4.1.9 自由の新天地

――王国歴 302年 下春 アニュゴン領 主都


 人口二百万計画‟自由の新天地フリーダム・ニューワールド”を発動し、都市計画本部を新規設立した。移民局、資源開発局、法務局、区画整備局、技術開発局が本部に連なる。自治領主代行である俺を本部長とし、副本部長に秘書、副本部長補佐にカロルを任命した。約三百名の職員が、五十のプロジェクトを推進する。


 職員の構成は、街出身の者と師匠おばば縁故コネで集めた者が半々だ。街出身の者は読み書き計算は得意だが、いかんせん経験がない。それを補うため、行政官の知識と経験を豊富に持つ年配者を集めた。


――料理店の個室


 本部設立のお祝いと慰労を兼ねて、俺の家族、秘書とカロルで昼食会を開いた。人族が経営する人気店をカロルが予約してくれた。


「いい匂いがする。食事楽しみ」

ラスタは子供用の椅子に座り、嬉しそうに目を輝かせる。


「こんな素敵なお店があるなんて知らなかったわ。カロル、お勧めは何?」

サーシャが隣ではしゃぐラスタを撫でながらカロルに聞く。


 サーシャは産後の肥立ちが悪く、ラスタの世話をしながら家で過ごす日々が続いていた。最近、顔色が良くなり、ラスタと庭で遊ぶまでに回復した。今日の食事会が出産後の初めての外出となる。


 カロルが言うにはシチューかグラタンがこの店のお勧めらしい。家族連れが多く、子供向けの料理も充実している。全員の注文が終わると水を飲み一息付く。


「そうだ、紹介が遅れた。彼女は都市計画本部の副本部長だ。実質的な運営は彼女に任せるつもりだ。訳ありでね……名前ではなく、秘書と呼んでいる」

俺はサーシャに秘書を紹介する。


 秘書は‟認識阻害”を付与した眼鏡メガネ耳飾りイヤリングを外し、

「ご挨拶が遅れました。名乗れなくてすみませんが、秘書とお呼びください」

と丁寧にお辞儀する。


「初めまして、サーシャと申します。夫がいつもお世話になります」

サーシャは秘書に微笑みかける。


《真面目で芯の強そうな方ね。若いようで年配の印象を受けるわ》

《それも訳ありでね……ほら、以前話した‟異世界の転生者”だよ》

《あら、私には貴方に似ているように感じるわ》


 俺とサーシャが念話で会話していると、秘書はサーシャを恍惚な表情で見つめる。


「見眼麗しい奥方様です。どの世界にも絶世の美女がいるのですね」

秘書は大きくため息をつきながら声を震わせて呟く。


 ‟認識阻害”は、対象からだけでなく、対象への認識が弱くなる副作用がある。‟認識阻害”の魔道具を外し、目前にいるサーシャを強く認識したため、彼女の美しさに圧倒されたのだろう。


 とは言え、出産後のサーシャは、可憐な少女から大人の女性へと成長を遂げた。白磁器のような艶のある肌、少し緩やな身体の線と張りのある乳房は、初々しくあり、妖艶でもある。夫ながら秘書が夢中になるのも頷ける。


「ところで、今の人口はどれくらいだ? 新しい移住者、発見した集落を含めれば当初より増えているはずだが」


「あ、はい、人口ですね。主都が四万、土人ノームの集落が一万、黒エルフの集落が一万なので、合せて六万になります。シュバイツ伯爵からの病人の受け入れと黒エルフの移住者の増加で人口は着実に増加しています」

秘書は我に返るとよどみなく答える。


 シュバイツ伯爵とはイザベルを通して交渉を行い、半年間の食料と共に病人を受け入れることで合意した。施術を行えば三ヵ月あれば動けるようになる。半年間の食料でもお釣りがくるだろう。


 また、軍役奴隷から解放された黒エルフのディアナが故郷の森の仲間を呼び集め、それが噂となり、黒エルフの移住者が年々増えていた。そして、ディアナから言わせると黒エルフに協力的な俺が自治領主代行となり、さらに拍車をかけたそうだ。


「しかし、月間三万人強の増加には程遠いな」

俺はため息をつく。シュバイツ伯爵領百八十万を超える二百万を目標に掲げたのは良いが、早々に挫折しそうだ。


「食料の供給に課題があるので今年は抑え気味で良いと思います。その代わりに食料自給、土木と建築の技術開発のプロジェクトを重点的に行い、急激な人口増加に耐える基礎を築きます」


 秘書の言葉は説得力がある。厳しい状況なのに彼女の言葉を聞くと安心するのはなぜだろうか……しかし、根拠のない話をむやみに信じてはならない。


「そうだな、月間三万人も増えたら今夏に飢え死にしてしまうだろう。そころで、以前話してくれた夢物語のような構想は技術的に実現可能なのか?」


研究所ラボで要素技術の検証を進めています。カロルさんも一緒です。夏には実証実験に移行しますのでその時にお見せします」


「彼女の発想はすごいんだ。師匠が感化されて昼夜問わず研究を進めているよ」

秘書の自信に満ちた言葉を補足するかのように、カロルが興奮気味に話す。


「あら、食事が来たわ。仕事の話は一旦終わりにしていただきましょう」


 サーシャの一声で俺達は我に返り、個室の入口に目を遣る。すると、給仕がお辞儀をしながら食事を運び始めた。


◇ ◇ ◇ ◇


「濃厚で奥深い味わいが素晴らしいわ。すじ肉がこんなに柔らかいなんて驚きよ」

サーシャが美味しさのあまり驚きの声を上げた。


「お母様、美味しいね」

ラスタは口の周りにシチューを付けながら夢中で食べている。


「奥方様の献立は魔猪イービルボアのすじ肉と野菜の黒シチューですね。私も大好きです。長時間煮込むことで、すじ肉の臭みが野菜により消され、また、すじ肉の濃厚なうまみが野菜に沁み込みます。さらに、白毛牛フォルワカウ牛乳ミルクが全体をまろやかに整えています」

秘書が料理について細かく説明する。


 俺は白毛牛フォルワカウタンと野菜の白シチューを食べながら秘書の説明に耳を傾けていた。


「領主代行様、‟自由の新天地”の到達点はこのシチューだと私は考えています。人族、亜人、魔人が短所を補い、長所を伸ばすような領地を実現したいのです」

秘書の言葉にカロルが大きく頷く。


「それがこの店を選んだ理由か……この策士め。たしかに、俺が最初に主張した‟富国強兵”では実現できない領地だな」


 俺と秘書は計画の名称について議論を重ねた。俺は‟富国強兵”——人口増加による税収を軍事費に費やし兵士の量と質を高める――を押していた。領民の生活など考えてもいない。おそらく、領地を持つ貴族の多くが同じ考えだろう。


 兵が弱ければ領地は破壊され略奪される。そのため、領民の生活を盤石にするには強兵が必要という考えは揺るがない。しかし、まずは‟都市設計家”の意見を尊重することに決めた。軍事は俺が仕切ればよい。無駄な衝突は避けるべきだ。


 ただ、シチューの話を聞いて、秘書の考えの本質を垣間見た気がした。多人種が快適に住める領地を作らなければ、‟富国”も‟強兵”も成し得ないということか。


「仕事の話は一旦終了と話したはずよ。難しい顔しないで食事を楽しみましょう」

「お父様、ひちょさん、駄目ですよ」

サーシャとラスタに注意され、俺たちは笑いながら食事を再開した。

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