第11話 崖上のカンバス
あれからどれほどの時間がたったのだろうか、全身に包帯を巻かれ満足に動くことすらできないこの身体。
私は自分で言うのもなんだけれど、それなりに整った容姿だったのだと思う。
まだ学校に通っていた時にはそれなりの数の男子から告白されたこともあるし、街を歩けばそれなりの数の男の人が振り返って私を見ていたことからもやっぱりそれなりに可愛かったのだろう。
それが今では全身の皮膚は焼けただれ、包帯に包まれ人工呼吸器をつけていなければ満足に呼吸もできないほどに衰弱している。見目麗しかった容姿などもはや見る影もない。
「あーあ、こんな姿じゃもう私に振り向いてくれないよなぁ」
脳内に思い描くのは私の最愛の人であるリコっち。
物心ついた時にはすでに彼女のことが大好きで大好きで仕方がなかった。
私が何よりも欲しかったのは、薄汚い同級生からの告白でもなく、性欲にまみれた男どもからの視線でもなく、何よりも隣にいた彼女からの愛情だけだった。
「あー、でもやっぱりアイツは殺したいな」
脳内に思い描くのは私の憎悪を一心に担うカノコ。
大好きだったリコっちにずっと付きまとい私の恋心を邪魔し続けていたゴミ。
私がこの姿になったあの日、リコっちがお見舞いに来てくれた時はとても嬉しかった。あの時だけは自分の醜い心を忘れられたような気がして、それでも彼女の家族に対してしてしまったことへの罪悪感も確かに感じていて、心がぐちゃぐちゃだった。
そんな襤褸切れのような精神状態だったところにソイツは追い打ちをかけるかのように私の病室へと入って来る。
ニヤニヤと下卑たにやけ面を隠そうともせずに私の身体を嗤い、罵った。
お前がリコっちの家族を殺し、家を焼き、心を傷つけたと。
当然その時の私は今よりも症状の重い身体を動かしてカノコの喉元を食いちぎってでも殺してやろうとしたが、思うように動かない身体は私の意に反し傷口を広げるだけの自傷行為となってしまう。
その後全身に走る鈍痛に身体が耐えられず薄れていく意識の中、アイツの最後の言葉だけが脳内にずっとこびりついている。
『ごめんね。リコちは私のものだから』
誰になんの許可を得てそんな世迷言をのたまっているのか。
もうリコっちが手に入らないのは良い。こんな風になってしまった私が彼女のそばにいても幸せにはしてあげることなんてできない。でも、だからこそ、やり残したことがある。リコっちの隣にいるあの害獣だけは絶対に殺す。
今朝から病室の外がうるさい。おそらくあの火事が事故なんかではなく私が起こしたものだというものがばれたのだろう。だがここで捕まるわけにはいかない、目的を果たすまでは。
絶えず痛みにさらされている身体に鞭を打ち、口元についている邪魔な人工呼吸器を外し投げ捨てる。久しぶりの自分の力だけでする呼吸は上手に二酸化炭素と酸素の交換作業を終えることができず、吐しゃ物まじりの咳が出る。涙が溢れしばらくはまともに動くこともできなかったが慣れてきた。這いつくばっていた状態から蹲り、両膝と両手で藻掻き窓辺まで何とか移動する。
ガラリと窓を開け、満足に動かすことのできない腕を駆使して何とか身を乗り出す。眼下に見える窓の数からしてここはおそらく二階、すでに満身創痍のこの状態で飛び降りれば助からないかもしれない。だがそんなことはもはやどうでもいい、私がカノコのもとにたどり着いてヤツを殺すか、その前に私が力尽きるか。一か八かの賭けに出る。身を乗り出していた窓辺から飛び降りた。
★
あの日病室で哀れな一人の女との別れを済ませてから、私たちは二人崖上のカンバスまで戻ってきていた。
それから数日経った今もリコちは本調子ではない状態が続き、身の回りの世話は私がこなしてあげている。今日も朝起きれば着替えを用意し、朝ご飯を作り一緒に食べる。そのあとは二人で一緒に絵を描いて描いて描き疲れたら軽食を摂り、仮眠してからまた絵を描く。
今はただ何も考えずに絵を描くことに没頭していることこそが、リコちにとっての一番の薬になるに違いない。
「ねぇ、リコち。今日は何を描いてるの?」
「今はたぶん、海」
「海?」
「そう、ここから沢山見える広い広い大海原。この水平線の先には何があるんだろうって。今はそれだけを考えてる」
「そっか」
