4.1.10 謀略
――王国歴 302年 下春 アニュゴン領 主都
西門の城壁に詰めていた警備兵は、夜が明け、地平線に広がる光景に驚愕した。
「おい、あれはなんだ……敵軍か?」
「ガルミット王国とは停戦中のはずだが、尋常な数ではないな。隊長に報告だ」
警備兵は直ちに警備隊長のララファ大尉へと報告に走る。
◇ ◇ ◇ ◇
こちらに向かう荷馬車と人々の群れが土埃を立て地平線を埋める。俺と秘書そしてカロルはその様子を呆然と見つめていた。
「あれはすべて移住希望者なのか?」
「はい、ララファ隊が話を聞いたところ、主に東部出身の移住希望者でした。食糧難を理由に領主に追い出されたそうです」
「東部……移住者募集の噂が広がるにしては早いですね」
これまでも移住者は募集していたが、東部出身は限られていた。‟自由の新天地”の発動により、さらに移住を働きかけているが、東部に伝わるには早すぎる。裏がありそうだが、目の前の問題を片付けることが優先だ。
「騎士団の中尉以上を至急招集してくれ。騎士団員を総動員して城壁の外に移民受け入れ用の天幕を用意する。あと、炊き出しもだ」
俺は騎士団本部に中尉以上を招集し、状況を説明した。そして、副団長ヒュードル少佐に現場指揮を任せると、団員は彼の指示に従い慌ただしく作業を開始した。
「秘書とカロルは領事館の職員に指示して移民手続きを進めてくれ」
俺は中庭に待機させた飛竜に乗り込みながら秘書とカロルに声を掛ける。
「ザエラ義兄さんはどちらへ?」
「食料購入の件で王都のトッツさんと話してくる」
移住者の流入が想定を超えた――我が領地に飢饉発生の恐れが現実となる。商会の理事長であるトッツさんに窮状を話し、食料供給量の増加を相談するつもりだ。
――数日前 イレストガルド領 アデル邸宅
リューネブルク公爵家に連なる有力貴族たちがアデルを囲む。彼らは笑顔で歓談しながら、アデルの顔色を伺う。なお、イレストガルド領がリューネブルク公爵家の元領地であるため、彼らの領地はイレストガルド領のある東部に集中していた。
「今日は皆様にお出でいただき感謝する。公爵の称号を持たぬ私ごときに何用でございましょうか?」
アデルは鋭い目つきで彼らを見回す。目元にくまは一層濃くなり、化粧でも隠せぬ程目立つ。それが彼の異常性をひと際、際立たせていた。
有力貴族の一人が額からこぼれる汗を拭きながら、
「我らが領地の魔人および亜人は罪人も含めて一人残らず、追放いたしました。西の外れの某領主が移住者を求めていることを伝えております。つきましては、以前、書面にてご連絡いただいた食料支援の件いかがでしょうか?」
とアデルに笑顔で話しかける。
「それは良き対処をなされた。奴らは人族に害を成す存在です。人族の尊厳と繁栄を守るため、奴らを排除せねばなりません。同士が増えて嬉しく思います」
アデルは特に喜ぶ様子も見せず、目つきは鋭いままだ。
「それで……食料支援の件はどうだろうか?」
しばらくの沈黙の後、有力貴族の一人が我慢しきれずに問いかける。
「もちろん、市場から三割引きの価格でお譲りいたします。私は食料危機を事前に予測し、価格が高騰する前に食料確保に努めていました。とはいえ、私の領地も厳しい状況ですが、同士を飢えさせる訳には参りません」
「ご配慮ありがとうございます。アデル様がリューネブルク公爵家の当主に復帰されることを心よりお待ちしております。それでは雑務がございます故、我らはこれにて失礼いたします」
アデルの言葉を聞くと彼らは安堵の表情を見せ、早々に屋敷から立ち去る。
◇ ◇ ◇ ◇
