第9話 震えている

 未だ薄い微睡みの中にいる私の頭蓋の中を低いモータ音がこだまする。

 頭が痛い、今は何時でここはどこなのだろうか。考えていても仕方がないのでまだ眠っていたいと駄々をこねる体へと鞭を打ち起き上がる。

 右と左を交互に見渡せば、前から後ろへと過ぎていく見知った街並みが見えた。

 車の中?


「目、覚めた?」


 そう心配そうに告げる声を発するのは運転席に座るカノコ。そうだ私あの後眠ってしまって......彼女には悪いことをしたと思う。

 勝手にアトリエに入ったばかりか、ペインティングナイフまで私の血で汚してしまったのだ。

 

「リコちのその顔見てれば何を考えてるのかわかるけど、今は私のことよりもご両親のこととお家だよ」


 やはり彼女は鋭い、私の心の中を完璧なまでに読み切って甘やかしてくれる。


「多分正面切って見るのは辛いと思う。けど、それはリコちにとって大事なことだと思うからしっかり立ち向かおう」


「そう......だね。ありがとう」


 泣きはらしたのと寝起きだったのとで自分が思っている以上に声がガサガサして出にくかったが、かろうじて通じたようで、ミラー越しにこちらを確認したカノコがにこりと笑う。


「もうそろそろお家のほうに着くけど、先にこっちからでも良い?」


「うん」 


 先ずは事件のあった現場から、そこで私の両親は死に友人は大けがを負ったのだ。

 正直に言えば見たくない。今すぐここから逃げ出して現実逃避したい。けれど、そんなことをしたって何の解決にもならないことは多分心の中では痛いほどによく理解している。

 だから少しでも気を紛らわすために話しを続ける。

 

「車の免許、取ったんだ」


「そうだよ、あそこ遠いしさ、手軽に通えるようにってのと、いつでもリコちに会いに行きたかったからね」


 はにかみながらそう答えるカノコはとても美しく見える。吸い込まれそうなほど綺麗な彼女から目を離せず、ずっと見ているとなんだか頬が赤くなってきて大急ぎで無理やり目をそらす。

 カノコに気づかれてはいないだろうか、少し心配になりつつミラーを再び確認すると、目が合う。


「ま、前ちゃんと見ないと危ないよカノコ!」


「ふふ、はーい」


 荒んだ心を洗ってくれるようなカノコとの時間に少しずつ解されていき、小さいながらも勇気が湧いてくる。

 多分一人でここへ向かっていたら途中で心が折れていただろう。

 眠ってしまってからいきなりここに連れてこられた形ではあるが、これもカノコなりのやさしさである。


 やがてそんなドライブも終わり、車がスピードを緩めるのを感じて体が強張る。

 私の家へ着いたのだ。

 事件からはそれなりに時間が経っているため野次馬はもういなかった。

 恐る恐る車から降り、脇に立って手を差し出してくれるカノコの手を取る。

 軽く引っ張られた私は覚束ない足元に崩れ、彼女へとしなだれかかってしまう。


「ご、ごめん」


 無言で首を振ったカノコは気を取り直すように、私と手をつなぎ先導してくれる。

 一歩一歩が重い、足は鉛のように鈍重に感じて、自分の意志とは反してなかなか動こうとはしない。

 駄目だ。気分の悪さがぶり返し、その場でうずくまってしまうとすかさずカノコが背中をさすってくれる。


「もし良かったら、私が見てこようか」


 見かねたのかカノコが優しく私に提案してくれる。


「大丈夫、リコちのその反応は間違ってないよ。普通は事件現場の前に来るだけですらままならないものだから。ここまでこれたリコちはすごいんだよ」

 

 肯定してくれる言葉の優しさに甘えることしかできない。

 今の自分では正常な判断ができそうもないことを理解しているため、大人しくカノコに任せることにする。


「じゃあ行ってくるね」


 何もできない無様な私は一人震えていることしか出来なかった。

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