3.3.58 迷猫(2)(レナータ)

――王国歴 301年 晩春 貴族連合討伐軍 レナータ陣営

――契約を終えたシルバたち鬼人部隊がアルビオン騎士団へと合流する前日


ラクシャはエイムス少将と模擬戦に興じる。辺りには木刀が交わる音が響き、二人の額には大粒の汗が噴き出る。その様子をレナータ公女は見つめていた。


「二人とも楽しそうね」

レナータ公女は思わずため息を漏らす。停戦協定が締結された後、彼女は暇を持て余した。それを知ってか、知らずか、ラクシャから見学しないかと誘われたのだ。


レナータ公女は二人の仲が良いことを知り驚いた。しかし、それ以上に、感情露わに剣を振るうエイムス少将の姿に驚いた。彼は常に冷静で表情を変えない人物という印象がこびりついたいたのだ。


「エイムス様、お疲れ様です」

レナータ公女が汗を拭くための厚手の布を渡す。顔から首筋に流れる汗をぬぐうエイムス少将の仕草に思わず見惚れていた。


「おい、忘れているぞ」

ラクシャは不満そうにつぶやく。レナータ公女は彼に駆け寄ると顔に布を被せて汗を拭きとる。彼女が布を取ると、「ふう」と言いながらラクシャは頭を左右に振る。


(無邪気にふるまうラクシャとも今日でお別れか……)

レナータ公女はラクシャの乱れた髪を手櫛で整えながら、彼のいない明日からの生活に不安を感じていた。


◇ ◇ ◇ ◇


三人で昼食を済ませた後、レナータ公女は二人の前に立ち歌い始めた。今日が特別というわけでなく、剣術の鍛錬に誘われた日はいつもこうだ。食後に紅茶を飲んでいると、彼女の歌を聴きたいとラクシャが言いだすのだ。


エイムス少将が穏やかな表情でレナータ公女の歌に聞き入る隣で、早くもラクシャは眠り始めた。彼女は歌を止めて、侍女からひざ掛けを受け取り、彼に掛ける。


「私の歌を聴くとすぐに寝るんだから」

ラクシャの寝顔に近づいて声を掛ける。さりげなく匂いを嗅ぐと、汗と太陽の香りが彼の髪から漂う。


「今日は眠りだすのが特に早いですね。……明日から彼がいなくなるとさみしいくなります。レナータ様はいかがですか?」

エイムス少将はラクシャを横目に見ながらレナータ公女に問いかける。


「わたくしも同じ気持ちです。気が滅入りそうな日々でしたが、彼の自由に振る舞う姿に何度も心を癒されました。でも、教えたことはちゃんと覚えて、公の場では凛々しい騎士でしたわ。捕まえどころのない不思議な方……」

と言いながら、彼女は涙ぐみ声を詰まらせた。


「レナータ様、この度は申し訳ありませんでした。王位選定への参加を強引に迫る父を止めることができませんでした。社交界で心穏やかに過ごされていた貴方をこのような戦場へ招くなど、狂気の沙汰です」

エイムス少将は床に膝を立てて頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。


「頭を上げてください。国政を王家から奪うことは元老院の悲願。貴方の父上も私の両親も彼らに踊らされていただけです。私たちは婚約者とはいえ、親が決めたもの。貴方が罪の意識に苦しむことはありません」


「それは違うのです。以前から貴方の歌をそして貴方を好いておりました。彼が貴方に庭に現れた日も実は隠れて貴方の歌を聴いていたのです」

エイムス少将は頭を上げてレナータ公女を見つめながら告白した。彼女は驚き、そして恥ずかしそうに俯く。


「それは嬉しゅうございます。正直を申しますと、婚約者である貴方とは距離を感じておりました。しかし、鍛錬での生き生きとしたお姿を拝見し、食事でお話をする内に、貴方の豊かな表情と優しいお言葉に心惹かれておりました」


「王位選定が終われば、正式に結婚を申しこみます。このようなことを二度と繰り返さないように、貴方を精一杯お守りいたします」

と言うと、エイムス少将はレナータ公女の手を取り互いに見つめあう。


ラクシャは薄っすらと瞼を開き、二人の様子を見ながら心の中でつぶやく。

「最後の日にようやく告白か。面倒だな」


◇ ◇ ◇ ◇


「よく寝た。そろそろ帰る」

ラクシャはあくびをして立ち上がる。そして、無造作に籠から何かを取り出し、レナータ公女に渡す。青い瞳の猫が彼女の腕の中に飛び込む。


「それやる。ヴェルナがいうには俺に似ているらしい」

黒と白のまだら模様の猫は、青い目を吊り上げてレナータ公女を睨みつける。


「ありがとう。大切に育てるわ」

レナータ公女は猫を抱きしめながらお礼を言う。ラクシャは頷くと踵を返しその場から離れる。


「おい、従者をそちらに寄越すから、たまには遊びに来いよ」

エイムス少将の叫びにラクシャは背中を見せたまま手を挙げて答える。


「レナータ様、守護騎士の主従契約は破棄されないのですか?」

「いいのよ。守護騎士は解任したけど繋がりを残したいの……首輪みたいなものよ」

レナータ公女とエイムス少将はしばらくラクシャの後姿を見つめていた。

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