「負け犬が偉そうに……自由都市同盟の商人からの入れ知恵で食料を買い占めているのを我らが知らぬとでも思うておるのか。さらに、魔人と亜人の排斥などと言いよる。人族至上主義の聖教王国に寝返るつもりか……」
「旧国王が崩御されてからリューネブルク家は地に落ちたな。頭は切れるようだが支持基盤の弱い白エルフの娘に、家を追放され気がふれた息子とは……王国における我らの存在感は薄くなるばかりだ」
屋敷を出た有力貴族たちは、愚痴を言い合いながら馬車へと向かう。
――その日の夜 アデル邸宅
「アデル様、うまく事が運び、めでたい限りでございますな。わははは」
恰幅の良い男性が丸い腹を揺らしながらアデルに笑いかける。
アデルは男性の揺れる腹を見ながら一瞬間を置き、
「ああ、お前の提案に従い、食料を買い占めたのが功を奏したようだ。リューネブルク公爵家の旧臣どもはようやく俺になびき始めた。奴らに恩を売ると同時に赤毛の小僧に難民を押し付けるとは、商人とは実に頭が切れる生物だな」
と言うと、グラスに注がれた葡萄酒を飲み干す。
「金勘定しかできない商人の唯一の取柄でございます。アデル様がわしから食料を高値で沢山購入していただいたおかげで、こんなに腹が膨らみました。今後ともよろしゅうお願いします」
商人は腹を叩きながら、アデルの空いたグラスに葡萄酒を注ぐ。
アデルは旧国王の遺産を担保にこの商人から大量の金を借り、食料の買い占めに充てた。この商人はアデルの代理として食料の買い占めを取り仕切り、その際に自らの食料を販売することで利益を上げたようだ。
「さて、次はどう出るべきか。お前の意見を聞きたい」
「そうでございますなあ。そういえば、アルビオン大佐は特定の商会と懇意にしていると聞いております。わしと仲間がその商会へ食料を卸すのを止めるというのはどうでしょうか? 彼が領主代行を務める領地はたちまち食糧難となります」
「なるほど、領民が飢えて死ぬも良し、暴動が起きて殺し合うも良し、赤髪の小僧の評判は地に落ち、王国の恥さらしとなること間違いないな」
アデルは商人の話を聞き、愉快そうに葡萄酒を口に含む。
「わしのご提案には続きがございます。食料が手に入らずに困り果てたときにアデル様が食料をお譲りになるのです。しかも、市場より高い値段で。アルビオン大佐が屈辱の表情に顔を歪め、跪く様を見るのは爽快ではございませんか。さらに、彼の資金を搾り取れますので、完全に再起不能となります」
「うむ、それはさらによいな。その案で進めてくれ」
興奮して話す商人を満足気に見ながら、アデルは葡萄酒を飲み干す。
「それにしても、アデル様がそこまで執着なされるとは……アルビオン大佐はそれほどまでに厄介な相手なのですか?」
「うん? ああ、赤毛の小僧が義妹に加担してからすべてが狂い始めた。奴さえ排除できれば、シュバイツ伯爵や義妹など敵ではない……必ず倒してやる」
アデルは虚ろな表情で呻くように叫ぶ。
「アデル様、飲みすぎですわ。お薬も飲まなくてはなりませんし……今宵は開きにされてはいかがでしょうか?」
白エルフの女性がアデルに声を掛けると、彼は頷いて彼女へ手を伸ばす。
「ほう、わしが献上した白エルフの奴隷か。可愛がられておるようで何よりやな」
商人は白エルフの女性が着る豪華な衣装を見ながら呟いた。
「はい、先の戦役で敵国の奴隷商に捕らえられた際には死を覚悟しましたが、今はアデル様の元で幸せに暮らしております。貴方様には感謝しております」
彼女は礼を言うとアデルの手を両手で包み込むように握りしめた。
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