4.3.3 過去の記憶

――王国歴 303年 初春 主都アニュゴン

――主都アニュゴン東部 訓練所


「ウォォォォォオオオオオ!!」

左右から二つの騎兵部隊が雄叫びを上げながら中央へと迫り――衝突した。


 魔騎竜アリオラムスの鳴き声と武器が重なり合う音と共に兵士たちの怒号が辺りに響く。彼らは、春雪が薄く積る地面を黒く染め、白い息を吐きながら切り合いを続ける。


 ジレンはオルガと共に中央で自部隊の訓練を見守る。神巨人タイタン

巨碧人オルムス、ホブゴブリン、鬼人で構成された巨漢の兵士たちは、防具の下から窮屈そうに筋肉を隆起させ、目を見開き、殺気立った形相――まさに鬼の形相というやつだ――をして武器を振るう。


 こいつらの相手にはなりたくないな、と思いながら隣にいるオルガに目を遣る――無表情で前を見つめる彼女の横顔が目に入る。ゆるく開いた唇から白い息が漏れ、口元の産毛が白く光る――無防備なその横顔にしばらく見惚れていた。


 ――いかん、いかん、何をしているんだ俺は。オルガのドレス姿を見てからどうも変だ。シルバからも焚きつけられるし、妙に意識して調子が狂うぜ……それにしても戦争間近というのに元気がないな。いつもなら、指揮官の立場に我慢できず、訓練に参加するのに、とジレンは我に返り自問する。


 突然、オルガがジレンに顔を向け、訝しげに口を開く。

「さっきからこちらばかり見つめてどうした? さあ、あたしたちも参加するぞ」

「あっ……ああ、すまねえ」


 ジレンは驚いて視線を外し、オルガを追うように兵士の元へと向かう。


 その途中、オルガはジレンに魔騎竜を近づけて口元で囁いた。

「今日の夜空いているか?」


 ジレンが驚き、横を向くと、オルガは魔騎竜に鞭を打ち、先へと進んだ。


――ジレン自宅 居間


 オルガがジレンの自宅を訪れることは珍しくない。昼前に訪れ、ジレン手製の昼飯を食べた後、地下の訓練場で身体を動かしながら、部隊編成や部下育成について会話する――普段の流れだ。ジレンが驚いたのは、今回は夜だからだ。


 オルガは夕刻前に訪れたが、元気のない表情を見せた。晩飯を食うかとジレンが尋ねると小さく頷いた。そして、大皿の食事をペロリと平らげた後、地下の訓練場で模擬戦をした――。


 湯あみを済ませたジレンは、居間で暖炉に薪をくべながら呟いた。

「抱けば折れそうな細い身体から、これほどの打撃力が出るとは……驚きだな」


 オルガから受けた打撃が、身体の節々から痛みとなり湧き上がる。身体強化スキルによる恩恵だと本人から聞いたことがあるが、ジレンは未だに信じられないでいた。兄貴と同じく普通の人族とは違う、しかし、血は繋がらない……どういう生い立ちなのだろうか、とジレンがいつもの如く思いを巡らしていると、部屋の扉が開いた。


「今日は特に気合が入っていたな――ほら、水だ」

ジレンが差し出した水をオルガは無視し、戸棚から芋焼酎とグラス二つを取り出す。そして、長椅子ソファに腰を掛けると、湯あみで濡れた髪を布で拭きながら、グラスに酒を注いだ。


「ジレン、お前も飲め」

そう言うとオルガはもう一つのグラスに酒を注いで横に置いた。


「弱いんだから無理はするなよ」

ジレンは隣に座るとオルガのグラスに水を注ぐ。


――しばらく無言で飲んだ後、オルガはため息交じりに呟いた。


「昨日、ザエ兄から呼び出されたんだ。次の戦争の相手はあたしの叔母なんだってさ……殺せるかと聞かれたよ」


「――面識はあるのか?」

ジレンは静かに問いかける。


「去年、敵国の晩餐会で話したんだ。覚えているか? ザエ兄にドレスを着せられたときの話さ――。冷たそうな女のくせに、あたしを見た瞬間、声を上げて近づいて来てさ……嬉しそうな顔をして、目に涙を浮かべて、覗き込むように見つめられたよ」


 オルガは自分の母親がハフトブルク辺境伯家の血筋であることはこれまでの出来事を通して気づいていた。そして、母親の姉が、晩餐会で面会したアリエル夫人であり、当主代行として戦争を仕掛けた人物であることをザエラより知らされたのだ。


 オルガはグラスを持つ手を震わせ、目に涙を浮かべてジレンを見つめる。

「あ、あたしはさ……人族がゴブリンに襲われてできた合いの子なんだ。母親の顔なんて知らないし、叔母を殺すのなんてなんてことないんだ――。それなのに、あの女が愛しそうにあたしを見つめる顔を思い出すと辛いんだ。あたしは望まれて生まれてきたわけじゃないのに――」


 ジレンは思わずオルガを抱きしめた。

「辛い思いをしたんだな。それ以上は話さなくていい」


 グラスが床に落ちると同時にオルガはジレンの胸の中で泣き崩れた――。


――主都アニュゴン北部の森


 数日後、ジレンはガリウス黒猫を呼び出した。


「何用だ? 次回の特訓はもう少し先だと記憶しているが」

ジレンの背後からガリウスの静かな声が聞こえる。


 ジレンはガリウスから定期的に稽古を受けていた。オルガとガリウスの模擬戦を見る機会があり、ガリウスの見事な体捌きに感動して、頼み込んだのだ。


「すまねえな、あんたはオルガの母親について詳しいと聞いてな。実は……」


 あの晩、オルガは泣き止んで落ち着いた後、身の上話を始めた。その話の中で、ガリウスがオルガの叔父に雇われていたことを聞たのだ。


「母親の人相がわかるもの? ふむ……当時の契約資料を探せば見つけられると思うが、しかし、死んだとはいえ、依頼者からの情報をおいそれとは出せぬぞ」


 ガリウスの言葉を聞くと、ジレンの両腕が雷を纏い、黄金色に輝く。

「義理立てする相手が違うんじゃねえのか。俺は今、無性に腹が立っているだ。雷撃食らいたくなければ、大人しく出すことだな」


 ガリウスはジレンの目の前に現れ、不敵な笑みを浮かべて呟いた。

「ほう、それは楽しみだな。どれ、生意気な口に見合う腕前がどうか見てやろう」

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