第4話 後ろ姿
何が起こったのか全く分からなかった。
「ねえ、何とか言ってよ。私が変な奴みたいじゃん」
急にキスしたのはそっちだろうと、何を図々しいことを言うんだと文句の一つも言ってやりたい気分だったが言葉が思うように出てこない。
そもそも口自体まともに動かせずに、上下にパクパクと二酸化炭素と酸素の循環を繰り返すだけの木偶の坊になっている。
つまりそれほどまでに私が驚いていたということ、そして強引な形だったのにもかかわらずそれほど嫌悪感を感じていないということ。
この二つが同時に脳を刺激して、私の感情を荒立たせる。
正に思考回路はショート寸前というやつだ。
「......味」
「味?」
「そう、レモンティーの味だった」
ミカはレモンティーをどんな飲み物よりも好んでいた。今日も今日とて例外ではなく朝出会った時からすでに片手にはレモンティーの入った水筒が握られていたことを記憶している。
というか私も私だ。何を馬鹿正直に答えているのかまったくもって意味が分からない。
「ふふ、そっか。レモンティーか。確かに私いつも飲んでるもんね。でも鉄の味ほどのインパクトはなかったかな、残念」
そもそも急にキスされたというその状況が大きすぎるインパクトだ。もはや味どうこうの話ではないだろう。
二年前の時とはまた別の意味で今後忘れられそうもない。
未だに心臓はドキドキしているし、呼吸は荒い。軽くめまいを感じてよろめくが、体が倒れこむことはなく疑問に思って今の自分の姿を冷静に分析してみれば、ミカが未だしっかりと体を支えてくれていることに気づく。
ということは、だ。
さっきのやり取りをこの近距離で交わしていたのかと我に返っていくうちに意識が飛びそうになる。
「ちょいちょい、流石に私も華奢な女子高生だから気絶した人一人は背負っていけないよ」
あくまで冷静にそう言い放つミカに今までの私の知っているおちゃらけた姿は見当たらず、どこまでも落ち着き払った余裕を感じる。
「本当のミカってこんなにも頼もしかったんだね」
「おやおやリコっちそれはどういう意味かな?」
どういう意味かはミカの想像に任せるよと返してから、今度はしっかりと自分の足で地面に立つ。
まだ早い時間であたりに人通りはほとんどないとはいえ、さすがにずっとくっついているのもなんだか恥ずかしい。
「さ、ほら早く行こ。せっかく眠い目こすって来たんだし受験番号が張り出されるボードが空いてるうちにさ」
「う、うん」とさっきの今ゆえに動揺を隠すことができず、言葉を震わせながらもそう返す。
何事もなかったかのようにずんずんと先に進んでいくミカに複雑な感情を抱きながら、たどたどしく歩き出した私の顔は、冬の風に吹かれてもまだ赤みを保っていた。
バス停から学校までの距離は大体五分くらいで、そこにつけばもう学校も目前に見えている。特に坂道なんかがあるわけでもないので、ゆっくりと並んで歩いたところでそこまで時間を食うこともなく学校の入り口へとたどり着く。
大学の景観はそれぞれの特色が出ていてなかなか興味深いものがあるが、私たちの向かう学校は特に厳かな校門などがあるわけではなく、こぢんまりとした門に達筆で学校名が書かれているだけの簡素なものだった。そこからまっすぐ奥に行けば校舎が見えてくる。
とはいえ合否発表の場所は校舎ではなく、生徒たちがイベントで展覧会などを開くときに使用されるホールのような場所で行われるそうなので、入り口で地図をもらい向う。
「ドキドキしますなぁ、リコっち。二人とも受かってるといいよね」
言葉の割にはあまり緊張していないように見えるミカにため息を吐きながらも、正直そのメンタルはうらやましいものだと思う。
確かに自分は優秀だし、作品にも自信はある。特に今回のテーマに関しては私の人生においてかなりのウェイトを占めている部分を描き出した最高傑作といえるだろう。
だが、それは恐らくほかの受験生たちも同じで、自分だけが特別だと思っているといつかは足元をすくわれる。人生に完璧も絶対もないのだ。
だからこそ、いかに完璧に近づけるか、絶対の境地に相応しいものを引き出せるか、そこが重要になってくる。
「ねぇ、もし私が受かってなかったらどうする?」
そう口にだしてから後悔する。そんなことを聞いてどうするのか、ミカがどう答えてくれればうれしいのか。
私は自分のこういう狡い部分が嫌いだ。
「私はリコっちと同じ学校に行く。それだけだよ」
即答だった。
私はこの答えに対してどう思ったのか、自分自身のことなのにその時の感情をどう表せばいいのか分からなかった。
気持ちの整理に戸惑っているうちに、ミカはさっさとホールの中へと入って行ってしまう。
慌てて後を追いかけると、こちらを振り向き満面の笑みでピースサインを掲げるミカの姿があった。
「これで悩むまでもなく同じ学校に通えるね!」
「......そうだね」
二人の間に交わされる短い会話。
それ以上余計な味付けはいらない。
ただの事実確認以上の中身を伴ったそのやり取りは、私たちの心にずっと残り続けるのだろう。
ひとまず安堵した私は、何の気なしにあたりを見回すと、いつの間にか人が増え始めているのに気付く。
そこからは一瞬で何を契機にかドッと流れ込んでくる人の濁流によってボーっとしていた私はミカと離れ離れに押し流される。
ざわざわと合否発表の確認にきた人たちであふれ出すこの場所で、一人ポツンと投げ出されたことに焦ってミカを探すため動こうとするが、再び足がもつれて転んでしまう。
苦痛に顔を歪めていると、手を差し伸べられる。
その手をつかみ立ち上がり、助けてくれた人物へとお礼を告げようと視線を挙げると既にそこには誰もいない。
困惑する私の背後から声が聞こえてくる。
「崖の上のカンバス」
「......え?」
耳元で囁かれたその言葉は、不思議と私の関心を引き付ける。
それに今の声、私は聞いたことがある。
急いで振り向いた先には、大勢の人、人、人。
でも関係ない、私にはわかる。
人ごみに紛れ去っていくあの後ろ姿、そして忘れることなど到底できない声。
「間違いない。カノコだ」
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