交わす言葉数こそ少ないもののそこには確かな充足感があり、とても満ち足りた気持ちになり心がポカポカと温かくなる。
誰も何者も私たち二人の間を遮る邪魔者はいない。この二人の秘密基地の中でひっそりと生き続け愛を育みいずれは死を刻み付けるのだろう。
私はそんなこれからを夢想しこらえきれないほどの快楽に身体を震わせる。
そんな私の生理現象を見たリコちは可愛らしく首を傾げて「寒いの?」と聞いてくる。そんな姿が愛おしくて思わず抱きしめてから答えを返す。
「大丈夫。こうすれば寒くないから」
そんな甘えたがりな私の行動にリコちは優しく微笑んで私の身体を抱きしめ返してくれる。
「そうだね。こうすれば寒くない。いつまでも二人一緒にいようね」
そう答えるリコちの声は寒さだけからくるものではない震えが混ざっていたような気がして、今度は安心させるようにもう一度抱きしめた。
大丈夫、私だけはどこにも行かないよ。
そんな平和でありつつもどこか歪な日常は長くは続かないということか、私たち二人の城へと招かれざる客が訪れる。
はぁ、と重い溜息を吐かざるを得ない。まだ邪魔しに来るのか、頭のおかしい腐りきった蛆虫め。
「や、やっと見つけた」
なにをどうまかり間違えてここまでたどり着いてしまったのか、崖上のカンバスへと繋がる一本道へと確かにミカが包帯まみれの足で立っていた。
これは誰にとっての不運か、いやそんなことはどうでも良い。私たちの楽園にイレギュラーは要らない。ここで決着をつけてやる。
「やぁ、久しぶり。死にぞこないさん」
「り、リコっちはどこ?」
「そんなに目的を急かないでよ、まだリコちは眠ってるよ。それよりもう少し楽しいおしゃべりに付き合ってよね」
勿論真っ赤なウソだ。リコちにはミカを驚かせたいから玄関の内側で待っていてほしいと伝えてある。こちらの不穏な会話も聞こえてしまっているだろうが、ここまでくればあと一押しだ。何も問題はない。
背後にある扉を一瞥してからミカへと向き直り、さっさと本題に向かう。
「じゃじゃーん。これ、何かわかる?」
懐から出したのは、あの日燃え残った家の残骸から見つけ出したスタンガン。
それを目の当たりにしたミカは目を見開き狼狽える。
「な、どうしてそれを!?」
言ってからしまったと、口を噤むがもう遅い。
「おお、その様子じゃこれが何かしってるみたいだねぇ。まあ私の予想だとこれがリコちの家を燃やした元凶なんじゃないかなぁと思ってるんだけど......どう? 犯人さん」
「黙れ! 黙れ黙れ。お前に何がわかる! 私は折角、折角お前がいなくなってリコっち、リコをおおお私のものにできると思ったのにぃ。お前がなんでなんであの時いいいい。す、そ、それがなければぁ」
「ちょっと待ってよ、勝手に興奮すんのはいいけどさもっと理路整然と話してくれる? その醜いやけどとかと相まってホント何言ってんのかわからないんだけど?」
あくまでこちらは冷静に相手を挑発していく。そうして相手の失言を引き出していくのは私の得意分野だ。
「ねぇ、私は別にあなたの敵じゃない。まぁ確かに恋のライバルではあったかもしれないけれど。だからこそ、あなたの言い分を聞きたいの。ここにリコちはいない。だからお互い腹を割って話し合おうよ。これまでになにがあったのかをさ」
しばらくお互いがお互いをけん制するように無言で睨み会う時間が続くが、この極まった状態でそれが長く続くわけもなく。ミカはゆっくりと語りだす、視力の殆ど失った彼女の眼には私のしたり顔は映らずに。
「私は昔から好きだとか嫌いだとかよくわからなかった。異性も同性も、仲が良ければ好きで嫌なことをされれば嫌い。その程度でしか好き嫌いの尺度はなかった。でも、成長していくと周りの子たちはあの子が好きこの子が好きだとそういう話をする子が増えた。それでも私の中にはそんな気持ちが芽生えたことなんてなかった。だからこの先もずっとそういうのとは無縁の生活を送っていくんだと、そう思っていた矢先にリコが現れた。一目ぼれだったんだと思う。中学生に上がって初めて好きな子ができて。でもそれは同性で、そういうのはおかしいことだと周りの人たちを見ていてそう思った思ってしまったんだよ! でもそれでもこの気持ちは抑えきれなくて、リコに冗談半分で好きな人いる? って聞いてみたときはとても後悔したさ。たとえ本音で答えてくれたとしてもそこで私の名前を呼んでくれるわけがないのに」
