4.1.13 成すべきこと(2)
――王国歴 302年 下春 イストマル王国 王都
――商会の頭取の部屋
数日前、肥えた商人がトッツに会いに来た。
エグゼバルト公国の書状を渡すと食い入るように見つめ、
「えらいこっちゃ、これはやばいで」
と身体を震わせながら叫んだ。
既にリューネブルク公爵家の臣下からエグゼバルト公国による食料提供の話は聞いていたようだ。だからこそ、エグゼバルト公国の指定商人であるトッツに事実を確認するために訪れたのだろう。
トッツは紅茶を手に立ち上がると商人から背を向けて窓の外を見つめた。
「いくらや? 取引量はいくらや?」
取引量は書状には書いていないし、知らされてもいない。しかし、事前にソニア公女から回答は指示されていた。
「取引量は伝えられておりません。しかし、エグゼバルト公国は次の販売先について検討中とのことですので、これが終わりではなく、始まりでしょう」
「始まりやと? 葬式屋に余計なことをされると困るんや。どないしたろ」
始まりという言葉を聞くと、商人はひと際大きな声で文句を言いながら部屋を歩き回る。トッツには彼が困る理由が良く解る。低価格の食料が市場に出まわれば、販売価格が下がる。それは、彼らの利益が減ることを意味する。
「ここにいてもどないもならん。失礼するわ」
早々に退席しようとする商人に、
「ところでイレストガルド領の領主にはお伝えしておきましょうか?」
と声を掛けると、彼が声を荒げて叫ぶ。
「あかん、それは絶対にあかんで。そんなんしたらわしらと全面戦争や」
そう言い残すと膨らんだ腹を揺らしながら部屋を出て行く。
◇ ◇ ◇ ◇
トッツさんは肥えた商人との面会の様子を俺に伝えた。
「彼らが所有する食料を、価格を下げて早期に売り切り、損害を最小限に抑えようと動くはずだ。実際に販売価格が下がり始めている」
やはり商人たちは食料価格が暴落する前に損切りする方法を選択したか。しかし、俺たちは事前にエグゼバルト公国の食料提供の噂を流している。彼らの選択は、その信憑性を高め、急激な価格低下を招くだけだろう。
「イレストガルド領の
商人たちの様子を察するとアデルへの報告は避けているはずだ。まずは価格が下がりきる前に自分たちの食料をさばき、アデルの所有する食料は最後だろう。
何故なら彼らに何ら益をもたらさないからだ。逆にアデルの所有する大量の食料を同時に販売すれば、価格低下に拍車が掛かるだけだ。
「……そうだな。しかし、今回の絵を描いたのは誰だ? エグゼバルト公国の取引量に関わらず、市場価格が暴落してしまえば食料問題は解決する。さらに嫌がらせをしてきた奴らへ損害まで与えるとは……よほどの策士だろう」
トッツさんが疑問に思うのも無理はない。俺とソニア公女は若輩者だ。仮にシャーロット公女が絡んでいたとしても、同様に若輩者だ。じゃあ、だれだ?、と彼は頭の中で思案していることだろう。
「たまたま自分が思いついたんだ。それだけだよ」
ソニア公女に巣くう魔人だなどと口が裂けてもいえない。彼女と話すうちに、俺に害を及ぼす者を倒すことこそ、俺が成すべきことだ気づかされた。そして、彼女の助言を受けながら今回の対策を考えたのだ。
今回の件で自分の視野が狭いことを思い知らされた。政に詳しく、大局的な観点で助言してくれる人物を見つけなければ――今のところ当てはないが。
「ザエが考えたのか、大したものだな」
トッツさんは驚きながらも感心した様子で俺を見つめた。
――イレストガルド領 アデル邸宅
「報告が遅いっ、既に我が間者が赤毛の小僧の領地を偵察した。食料の木箱にエグゼバルト公国の紋章が焼き付けられていたぞ」
アデルの怒鳴り声が部屋に響く。
普段なら、腹の脂肪を揺らし、飛び上がり跪いて謝る商人だが、アデルの怒声を軽く受け流し、泰然とした様子で佇んでいる。
「エグゼバルト公国のお節介のため、食料価格は急降下しました。そのため、わしと仲間たちは大損害を被りました……もちろん、アデル様もでございますが」
冷静に状況を説明する商人にアデルは戸惑うと同時に更なる苛立ちを覚えた。
「お前の責任だろう!! この失敗どのような落とし前をつけるのだ!? ごほっ」
更なる大声で叫ぶと咳き込み始めた。白エルフの女性がアデルの背中を撫でる。
商人はとぼけたような表情を見せると腹を叩いて笑い出した。
「何のことでございますか? わしは助言をしたまでです。アデル様の命に従い汗を掻いてきたわしにひどい言いようでございますなあ」
アデルは顔を真赤にし怒りに震える。しかし、咳がひどく一言も喋ろうとはしない。その様子を見てごくりと喉を鳴らして、商人が言葉を続けた。
「では、本題でございます。大幅な価格下落により、アデル様の所有する食料に評価損が発生しております。そのため、担保資産を回収させていただきます」
アデルは食料を買い占めるために資産を担保に商人からお金を借りていた。それは事実だ。しかし、返却期限はないと聞かされていた。
「何をいうか、返却期限などないとお前は申したではないか!? ふざけるな!」
アデルの話を聞くと、商人は表情を一変させる。
「そんな都合のいい話あるわけないやろ!! 契約書にちゃんと書かれてまっせ」
契約書の写しを長机に置き、担保資産の回収日を告げ、商人は立ち去る。アデルは一度も読むことなく署名したそれを手に取り、呆然と見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇
資産回収は容赦なく執行された。アデルは王都にある別邸を手放すのは頑固として拒否した。代わりに財宝や絵画などの調度品と領地の財務部門の執行権を与えることにした。つまり、商人は、税収入を増やし、予算を減らすことで、自由に借金を回収できるわけだ。
「自ら残るとは何が狙いだ?」
ベッドの中で抱き合う白エルフにアデルは尋ねる。愛人たちは手当が支払われないと知ると我先に逃げ出した。邸宅にいるのは、白エルフと黒豹の獣人だけだ。
「私は貴方の奴隷です。それに……なぜ私を借金のかたに売らないのですか?」
子供の頃、旧国王に連れられて
「お前と同じ種族の憎き義妹を忘れぬためだ」
アデルは咄嗟に嘘をついた。
「アデル様の敵はシャーロット様でもシュバイツ伯爵様でもありません。貴方の運命を狂わせたアルビオン大佐こそ貴方の憎き敵なのです」
『§ΓΣΘΨΓΓЖД、ΨΠΠЮЖД』
白エルフはアデルの頭を豊満な胸に優しく押しつけ、頭を撫でながら言い聞かせる。
「そうだ。赤毛の小僧め……このこの恨み、晴らさずにおくものか……」
アデルはそう言いながら白エルフの胸の中で眠りについた。
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