其の参
「ちょっ! 待ってくれよ!」
「……」
昼の休憩時間。鍛冶場を出たミキは涼しい風を求め歩いていた。
と、呼び止められたのが自分のだと気付き振り返る。
馴れ馴れしく声を掛けて来たのは、今朝の飯を分けた男だった。
鍛冶場長が隠し持っている干し肉を摘まみ食いして、どうにか空腹を紛らわせている。
それが無ければ苛立つ気持ちを押さえ切れず一発ぐらい殴ってしまいそうだ。
「どうした?」
「いや……礼の一つも言って無かったからさ」
「気にするな。今朝は食欲が無かっただけだ」
「そうなのか? でもあれだ……ありがとうよ」
「気にするなって」
歩き出すミキに、男は横に並んで色々と話し出した。
彼の名前はマデイ。借金のかたで売られここに来たそうだ。
身長はミキより少し低いくらい。体格は彼の方が良い。
「あんたって、ここの生活が長いんだろ?」
「まあな」
「なら教えてくれないか」
「何を?」
「舞台に上がって勝つ方法をさ!」
休憩が始まったばかりだからまだ時間はある。
ミキは呆れつつも懇願して来る相手を連れ、その場所へと向かった。
「あそこの説明は、今更必要無いよな?」
「ああ。昨日まで、あそこで地ならしの仕事をしていたからな」
二人はまだ客の入り始めたばかりの舞台を眺めた。
すり鉢状の建造物で、底にあたる部分は円形となっていて砂が敷き詰められている。
それを見下ろすように観客席が作られているのだ。
舞台に近いほど有料となる席だが、一番上の部分は椅子も無く無料で開放されている。
「あそこで行われるのは、一対一の戦いだ。はっきり言えば、ただの殺し合いだ」
「ああ」
「生き残る方法は至極簡単。死ななければ良い」
「そりゃ解ってるさ」
「解っていないだろ? 死ななければ良いって言うことは、相手より先に動き殺すことだ」
「……」
「同時に動いても遅い」
「だけど合図が鳴るまで動けないんだろ?」
「そうだ。だから合図が鳴るまでの駆け引きが、勝敗を握っている」
「駆け引き?」
最上部分の石壁に手を突き、ミキは綺麗に整えられた舞台を見下ろす。
もう何年と覗いているそれは……嫌になるほど血を吸った殺戮場だ。
見てて思う。
死んでいった同僚たちの絶命の声が、その無念の叫びが、自分に向かい押し寄せてくるような嫌な雰囲気を感じる。
幻聴の類だとは解っていても、耳の中ではその声が響いて止まらない。
「自分の獲物。相手の獲物。自分の間合い。相手の間合い。砂の状況。日の角度。風の向き……それら全てを合図が鳴るまでに把握して、少しでも自分が優位に運べる戦術を見つけ出す。
それが駆け引きだ」
仕事の合間に試合の様子を伺う彼は、常にそのことばかりを考えている。
それは体に……魂の根幹にまで染み込んでしまっている習性と言っても良い物だった。
マデイは何とも言えない表情で相手を見つめる。
「……なあミキ?」
「何だ?」
「どうしてお前はそんなに詳しいのに、舞台に上がらない?」
「……ずっと見ているから詳しいだけさ。戦わないから偉そうなことが言える」
「そんなもんか?」
「そんなもんだよ。現実は」
納得いかない様子で首を傾げるマデイの肩を叩いて、ミキは観客席から離れることにした。
興行が始まるまでのこの時間は、奴隷たちに許された僅かな自由時間だ。
日が昇る前から支度を始めて、その日が中天に上った頃から試合が始まる。後は試合の進行や状況に応じて裏方に回って居る奴隷たちは忙しなく動き回るのだ。
それ故に休める時には休んでおいた方が良い。とは言え奴隷に出来る自由など少ない。寝るか仲間と話すか博打をするのが関の山だ。
奴隷たちが集まっている方へと向かいながら、ミキは心の中のわだかまりを吐き出す様に口を開いた。
「なあマデイ」
「ん?」
「お前はどうして舞台に上がりたいんだ?」
「そりゃ……早く奴隷から解放されるにはそれしか無いからな」
彼は軽く肩を竦める。
「俺は病気になった兄貴の薬代を得るために売られた。まあ借金のかたってことになっているが、最初から俺で返済する予定だっただけだ。そのことで両親や兄貴を恨んじゃいない。家を継ぐのは長男の役目だから……三男で馬鹿な俺は、ボチボチ家を追い出されていた頃だ」
良く聞く話だった。ミキがこの世界で見聞きする良くある話。
でも前は? 前の世界では?
武士の家に生まれ養子に出た自分は……間違いなく恵まれていたから、そんな話など付き合いが無かった。
「家を追い出されてれば……なるのは兵士か賊か。どっちにしろ命を売り物にしなければ生きていけないはずだったんだ。だったらここに来るのも悪くない。ただ入って直ぐに舞台に上がれないのは、予想外だったけどな」
「様子見期間ってヤツだな」
「何だそりゃ?」
「新入りをいきなり舞台に上げて、つまらない戦いを見せたら客が盛り上がらない。だから最初は厳しい仕事を押し付けて、新入りの性格を見るんだ」
「って言うと……俺はどうなるんだ?」
「今朝の一件は奴隷頭たちが見ていたはずだ。たぶん血の気が多い奴ってことで、望めば早いうちに舞台には上がれる」
「良し! 運が良い」
「ただ血の気の多い奴は、血の気の多いベテランと戦わさせられる。そっちの方が盛り上がるからだ。そして過激な殺し合いを期待されるから途中で戦いを止められることはない」
「……どう言うことだ?」
「どっちかが死ぬまで戦うってことだ。まあ基本新人が殺されて終わりだけどな」
歩きながら話していた二人……マデイの足が地面に根を生やしたようにピタッと止まった。
やれやれと言った様子でミキは振り返り、表情を青くしている新入りに告げる。
「本来新入りの初舞台は、怪我をした時点で止められる。運が悪かったな」
「……でも勝てば良いんだよな? そうだよな?」
「ああそうだ。ただし"アレ"を相手にな」
相手が顎で指し示す先をマデイは見た。そして全身が竦み上がるのを感じた。
(C) 甲斐八雲
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