4.3.9 急報

――ハフトブルク辺境伯 イシュトバーン城

――アリエル夫人 執務室


 アリエル夫人は執務室に入るなり、声を荒げた。

「討伐軍からの早馬だと? 一体何事か!」


 執務室に控えていた伝令兵(女性)が面を上げると、

「ジャック・フォン・ロレーヌ中佐より至急の伝文をお預かりしています」

と言いながら、懐から書状を取り出した。


 サルエゴ大佐は書状を受け取りると、封蝋ふうろうに手をかざした。

「前衛の重装歩兵部隊を率いるジャック中佐ですな。サムエル中将ではなく、前衛の将兵から送られてくるとは違和感がございますが……ふむ、将兵にのみ通知された魔力符号マジックコードによる封印が施されている故、偽物ではないようです」


 アリエル夫人はサルエゴ大佐から渡された書状に目を通した――。


 読み終えると大きくため息を付き、罵るように言い放つ。

「ベリメル城の南方でアニュゴン自治領主の軍と遭遇し、激戦の上、撃破したそうだ。しかし、サムエル中将が深手を負い、治療のため至急、こちらへ搬送するとのことだ。総大将にありながら、自軍から早々に離脱するとは……あの馬鹿者めが」


「軍に随伴している治癒士が治療できないとは命に係わる重症なのでございましょう。至急、神官を招集し、治療の準備を始めます」


 サルエゴ大佐の言葉にアリエル夫人は頷く。

「そうしておくれ。馬鹿な奴だが、我が辺境伯家の最高司令官だ。それに…」


『ウワァーン、ギャアア』、幼児の鳴き声がアリエル夫人の言葉を遮る。それは執務室の片隅にある小さなベッドから聞こえてくる。


 アリエル夫人は駆け寄ると幼児を抱き上げてあやし始めた。先ほどまでの不機嫌な表情から一変し、優しい眼差して愛らしい我が子を見つめている――。


 サルエゴ大佐は伝令兵に目配せし、静かに執務室から退出した。


――廊下


 サルエゴ大佐は伝令兵を廊下の隅に呼び寄せ、前線の状況を事細かに聞き始めた。

 それに答える伝令兵の顔色は優れない。


「申し訳ございません。なんだか身体がだるくて息苦して……眩暈もします。今にも倒れてしまいそうです。どこか近くのお部屋で休ませていただけないでしょうか?」


 伝令兵はそう言うとサルエゴ大佐の腕を掴んで寄りかかる――瞳を潤ませ、紅潮した頬を肩に寄せた。そして、胸当てからはみ出る下乳を腕に押し当てる。


 サルエゴ大佐は伝令兵を支えると、

「昼夜問わず馬を走らせたのだから疲れているのであろう。私の来賓室を使うとよい。どれ、肩を貸してやろう。しばらくの辛抱だ」

と言いながら、その肩に手を廻した――。


 『ズシリ』、と伝令兵の体重がサルエゴ大佐に掛かる。サルエゴ大佐は一瞬、驚いた表情を見せてよろけたが、大きく息を吸うと、ゆっくりと歩き始めた。


――サルエゴ大佐 来賓室


 サルエゴ大佐は伝令兵を長椅子ソファに座らせると、

「サムエル中将を迎える準備がある上、失礼する。しばらく休むが良い」

と言うと、踵を返して扉へと向かう。

 

「お待ちください。大事な伝言を忘れていました」

 

 伝令兵の呼びかけに、サルエゴ大佐が振り返ろうとした瞬間――伝令兵の両腕から放たれる雷撃がサルエゴ大佐の全身を襲う。『バチバチバチ』、という音と共にサルエゴ大佐は光に包まれ、黒い煙を出しながら倒れた。


 ――伝令兵はジレンへと姿を変え、サルエゴ大佐を見下ろす。皮膚は焼けただれ、目を見開いたまま、サルエゴ大佐は絶命していた。髪が焼けたような匂いが漂う。


「乳を押し付けたのに釣れない野郎だぜ。こいつが真面目なのか、俺の技量か足りないのか……女形おんなかたは難しいぜ。まあ、いい。それよりも次の準備に取り掛かるか」

ジレンはそう呟くとサルエゴ大佐の装備を外し始めた。


――イシュトバーン城 監視塔


 その日の午後、砂埃を巻き上げながら疾走する軍団を観測兵が目にした。緊急事態により自軍の一部が帰還するという情報は、サルエゴ大佐から城内の兵士たちに伝えられていた。そのため、軍団の発見はすぐにサルエゴ大佐に報告された。


 しかし、距離がまだ遠く、敵か味方かの区別はつかない。そこで、観測兵は“望遠”の魔道具を使って軍団を観察し続けた――。


 軍団が近づいてくる。兵士の数は約五百。最前列には自国とサムエル中将の旗を掲げる騎馬隊が見える――間違いなく自国の軍団だ。観測兵は魔道具から目を離そうとするが、何かおかしいと感じて再び覗き込む。


 後方の兵士たちがぼやけて見える。前方の兵士たちも顔を隠していることに気づいた。観測兵は魔道具の“魔導検出マジック・ディテクト”を起動すると、後方の兵士の姿が明らかになる――黒衣を纏う巨漢の兵士が、魔騎竜アリオラムスに騎乗し、槍を腕に構え、こちらを狙う。敵襲だ。


 観測兵が敵襲を知らせる角笛を吹こうとした瞬間、『ギ、ギギギィィ』という城門が開く音が響いた――。


 観測兵は唖然とした。検閲をせずに城門を開くことなどあり得ないからだ。緊急事態とは言え、慎重なサルエゴ大佐が下す判断とは思えない。急ぎ知らせようと再び角笛を唇に当てたその瞬間、槍が身体を貫いた。


 城外の軍団が一斉に放った槍は、監視塔、城壁の上、そして城門にいた兵士たちを一掃した。その勢いのまま城門を突破し、内部へと押し寄せた。


 そして、全身を覆う認識阻害の外套マントを一斉に脱ぎ捨てると、黒衣を纏う巨漢の兵士が姿を現し、雄叫びを上げた――オルガ隊が急襲に成功したのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る