した」

「はぁ~。こんな方法を考えた奴は頭が良いのか臆病なのか」


 発案者であるミキは苦笑するしかなかった。


 対戦相手を殺してしまうイルドと戦いたがる者など基本居ない。

 だが彼は人気者なのだ。客が望む以上出さざるを得ない。

 そして運悪く選ばれた戦士が余りにも可哀想だったので助言したのだ。


『武器だけ持って後は捨てて、試合の間中逃げろ。運が良ければ勝てるさ』


 彼はその助言を聞き入れて逃げ続けた。

 体力切れになったイルドは、面倒臭そうに勝手に舞台から引き揚げ……負け扱いとなった。

 それ以来その戦い方が定着した。


 でもあくまで逃げ切れればの話だ。

 調子に乗って二度目の戦いに挑んだその戦士はイルドに捕まり、前回のうっ憤を晴らすかのように惨たらしい殺され方をしたのだ。


「なあミキ?」

「ん」

「ミキならイルドとどう戦う?」

「……」


 ぼんやりと舞台を眺めていた彼は、疲労が溜まり動きを止めた大男を見た。

 勝機と感じて戦士が武器を振りかぶり彼に襲いかかる。

 自分なら決して振りかぶらずに相手の喉を目掛けて突きを放っていた。それで終いだ。

 ガシッと振り下ろされた戦士の手を……剣を持つ手を握り受け止めた大男が残忍な笑みを見せる。

 力だけの暴力男でも死んだ振りぐらいは使うのだ。


 舞台の中心から絶望的な悲鳴が上がり、それは苦痛に満ちた音へと変わる。

 試合は決した。後はどんな風に戦士が躯となるかを見るだけだ。


「俺ならまず……イルドと戦うってことを選ばんよ」

「そうだな。うっぷ……」


 人の体が胴体部分からねじられ絶命する様を見たマデイは、顔を青くして視線を逸らした。

 ちらほらと観客席の方からも"戻す"者が居たが、それでもイルドを応援する声に消されてしまう。

 対戦相手を二つに畳んでイルドが勝利の咆哮を発していた。


「たぶんあれは巨人になり損ねた人間なんだろうな」

「納得だよミキ。あんな化け物が人間とか思いたくない」

「化け物か……」


 壁を隔てた闘技場の敷地の外には本物の化け物たちが居る。

 そして目の前には人の形をした化け物が観客に向けて何やら吠え続けている。


 自分は?

 

 ミキはその顔に冷たい笑みを自然と浮かべ舞台を見ていた。

 自分の中に住んでいる"人殺しの剣術"は、きっと恐ろしい化け物なのだろう。

 それを操る自分とてただの化け物なのかもしれない。


「この後の試合は特に目立つ物も無いし……俺は先に戻って休むことにするよ」

「ああ。俺は一応最後まで見て行くわ」

「ならまた明日」


 別れを告げてミキは自分が使っている寝床へと向かう。

 血を見過ぎたせいか……異様なまでに興奮している自分に気づいたからだ。

 自身の剣術ばけものは、外に出すべき物では無い。


 それを理解しているからこそ気持ちを静めたかった。

 今から軽く寝れば……今夜もまたどこからともなく現れるはずだ。

 彼女の踊りを見ていれば、こんな荒れた気分など静めてくれるはずだから。




(C) 甲斐八雲

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