「でも、リコちはあなたの名前を答えてくれた?」
「な!? そ、そう。期待していなかったのにリコは私の名前を告げた。一瞬は我を忘れて喜んだよ。でもすぐにそれは冗談だって気づいた。いや気づいたというよりも知ってたんだよ。リコはそういう話が嫌いだったから冗談を言って話を終わらそうとしたんだって。私も元々は同じ考えだったのに、どうしてリコの気持ちを汲んであげられなかったのかなって思ったさ。それからは何となく一人気まずくなっていって気づけばいつの間にかリコの隣にはあなたがいた。」
「なるほど、そこからはおおよそ私の知っているとおりってことか」
「そうさ、高校に入って一年生のころにあなたとリコの間に何かがあって、あなたは姿を消した。それを好機だと思ってリコにまた近づいて。また元の関係にもどれていたのに!」
「でもそれって私は関係ないでしょう? 勝手にあなたが私たちの関係に嫉妬して。私のいなくなった後にはまた仲良くなれていたのに、あなたの独りよがりな気持ちが暴走してリコの気持ちを弄んだことにまだ気づいてないの? 思ったより鈍いね最低じゃん」
「う、うるさいうるさい! あなたが余計なことをしなければぁぁ、私が家を燃やすこともなかったんだ!」
来た! コイツが口を滑らせるまでに興味もない人生の長話を聞いてやっていたのがやっと終わる。
さあ、自分の口で罪の告白をしろ。これであんたの破滅は決定した。
「へぇ、やっぱりあなただったんだ犯人。あれ、でもリコちのご両親がいたのにそんなに簡単に家、燃やせたの?」
「そんなものぉ! 邪魔だったから殺したよ! ガソリンをかけてスタンガンで燃やしてやったら驚いた顔して熱いだのやめてだの、ぎゃあぎゃあうるさいから鼻面を蹴り飛ばしてあげたよ。もう滑稽で滑稽であはははは!」
ああ、醜いなぁ。膿と涙と憎悪と哄笑でぐちゃぐちゃな顔が更にぐちゃぐちゃになっている。
さぁ、そろそろ現実に向き合ってもらう時間かな。
「ねぇ、楽しそうに笑ってるところ悪いんだけどさ。その事件の一番の被害者がそこにいるのに趣味悪くない?」
玄関の裏にいてもらったリコちのほうを指さす。
「え? は?」
先ほどまでの狂ったような笑いはどこへやら青ざめさせた顔とともにガタガタと身体を震わせる。
「ま、まさか。いや違うそんな、そんなはずじゃ。うそうそだ違うごめんなさいごめんなさい」
私はゆっくりと後ずさり玄関裏でミカ同じくらいに青い顔をしているリコちを抱き寄せる。ああ、これで完成だ。完膚なきまでにリコちの周りの人間を消し去れた!
これでこれから縋ることのできる先は私だけ。一生一緒に居ようね。リコち。
「お前えええ! よくもよくも!死ねええ」
なにをトチ狂ったか、錯乱したミカは私に向かって走ってくる。
二人で永遠の愛を誓いあっていたところなのに、ここまで来てまだ邪魔をするつもりなのか。ごみはごみらしくさっさとくたばってしまえばいいのに。
見たところ凶器の類は持っていないみたいだけれど、それでどうするつもりなのだろうか。
そこまで考えてふと、後ろを振り返る。ああ、なるほど後ろは崖だから突き落として殺そうってわけか。でもなぁ。
「考えがさぁ、甘いんだよね。どこまでも読み通り」
目の前まで迫ってくるミカ、もう数センチでぶつかるといったところで私は後ろ手に隠し持っていた愛用の鋭利に研ぎあげたペインティングナイフを突き立てた。
ごふぅという声にもならない声を上げて口からゴポリと血糊を吐き出す。
「ああ、あああ......。私はただ、リコっちのことが好きなだけだったのに。何でこんなことになっちゃったんだろうなぁ」
なんでって分不相応なあなたの恋心そのものが間違いだったんだよバーカ。
ゆっくりと力を失い倒れるミカを抱きとめて、開いたままだった瞼を撫でて閉じてやる。胸に刺さったナイフが彼女の体温を奪い切ったときゆっくりと抜きとり懐にしまう。
ミカの亡骸はせめてもの手向けとして崖の上から海の底へと放り投げた。
そこまでしてから未だ震えるリコちの元まで戻り抱きかかえる。
「やっと終わったよ。今はゆっくりお休みリコち」
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