第10話 私のものだから

 まったくイラつく。目の前に広がる酷い有様の焼けた家を見て頭を抱える。

 確かにリコちを私のアトリエに呼べて少し悦に浸っていたところはあったが、こうまで軽率にあのゴミが頭の悪いことをしでかすとは。おかげで彼女の精神はすでにボロボロだ。あんな辛そうな顔をリコちにさせていいのは私だけなのだから絶対に許さない。

 だがまあ、いずれにしても、私とのいざこざで不安定になっていた彼女の精神的支柱であった家族はもうおらず、友人面していたアイツも虫の息なのだ。

 どうせをすべてアイツが先にしてくれたと考えれば非常に都合がいい。

 少し頭を冷やして一度見方を変えれば、これは最大の好機なのかもしれない。

 ミカのことは私の手ずから殺してやりたいとも思っていたが、そう考えると少しは溜飲が下がるというものだ。

 とは言え、リコの精神衛生的に一度こっちに戻って来たほうが良いかとも思っていたけれど、あの調子を見ているとやはりこんなごみ溜めのようなところからはさっさと出ていくべきかな。


 よし、と軽くこれからの計画を立ててからリコちのところへと戻る。

 あんまり待たせたら体が冷えて風邪をひいてしまうかもしれないのだから。


「ねぇ、リコち。今はたぶんとても辛いと思う。一日の間に家族も友人も失ったんだもの、それは当然だよ。だからこそね、今は辛い現実から逃げ出さない? これから私と二人で崖上のカンバスで一緒に住むの。ああ、お金の心配はいらないよ? これでも私結構お金持ちなんだ......ってそんなこと今更知ってるか!」


 辛そうにして車の座席に座り込んでいるリコちにできるだけ優しく、努めて明るく声をかける。こういう時に早まった行動はよくない、もうあと少しでリコちは私のものになるのだ。じっくりと外堀を埋めていくことが今は何よりも大切だろう。


「カノコと一緒にあの場所で暮らす......。そっか、そうだね。それも悪くないのかもしれないなぁ」


 もう一押しだろうか、衰弱している彼女が論理的な思考を回復させる前に濁流のように情報を与え続けまともな思考回路を潰す。

 元々彼女は流されやすい性格をしている。それを本人が自覚しているかどうかはわからないが、このまま私の甘言に乗ってくる確率は悪くないはずだ。


「......なら早速」

 

 そこまで私が紡ぎだしたところで彼女が遮るように再び声を上げる。


「でも、でもその前にもう一度だけでもいいからミカに会いたい。会ってありがとうって伝えたい。家族を守ろうとしてくれてありがとうって」


 涙ながらに訴える彼女を見下ろす私は今どんな表情をしているのだろうか、自分の理性を抑え込み感情だけが発露しているのならば早く彼女から顔をそらさなければ暗い眼窩に宿る濃密な殺意が伝わってしまうかもしれない。

 口からこぼれ出そうになるあのゴミへの罵詈雑言を強引に飲み込んで、理解を示すふりをする。


「......わかった。そうだよね、リコちの家族の最期を看取ったのは恐らくミカちゃんだもの、会いに行って一先ずの無事を喜んであげないと! さ、そうと決まれば善は急げ。病院に向かおうか」


 恐らく、というよりもほとんど確実にあの火事を起こした犯人はミカ自身だ。

 焼けた跡にかすかに香ったガソリンの匂いとさっき拾っておいたスタンガン。何がどうなってかまではさすがにわからないが大方リコちを私に盗られたと先走ったアイツが勝手に錯乱しリコちの家に火を放ちに行ったのだろう。

 今は事故として見られているかもしれないが、もう少し時間がたてば犯人が存在している人為的な放火による事件だと警察も気づくだろう。案外もうすでに気づいており、相当衰弱していたリコちに配慮して黙っていた可能性もある。

 まあ、どう転んでも私に不利益はない。最期の見舞いくらい連れて行ってあげるよ、このままフェードアウトしていくだけの残念な小道具マクガフィンへのプレゼントにね。


 ミカの入院する病院へと車を走らせること二十分ほど、日が昇りつつあるとはいえまだ薄暗い時間だったので道は空いており既にフロントガラスから病院が見えている。


「もうそろそろ着くけれど、心の準備大丈夫?」


 一命は取り留めたとはいえ、全身に大やけどを負っているのだ。今の弱っているリコちと会せるのは打算抜きで躊躇われたが、彼女たってのお願いだ。無碍にするわけにもいかない。

 彼女もそれはわかっているのか、無言でゆっくりと頷くだけで表情は暗いままだ。

 正面入り口にほど近い場所に車を止め、未だ足元の覚束ないリコちを支え一歩一歩をゆっくりと病室への道を踏みしめる。

 先ずは受付にいき事情を伝えると、本当は面会謝絶の状態ではあるが少しだけならば構わないと部屋番号を伝えてくれる。看護師さんに感謝を伝え、またゆっくりと二人で寄り添いながら歩いていく。


「ここから先は、少しだけ二人にしてくれる?」


 わがままを言ってることは分かっていると、少し申し訳なさそうな顔でそう告げるリコちに笑顔で了承する。

 本当は絶対に嫌だが、これから先はどれだけでも一緒に二人で過ごすことができるのだ。それを考えるならば今この瞬間少しの間位ならばあの負け犬に甘い汁を吸わせてやるのも悪くはない。意に反して口角が上がるのを必死に抑えながら、顔つきだけは神妙さを保つ。

 数分ほどして、扉の奥に消えていたリコちが戻ってくる。顔色は先ほどまでより少しマシになっているのでどうやら本人なりのけじめはつけられたらしい。

 ならば次は私の番だと、リコちに了承を得て私も病室に入る。

 病室の中は饐えたような臭いがしていて、若干の吐き気を覚えるが無視してベッドまで近寄る。


「あなた、起きてるでしょ? 私そういうのわかるんだよねぇ。二年前も必死に寝たふりをしてたリコちとってもかわいかったなぁ。ばれてないと思って必死に目を瞑ってるんだもん思わずキスしちゃった」

 

 そこまであからさまに挑発したところでうめき声のようなものが聞こえる。


「ああああああ! お、お前が、お前がカノコかぁあああ」


「ねぇちょっとやめてよ、軽々しく私の名前を呼ばないで。というか何言ってるのか全然わからないんだけどもっとハキハキと話してくれる? ああ、そうか無理だよね。だって喉まで灼けてるんだもの。あはは」


 なおも続ける簡単な私の挑発に苛立ちを抑えられないミカは全身をもぞもぞと動かし掻きむしる。酷いケロイド状になっている皮膚が破れ黄色い膿と赤い血で包帯を汚す。


「おええ、汚いなぁ。そんな気持ち悪いの見せないでもらえる? というかさ、あなた私に怒っているみたいだけどなにか勘違いしてない? リコちの家を焼いて、家族を殺して、そして何より彼女自身の心を傷つけたのはあなた自身なんだよ? そんなクズが私になにを言えた義理があるのかな」


「ううううう。あああああああ! こ、殺す、殺してやるうううう」


「あそう。やってみれば?」


 もはや冷静な思考ができていないのか、うわごとの様に殺す殺すと連呼し続けていたがやがてそれも途絶える。哀れな目の前の少女だったものに白けた一瞥をくれてから病室をでる。


「ごめんね。リコちは私のものだから」


 そう、手向けの言葉を残して。 

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