4.1.12 成すべきこと(1)

――王国歴 302年 下春 イストマル王国 王都

――イレストガルド領 アデル邸宅


 ザエラと懇意にしている商人への食料の取引を一方的に中止してから二週間後、自由都市同盟の肥えた商人がアデルに突然呼び出された。


「アデル様、突然の招集、いかがしました? あ、もしや、その手に握りしめている書状はアルビオン大佐からの面会の希望でございますね。そろそろではないかと予測しておりました」

商人は部屋に入るなりご機嫌を伺う言葉を投げかけた。そして、長椅子に座ると汗を拭きながら水を飲む。


「違う」

アデルは握りしめた書状の束を彼の前に放り出す。


 商人は、よれた書状の皺を伸ばしながら広げ、目を通す。彼の余裕に満ちた表情が強張る――一枚目が終わると、急いで二枚目を拾い皺を伸ばすことなく読み耽る。


「ど、どないことですか。これらは、食料購入を辞退するリューネブルク公爵家の臣下たちからの書状ではございませんか……三割引きの価格やのにどうしてや」

商人はすべての書状に目を通すと唖然とした表情でアデルを見ながら呟く。


「こちらが知りたいわ。抜け穴がないか今すぐ調べて参れっ。今すぐだ」

アデルは声を荒げて商人を怒鳴りつける。


「ひゃい、直ぐに調べて参ります」

商人は直ちに立ち上がり慌てて駆け出す。


 しかし、膨らんだ腹が大きく揺れ、足が絡まり床に顔を打ち付けた。従者に支えられながら、血が溢れる鼻を抑え、部屋から出て行く。


 アデルは眉間に皺を寄せ、床の血痕を拭く侍女の姿を無言で見つめていた。


――アニュゴン領 主都周辺


 主都周辺には見渡す限り移住者の天幕が広がる。


 移住者の人数は五万人に及び、領地の人口は二倍近くへ膨れ上がる。領事館の職員は天幕の近くに設置した仮設所にて移民手続きに追われていた。当然、アルビオン騎士団も移住者受け入れの手伝いに駆り出されている。


 シルバ隊は食事班だ。直系十メルクはある巨大な鍋が火にかけられ、水がぐつぐつと沸騰している。巨大な鍋には上り台が数か所設置され、調理場から上り台まで団員が一列に並ぶ。籠にいれた野菜が受け渡され、上り台の最上段から鍋へ次々と投げ込まれる。


 また、料理場の近くには大量の木箱が積まれている。それらの木箱にはすべてエグゼバルト公国の紋章の焼き印が押されていた。団員が木箱を開けると移住者の女性たちが野菜や小麦を取り出し、料理場へと持ち込んいる。


「そろそろ、かき混ぜるぞ、気合を入れろよ」

「おうっ」

 上り台の最上段にいるシルバが叫ぶと、団員たちが呼応して叫び、これまた巨大な木べらを数人掛かりで掴んで鍋の具をかき混ぜ始めた。


 ――その様子を遠くから見守る者がいた。その者は気配を消して木箱に近づき、焼き印を確かめるとすぐにその場から離れた。


《今、いたわね……怪しげな気配を感じたわ》

調理場にいるヴェルナが念話でラクシャに伝える。


《ああ、捕捉した。イザベルに追跡させている》

姿は見えないがラクシャの念話が届く。


《イザベル?、貴方に配属された白エルフの女の子ね。団長から監視対象に指定されているけど仕事を任せて大丈夫かしら……》


《イザベルは料理が上手だ。問題ない》


 ヴェルナはラクシャの的外れな回答に一瞬戸惑うが、まだ盗賊団にいた頃、彼に話して聞かせたことを思い出し、納得したように言葉を繋いだ。


《料理が上手な女性に悪い人はいないということね、安心したわ》


《おい、無駄口はそこまでだ。野菜は煮えてきたぞ。早く麦を持ってこい》

上り台の上にいるシルバから怒声が念話に響く。


◇ ◇ ◇ ◇


「まるで地獄の大鍋のようね」

秘書はシルバたち鬼人が必死の形相で大鍋をかき混ぜる様を見ながら呟いた。


「地獄の大鍋というのは……異世界の地名ですか?」

カロルが興味深そうに秘書に聞いてくる。


「迷信……いえ、宗教の一種かな。罪を犯した人間が死ぬと送られる世界の話よ。これ以上は縁起でもないから止めるわ。移住者の皆さんの食事作りに奮闘するシルバさんたちに失礼よね」


「僕は興味あるから、また、教えてね」

カロルは無邪気な笑顔で秘書にねだる。


秘書は彼の笑顔を見るなり顔を赤らめ、

「もちろんよ。それより、魔導式加熱炉、順調に動いているわね」

と言いながら、火炎を上げて大鍋を加熱する魔導装置を指さす。


「魔力の供給も問題なさそうです。師匠や研究所の人たちも喜んでるだろうな。こんんな画期的な魔道具の制作に参加できて嬉しいです」


「これからが本番よ。領主代行に見せる実証実験も近いし、頑張りましょう」


 二人は火炎を見つめながら実証実験について語らい始めた。


――商会の頭取の部屋


俺はトッツさんと紅茶で乾杯をする。


「トッツさん、うまくいきましたね」

「ザエ、お前からエグゼバルト公国の公女を引き合わされたときは驚いたよ」


 俺はソニア公女をトッツさんに引き合わせ、魔族領から調達した食料をエグゼバルト公国の所有物とし、彼の商会へ卸す段取りを整えた。


 複雑な取引に見えるが、食料の流れは実に単純だ。魔族領から食料を受け取り、俺たちの主都にあるトッツさんの商会の支店に届ける――それだけだ。ドワルゴが根回しをしているため、魔族領から受け取る食料にはエグゼバルト公国の焼き印は既に押されている。


 また、建前も考えた――食糧難に苦しむ人々を救うため、とある貴族から食料が寄贈された。そこで、エグゼバルト公国は信頼できる商会を選定し、破格の値段で食料を卸すことに決めた。我が王国では、トッツさんの商会が選ばれたという訳だ。


 販売先はエグゼバルト公国が指定し、俺の領地だけでなく他の領地も含まれる。他の領地には、トッツさんが懇意にしている顧客に加え、大量の移住者の出身地であるリューネブルク公爵家の臣下も含まれる。ソニア公女によると彼らはアデルから食料を販売してもらうために魔人を追放したそうだ。


 指定された領地の領主たちは、既存の高額な取引は中止し、喜んで購入を受け入た。低価格かつエグゼバルト公国が保証した食料だから当然だ。今頃、アデルには購入取引の辞退が多数届き、怒りに震えていることだろう。


「あの肥えた商人は来ましたか?」

「昨日、慌てた様子で駆け込んできた。ザエの読み通りの展開さ」


 トッツさんは紅茶に蒸留酒ウォッカを混ぜながら話を続けた。

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