其の捌
不思議な相手だった。
満足そうな表情でパンを食べている様子は、ある意味年相応だ。だがそれでもどこかに"気品"らしき物を感じる。故にただの村娘とは思えないのだ。
それに普通の村娘なら農作業の邪魔になるからと髪の毛は短くしてしまう。隣でパンを食べている相手の髪は、背中の中頃まで伸びている。ギリギリ農作業出来なくない長さではある。
その髪の毛がサラサラで綺麗な点を除けばだ。
肌だって日焼けしている様子など無い。月明りに照らされている部分には傷一つ見当たらない。
スラリと伸びた手足は健康的で、農機具を振り回す筋肉があるのか疑問に思う。
総合的に判断して……相手は豪農の娘か何かなのかもしれない。これが令嬢の類であったら、マデイ辺りが『夢を粉々に砕かれた!』と騒ぎそうだ。
「さっきから何ですか? もう返しませんよ」
「……そっちの方が大きかったかなってな」
「返しませんからね。全部に唾を付けて、私の物だと主張します」
「取り返そうとしないから、そんな品の無いことはするな」
本当にやりかねそうな相手の言葉に、ミキは苦笑するしかなかった。
自分の分のパンを齧り、全てを腹の中に納める。
どっちにしろ寝床に持って帰れば、騒動の種になりかねない朝食だ。食って寝ようと思っていたのが早まっただけのことだ。量が半分になったが。
「あ~美味しかった。いつ以来だろう? こんなに美味しい物を食べたのって」
「俺は一年と少し振りかな」
「うわ~。それは少し悪いことをした気がしてきました」
でも罪悪感など微塵も感じさせないのは、相手が上辺だけでそう言っているからなのだろ。
『相手にその気持ちを悟らせるな』とミキはらしくないほど説教したくなった。
本当に不思議な相手だ。
こんな場所に居るのだからきっとクックマンの奴隷だろう。
何より頭から被る薄地の服が物語っている。
ふとミキは、何かに気づいた。
余りにも突然で、その後が自然だったからうっかりと見逃していた。
ここに居る女性の大半は"奴隷"だ。
大半はクックマンの所有物であるが、舞台に上がる戦士たちの中には自身で所有する"奴隷"も居る。
一団として共に移動している都合、ミキは戦士たちが抱えている奴隷の全てをその目で覚えていた。だが隣に居る相手は該当しない。
ならば間違いなくクックマンの商品だ。それも様子からして初物だろう。
どうやって逃げて来た?
初物の奴隷は簡易式ではあるが、木製の建物の中に隔離される。
何かの間違いで商品を汚さない為にだ。
「質問しても良いですか?」
「……何だ」
「私はレシア。貴方は?」
「……ミキ」
「ミキですか。良い名前ですね」
へへへと笑う相手の笑顔に、質問する気が失せた。相手を見ているだけで毒気を失う。
「ミキは逃亡奴隷ですか?」
「違う。俺は奴隷と一緒に生活を送っているけど、奴隷では無いから逃げても罪にはならない。それを知る者は少ないから普段はただの奴隷扱いだ」
「そうなんですか。奴隷なら私と一緒ですね」
『何だ? どうしたんだ?』と、普段と違う自身の様子に、ミキはようやく不安を覚えた。
質問をしなくても良い。相手を……この子をクックマンの所へ引き摺って行けばいい。もし何かあれば自分の責任になってしまう。それは正直逃れたい。
「さっきのあの綺麗な踊りは何ですか?」
「……踊りでは無い。あれは俺が教わった人を殺す動きだ」
「冗談ですよね? あんなに綺麗な動きで人を殺すなんて」
またへへへと笑って、彼女は自分の膝に頬を乗せてこちらを見る。
透き通るような綺麗な瞳に、何もかも覗かれている様なそんな気持ちにさえさせられる。
動けない。何故かもっと話していたくなってくる。
「人を殺す技だよ。だから俺は舞台に上がれない」
「どうして?」
「相手を殺してしまうから。俺は人を殺す技を義父から学んだ。そしてそれを鍛え上げた。その結果……相手を確実に殺してしまう技になってしまった」
今まで誰にも言っていない言葉だ。だがまるで相手の瞳に吸い寄せられるように口から放たれて行く。
言葉を止めることが出来ない。その気が起こらない。
「舞台に上がればきっとそれなりに勝てるだろう。でも勝った分だけ人を殺すことになる。そんなものを求めて修行してきた訳じゃない」
「……優しいんですね」
「……臆病なだけさ」
「いえ。ミキはとても優しい人です」
フワッと重力を無視したかのような動きで、彼女は立ち上がった。
そして軽い足取りで彼の傍から離れると……ありもしないスカートの裾を掴んだように身構え一礼した。
「ミキほどでは無いけれど……私も踊れるんですよ」
それは静かに始まった。音楽も何も無い涼やかな舞だ。
だがミキにははっきりと"音"が聞こえた。
彼女が発する吐息が、地面を踏みしめる音が、腕を動かす空を切る音が……どれもが音を発して曲を作る。
自分の人殺しの動きとは違い、それはまるで何か奉納する舞の様に見える。
彼女の視線は常に月をに向けられている。
ああ……あの月に対して踊っているんだ。
それがはっきりと解った。
ミキは自分の直感が間違っていないことに自信があった。
事実彼女は、一心不乱に月に向かい舞を踊っていたのだ。
それは間違いなく奉納の舞だ。
儀式的な様式を持っていながら、自然信仰の様子も見せる踊りだ。
見ていて解った。クックマンが言っていた初物の中で曰くありげな女の存在を。
彼女は間違いなく"シャーマン"と呼ばれている存在の一人であろう。
シャーマンたちは、自然に愛され自然を愛する。
だけに彼女たちを傍に置けば、必ずや不幸になると言われている存在だ。
短い期間だけの関係なら問題は無いと聞いたことがある。
そうしなければ、彼女たちとて子を成すことが出来ないからだ。
(C) 甲斐八雲
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます