3.4.5 水面の揺らぎ

――王国歴 301年 中夏 シュバイツ伯爵家


 眩しいな……俺は約一月振りに地下牢から出された。湯浴みをし、軍服に着替え、顔を整える。水に反射し輝く光すら耐えがたく、目を瞑り、支度は侍女に任せた。


《兄さん、こんなにやつれてしまうなんて。何一つ力に成れなくてごめんなさい》

カロルの念話が聞こえる。シュバイツ伯爵が俺に危害を加えないように監視してくれているのだろう。


 後日、王女から聞いた話だが、彼は俺の投獄を知ると怒りを露わにし、地下牢を襲撃するために騎士団員を招集したらしい。彼女自ら出向いて思い留まらせたそうだ。


《心配かけたな。ところで首尾はどうだ、暗殺者はまだ現れているか?》

《毎日のように襲撃がありますが、容易に撃退できています》

 

 戦場を出立してからも暗殺者の襲撃は続いていた。戦場では何者かが暗殺者を殺していたが、移動中は現れることなく、カロルとフィーナ隊が対処していた。彼らに死者は出ていないが、白エルフの警護隊から多数の死傷者が出たと聞く。しかし、カロルによると、最近は暗殺者の質が低下しているそうだ。


「さあ、伯爵様と王女様がお待ちかねです。どうぞ、こちらへ」

侍女の声に促されて、目を薄らと開けて廊下を歩き始めた。


◇ ◇ ◇ ◇


 俺が応接室に入るとシュバイツ伯爵と王女が既に着席していた。シュバイツ伯爵は不機嫌な表情を見せることなく落ちついた様子だ。王女に促されて椅子に腰かける。


「昨日、軍部からお主に書状が届いた。大佐へ昇進だ。敵軍の副大将であるミハエラ中将を捕縛し、降伏させたことが高く評価されたとのこと。わらわからも褒めて遣わすぞ」

王女は椅子に深々と腰を沈ませて満足気に俺に声を掛ける。


 投獄されて会わない間に見違えるほど王女は成長していた。全身に筋肉が付き、顔の表情も豊かだ。自信に満ちた姿からは王家の威厳さえ感じられる。俺は頭を下げて彼女に感謝を述べる。


「叔父上から何かないのか」

王女はシュバイツ伯爵に顔を向けて問いかける。


「……」

彼は口をもごもごと動かしているか声は聞き取れない。


「叔父上!! 事前に話したではありませんか」

彼女は机を叩いてシュバイツ伯爵に迫る。


「ふう……そうだな。アルビオン大佐、その若さで一兵卒から大佐まで昇進するとは驚くべき才覚であることは認める。また、元老院の伝手で調べたところ、次期国王と目されているシュナイト公の覚えも良いと聞く。投獄したことは……詫びる。今回の出来事は内密にしてほしい」

シュバイツ伯爵は覚悟を決めた表情で俺へ謝罪する。


「叔父上の妹、私の母親は、既婚にも関わらず、現国王の側室として無理やり奪われてな。彼は人族の男性に不信感を募らせているのだ。理解して欲しい」

王女は彼の怒りの背景を補足する。


「伯爵様に謝罪を受けるなど畏れ多いことでございます。元々は私の不手際でございますので、決して口外することはございません」


 平民の俺に伯爵が謝罪するなど通常ではあり得ない。よほど、王女に説得させられたのだろう。これで幕引きとなるのであれば、こちらも拒否する理由はない。


「それでは本件はこれで終了としたい。ただし、キュトラと貴方様の関係については認めることはできない。失礼だが、平民に伯爵家の娘では釣り合いが取れないのだ。腹の子供は里子に出すつもりだ。命は取らないので安心して欲しい」


「……どうすれば釣り合いが取れるでしょうか?」


 平民との子供を忌み嫌う彼の言葉を聞き、怒りで身体が熱くなる。貴族とはこうも体面ばかり気にする輩ばかりなのか……俯いたまま声を押し殺して問いただす。


「うん? そうですね……将爵の爵位を得られたら考えて差し上げます。過去に例はございませんが、貴方様なら成し遂げられるかもしれません。しかし、すでに娘が嫁いでいた場合はご容赦願います」


 彼は真面目に丁寧に答える。俺が怒りに気づいていないのか、気づいていない振りをしているのか……おそらく前者だろう。

 

「さて、予定を変えて明後日にこの地を経つ。急ですまないが、アルビオン大佐には出立の準備を至急相談したい。先にわらわの部屋へ行き、しばらく待つがよい。叔父上と話をした後にそちらに向かう」


 王女の言葉で俺は気持ちを切り替え、二人に会釈をすると部屋を後にした。部屋の外にはカロルが待機し、王女の部屋へと案内してくれた。


◇ ◇ ◇ ◇


「ザエラ様、ご無事でしたか」

 

 王女の部屋に入るなり、キュトラが俺の胸へと飛び込む。目の前には彼女の心配そうな顔が迫る。


「ああ、なんてことはない。キュトラこそ大丈夫か? 少し痩せたようだが」


 髪を撫でながら声を掛けると俺の手を取り頬に寄せて微笑む。薄化粧をしたその表情は戦場で共に過ごした頃と変わらない。


「お腹の子に私の栄養が吸い取られているようですわ。ザエラ様、この度は申し訳ありませんでした。貴方との子供が欲しくて嘘をついてしまいました」


「どうして私なのだ……私は所詮、平民の子だ。しかも母親は魔人だ。シュバイツ伯爵の反応も容易に想像できたのではないか?」


 自分の出生を卑下するつもりは毛頭ないが、貴族からすれば避けるべき相手だろう。彼女が貴族である以上、それは分かるはずだ。


「父上は貴族の面子しか頭にない人です。私が魔力循環不全を発病したことを知るやいなや、彼は私の名字を変えて遠く離れた部隊の病院へと送り込みました。おそらく、私が助からないと判断し、切り棄てたのでしょう」

キュトラは寂しそうな表情を見せて淡々と話を続ける。


「そのような絶望な最中にいる私は貴方に救い出されたのです。貴方に好意を寄せ、貴方との子を産みたいを願うのは自然の流れです」

彼女は俺の手を頬から離すと膨らみを帯びた下腹部へと誘う。


「この子は里子になど出しません。私が立派に育ててみせます。私などお気になさらずにご自身の栄達を邁進ください」


「必ず出世してお前と子供を迎えに来る」

キュトラの健気な言葉と笑顔に耐えきれず、もう片方の手で彼女を抱き寄せた。


◇ ◇ ◇ ◇


 その日の夜、王女とキュトラは二人で話をしていた。


「ザエラ様と話す機会を設けていただきありがとうございます」

キュトラは王女にお礼を言う。


「それはそうと、彼と子供を作るなんて計画外よ。どういうつもり?」

王女はキュトラに顔を近づけて小声で理由を問う。


「彼と縁を結びたくて……私情に流されるとはお恥ずかしい限りです」

彼女は目を逸らして恥ずかしそうに俯く。


「それが本当に理由なのかしら……いつの間にか叔父上の直系は貴方とお腹の子供だけね。父親への復讐なのかもしれないけど、欲を出しすぎると後悔するわよ」


「よくお腹を蹴るので、この子は男の子かもしれませんね」

真顔で忠告する王女へ彼女は笑顔で答えた。

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