其の弐

 簡易的な大型天幕の天井から突き出した煙突から、白い煙が空に向かい溶ける様に昇っている。


 この場所で働く者は、厚手の長袖を着ている者が多い。

 それは高温を発する炉の傍で働いているから仕方の無いことだ。飛び散る火花から身を護るための自己防衛である。


 皆が高温と労働でボロボロと大粒の汗を流しながらも、それでも黙々と鉄を打っている。

 この場に居る者たちは大半が鍛冶を商いとするので、舞台に上がり戦うことをしない者たちだが、その体格や筋肉は歴戦の雄を思わせるほど逞しい。


 その一角に彼は居た。

 毎日雑用係として働くミキは、今日も鍛冶場で鉄を打っている。

 汗で張り付く衣服の様子から彼の逞しい肢体がはっきりと見て取れる。

 本当に鍛えられている……と、誰が見ても明らかだ。


 ただそんな彼を面白く無さそうに見つめる人物が居た。


「なあミキよ?」

「はい」

「お前は鍛冶師にでもなりたいのか?」

「そんな気は無いです」

「ならどうしていつもここに来る?」

「……ハッサンの手伝いを皆が嫌がるから」


 鉄の大きなハンマーを何度も打ち下ろしながら、ミキは淡々と答える。


 真っ直ぐ振り下ろされる彼のハンマーには澱みが無い。真っ直ぐ振りかぶり真っ直ぐ振り下ろすことは、誰でも練習すればすぐに出来る。だが彼のハンマーは常に芯を捕らえている。故に鉄を打つ音に雑音が混ざらない。


 そんな相手の様子に、初老の鍛冶場長であるハッサンは、つまらなそうに鼻を鳴らした。


 鍛冶師になる気の無い男が発する音とでは到底無いからだ。

 才能の塊。見ていて本当に面白くない男が目の前に居るのだ。


 この場所では、舞台上で使われる武器や武具から生活に使う物まで何でも作る。

 生活用品作りは若手が、武器や武具は熟練工が、それぞれ担当することとなっている。


「まるでお前にしか俺の手伝いが出来ないような言い方だな」

「事実俺にしか出来ません。他の者はハッサンの口汚い言葉を喰らい続けて、頭に血を昇らせて暴れ出しますからね」

「まあ確かにな。だがそんな馬鹿をこの金づちでぶん殴るのも俺は好きなんだがな」

「……勘弁してください。奴隷が減れば俺たちの仕事がきつくなる」

「冗談をそんな冷たい言葉で返すな。本当にお前はつまらない男だな」

「言える冗談を持ち合わせてないんです」


 軽口を言い合いながらも、二人は仕事は確りと行っている。

 ハッサンは打ち終えた剣を水に入れた。

 ジュウウと沸騰する音とムワッと嫌な熱気が押し寄せて来た。


 彼は出来上がった剣の刃を確認して、それを台の上に放ると次の準備を始める。

 ミキもこの鍛冶仕事を手伝う様になってから随分と経験を積んでいる。

 準備ぐらいなら怒鳴られること無く手伝うことが出来るほどにだ。


「なあミキよ」

「はい」

「ガイルが愚痴っていたぞ。お前がどうして舞台に上がらないのかってな」

「……」


 ギィン! ギィン! 


 鉄を打つ音を響かせながら、彼らは会話を続ける。

 だがミキは口を開かない。口を開きたくない話題だからだ。


「長いこと戦士をやっていたガイルが言うには……お前はきっと舞台に上がれば、そこそこの仕事をするだろうって話だ。俺にはそんな風に思えないがな」

「俺には無理です」

「そうだよな。お前は玉無しの臆病者だ。人殺しの舞台になんざ上がれっこない」

「……その通りです」


 ハンマーを振り下ろし、彼はただそう答える。

 そう答えることで、相手の言葉を認めることで……舞台に上がらない理由をそれだと印象付けているのだ。だが大ベテランの鍛冶職人の目は腐っていない。目の前の『素材』が嘘をついていることぐらい簡単に見抜いていた。


「なあミキよ?」

「はい」

「お前は……先代が拾って来た捨て子だった」

「はい」


 今は亡き団長であるムジュアが、規模の大きくなり過ぎた剣闘士集団を三つに分けている時に偶然拾って来た子供がミキだった。

 ボロボロの布を体に巻いていただけの少年を拾って来た先代は、『そこで腹を空かせて震えておったわ』と犬猫でも拾ったかのように笑いながら連れて来たのだ。


 それ以来彼は、ムジュアの息子の一人であるシュバルが引き継いだこの一団に居着いている。

 厳密に言えばミキは奴隷なのでは無い。ただの孤児だ。


「読み書きも出来ない。言葉もろくに話せない……薄汚れた餓鬼だったな」

「はい」

「でも俺やガイルはあの時見たお前の目の色を忘れちゃいない。

 お前は何かあればその場に居る全員を殺して逃げ出そうと……ジッと様子を伺っていた。あんな恐ろしく血走った眼を見たのは初めてだ」

「……」

「後継者を求めていたガイルは、良い拾い物をしたと思ったろうな。でもそれ以降お前は臆病で腑抜けたままだ。あの時のギラギラとして獣の様な目は一度として見せなくなった」

「見間違いだったんじゃないですか?」

「そうだな。そうかもしれん。今にして思えばそう考えるのが正解だろう」


 鉄を打つ手を止めて、ハッサンは金づちを置くと立ち上がった。


 グイッとハンマーを持つミキの手を掴み無理やり捻る。

 ドスンと地面にハンマーが落ちたが、ハッサンの目は彼の掌に向けられていた。


「長いことハンマーを振るって来たから、良い掌になって来たじゃないか」

「……」

「でもな? どうハンマーを振るっても出来るはずの無い場所に存在しているこの"まめ"はなんだ?」

「……」

「お前が夜な夜な木の棒を持って、どこかに行ってるのを俺たちは知っている。お前は戦えないんじゃない。戦いたくないだけなんだろう?」

「……それならそれで良いじゃないか」

「まあ確かにな。お前なら良い鍛冶師になれるかもしれない。このまま俺の技術を教え続けて、跡継ぎにしても良いのかもしれんがな」

「だったら」

「だったら……鍛冶師になるんなら、良い素材が腐るのをただ眺めているのか? 最高の剣を目の前に置いて、朽ちて行くのをお前は眺めていられるか?」

「……」


 唇を固く噛み締めミキは堪えた。

 出来ない。ただ腐って行くのを我慢しているなんてことは出来ない。

 あの日……切腹したあの日、何度となく想い焦がれたのだ。


『刀を振りたい!』と。


 掴んでいた腕を離し、ハッサンはまた腰かけた。

 途中で止めてしまった剣を屑鉄置き場へと放り投げ、また次の準備を始める。


「なあミキよ。もしお前が舞台に上がりたいと思う日が来たら声を掛けろ」

「……」

「その時は……弟子に逃げられた記念で、最高の武器を叩いてやる」

「……そんな時が来なければと願ってます」

「俺は現役最後の最高の武器を打ちたくて仕方ないがな」


 そしてミキはまた準備を始めた。

 今の仕事は鍛冶の手伝いだからだ。




(C) 甲斐八雲

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