3.4.8 叶わぬ願い

――王国歴 301年 中夏 エクセバルト公国 迎賓館


 カロルとエミリアが分厚い紙束を抱えて王女の部屋へ入る。


「シャーロット様、公女様から資料が届きました」

「あら、待ちかねたわ。そちらの長机テーブルへ積み上げて頂戴」

 

 眼鏡を掛けて資料に目を通しながら声を掛ける。昨日届けた資料を右から手に取り、時々メモを取りながら左へと移す。右に置かれた未読の資料は残り僅かだ。


「もう少しで前の資料が読み終わるから待ってね」

「畏まりました。なお、この資料で最後と報告を受けています」


 エクセバルト家は両国の王族と貴族の冠婚葬祭を取り仕切るため、家系図、誕生日、婚礼日、健康状態、先天性疾患に至るまで情報が集まる。とある条件と引き換えに、それらを特別に閲覧する許可を得たのだ。


 この情報は今後の戦略に大いに役立つわ。欲するものを手に入れた喜びに興奮しながら、この数週間、ひらすら資料を読み、メモを取り続けていた。


「何を書いているのか私には分かりませんが、すごい量ですね。差し出がましい申し出で恐縮ですが、休憩を取られてはいかがでしょうか?」

カロルは穏やかな口調で話しかけるが、心配そうな様子が伺える。


 彼に声を掛けられ、我に返ると耳の付け根が痛いことに気づいた。暗号化された文字を解読するための眼鏡を掛け続けていたからだわ。眼鏡を外して、耳を揉んだあと大きく背伸びをした。


「そうね、前の資料を見終えて一区切りついたから休もうかしら」

「それでしたらエミリアに紅茶とお菓子を用意させます」

エミリアはカロルに頷くと私にお辞儀して退室した。


 彼に長椅子ソファに座るよう促し、自らも腰を下ろして一息つく。


「……暗殺者の襲撃はまだ続いているかしら?」

「いえ、公国に滞在してからはピタリと止みました」

 

 アデルがいくら厚顔無恥でも公国の迎賓館は襲撃しまい。彼の悔しそうな顔が目に浮かぶわ。次期国王が即位し、新体制が発足すれば、これまでのような露骨な手は打てなくなる……もうしばらくの辛抱ね。


「峠は越えたみたいだわ。貴方たちのこれまでの働きに感謝します」

「王女様のお役に立てて光栄です。王都まで引き続き万全を期して護衛いたします」

カロルは静かに胸に手を当てて誓いを立てる。


 この子は真面目で丁寧に仕事をするけれど何か物足りないわね。距離が縮まらない感じがするわ。困らせてみたい……けど、どうしようかしら。


「ところで、あなたとエミリアとはどういう関係なの?」

「エ、エミリアですか? 突然の質問ですね……上司と部下の関係です」

「ふーん、個人訓練プライベートレッスンに熱心な上司ですこと」

 

 私は意味深な表情をして彼にエミリアとの関係を聞いた。呪いが解けてから身体機能を回復させるため、カロルとエミリアの訓練に参加したことがある。その時から二人に興味を抱いていたの……ほんの少しだけど。


 顔を赤くすると思いきや、彼は目線を落としたまま事情を説明し始めた。黒エルフの軍役奴隷として戦場にいた彼女をザエラが解放したこと。他の黒エルフは退役したが、エミリアは自分を慕い軍人になる決心をしたこと。


 ……重い話だわ。私は小休憩の合間に彼の照れる顔を見て、青い恋話でも聞ければそれでいいのだけど。嗚呼、キュトラがいれば私の気持ちを察してくれるのに。


 でも、彼女は私に内緒にしてザエラの子を孕んだわ。私への裏切りだけど……仕方ないわね。病気になり遠方の診療所へ送られるのを私は見ていただけなのだから。心を許せる者がいないというのは寂しいものね。


「貴方は優しすぎるわ。彼女への訓練は護身術程度の内容。戦場で戦うことはできないわよ。中途半場に教えるくらいなら軍人になることを諦めさせたら?」


 あ、しまった。感じたことを思わず口走る自分に舌打ちした。これは二人の問題だ。私が口を挟む事柄ではないわ。


「……そうですね。僕に迷いがあるのだと思います。はっきりさせないと……」

カロルは神妙な面持ちで頷くと考え込んだ。


 しばらく沈黙が続いた後、エミリアが扉を叩く音が響いた。


――シュレイム大聖堂 地下室


 ソニア公女からの情報提供の見返りとして俺は彼女に貸し出されていた。


「あぁ、もう、やめるぞ。四属性魔法が使えないとはこの身を呪うぞ」

ソニア公女に宿る魔人はベットに身を投げ、大の字になり叫ぶ。先ほどから四属性魔法の詠唱を試して失敗が続いていた。


「そのような大声を上げては正体がばれてしまいますよ?」

「父上と取り巻きは新国王即位と現国王の葬式の打合せのため王都へ出向いておる。ここには私の手下共しか残ってはおらぬ。安心するが良い」


 だから、彼女は急いで王女を招待し、俺を利用して身体を支配したのか。執事の落ち着いた様子も彼女の手下ならば納得がいく。


「人族はスキルと職業により使える魔法が異なります。鑑定はお済でしょうか?」

「職業は司教ビショップ。スキルは光・闇・聖・黒属性の魔法を覚えておる」


 さすが大司教を務めて来た一族。光と闇そして概念魔法をスキルとして覚えているとは。しかし、司教は魔導書を読んでも四属性の魔法は習得できない。


「以前のお身体とは勝手が違いますか?」

「うむ、四属性魔法を自由に操り、槍一本で数多の敵を倒して来た。糸を操り死角から魔法と槍で敵兵を瞬殺する様は我ながら見事であった」

彼女は昔を懐かしむように遠くを見つめる。


「糸ということは蜘蛛の魔人アルケノイドでございますか?」

「どうだろうな。お前を生んだ種族とは因縁はあるが同種ではない」

 

 彼女が姿を変えたとき、髪の毛と瞳の色が同じ赤色をしていた。それなのに種族は異なるのか……因縁という言葉が気になる。


「……因縁というか呪いの一種だな。まあ、そんなことはどうでもいい。お前の質問に答えてばかりではつまらぬ。次は私から質問だ。こちらに来い」


 ベットの仰向けのまま手招きをする。近づくと腕を取られベットへと押し倒される。彼女は目を輝かせて俺の上半身を裸にした。


「お前の経歴は調査済みだ。女系魔人アルケノイドの母親から生まれた人族の男というだけで稀有な存在だが、さらに混魂魔法の使い手とは……しかもそれだけではあるまい」


 彼女は俺の首筋から胸の中心へと指を這わせ、手のひらを胸に当て魔力を流し込む。体内にある魔石が共鳴し、痺れるような快感が魔石から身体全体へと広がる。


「この娘は魔力制御に優れていてな。気持ち良いであろう。ふむ……やはり、魔石もあるか……それも二つ。つくづく、恵まれた身体に転生したお前が羨ましい。以前のような強く美しい魔人に戻れぬものか」


 外装魔石まで見破るとは魔力制御は俺と同等の能力のようだ。しかし、魔人に戻る方法か……無きにしもあらずだがどうしたものか。


「もし、その手段を我々が提供できるとしたらどうしますか?」

「この娘の立場を最大限に活用してお前たちの望みを叶えてやる」

彼女は俺に覆いかぶさり、顔を近づけて吐息と共に呟いた。

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