3.3.9 迷猫(レナータ)
――王国歴 301年 晩冬 貴族連合討伐軍 ローズ公爵家陣営
ローズ公爵家陣営との面会は密やかに深夜行われた。事前交渉の取り決めに従い、ザエラおよびジレン、ラクシャ、ヴェルナ(ゴンズ)の鬼人三名が本陣を訪れる。
本陣の床には魔法陣が設置され、中央に台座が備え付けられていた。十数名の司祭が魔法陣を取り囲むように等間隔に円形に並び、台座の上では金の装飾が施された法衣を着た高位の司祭が祈祷を捧げている。
彼らが本陣に入るなり、一人の将官が近づいてきた。
「私は本陣営の副大将、マッカーソン・フォン・エイムスだ。階級は少尉でマッカーソン騎士団に所属している。貴殿たちの到着を待ちわびていた。レナータ様の容体が急激に悪化し、ことは急を要する。直ちに契約魔法を締結するので、アルビオン中佐は契約書の確認を至急頼む。鬼人三名は祭壇で司祭長の指示に従ってくれ。私は、ローズ公爵夫妻様とレナータ様をお連れしてくる」
と言いいながら、ザエラに契約書を手渡すと再び本陣の奥へと姿を消す。
ザエラは契約書に目を通し始め、鬼人達は祭壇へと移動する。
しばらくすると、痩せこけて虚ろな目をした女性がエイムス少将に抱き抱えられて現れる。その女性の名はレナータ・フォン・ローズ。ローズ公爵家の長女で王位候補者の一人だ。その後ろから中年の男女、ローズ公爵夫妻が続く。エイムス少将はレナータ公女を祭壇の椅子に腰かけさせる。両手は拘束され、口枷をはめられている。
レナータ公女は美しい歌声を持つ声楽家として知られ、戦争とは無縁な社交界で活躍していた。しかし、王位選定が始まると生活は一変する。王位候補者として戦場に引きずりだされ、無我夢中で血族魔法により多数の敵兵を殺した。罪悪感からか、次第に食事が喉を通らなくなり、部屋でふさぎ込む日々が続いた。時々、大声で叫びながら暴れだすため、拘束具で体を固定されている。
法務大臣を歴任するローズ公爵家は、契約魔法に精通している法務省の司祭長に打開策がないか相談した。司祭長からは契約魔法による超回復、身体強化および精神耐性のスキル獲得が提案された。冒険者ギルドにスキル保持者の募集を依頼するところを身辺調査をしていた
エイムス少将は再びザエラへと歩み寄ると、
「ローズ公爵様はお疲れのご様子なので挨拶は不要だ。契約書の確認は済んだか?」
と慌てた様子でザエラに声をかける。
契約書には、ジレンとシルバの元盗賊団全員の恩赦と
「記載事項に相違はありません。私の署名と血の儀式は終わりましたので、ローズ公爵様の契約を進めてください」
と言いながら、ザエラは契約書をエイムス少将へ返却する。
エイムス少将は契約書をローズ公爵の元へと届ける。この契約書の締結が終わると、祭壇でスキル移譲の儀式が執り行われる。
(こんなに良い条件で取引できるとは、運が付いているな)
罪人への恩赦と魔人の敵性判断は法務省の管轄であり、法務大臣だからこそ対処できる案件だ。さらに、指定されたスキルを高確率で保持しているのは、敵性魔人を除くと鬼人ぐらいだろう。これらが絶妙にかみ合いうことで実現できた契約であり、ザエラは満足していた。
司祭長の詠唱が始まり、魔法陣を囲む神官のそれが後に続く。床の魔方陣から放出される光が祭壇を包み込み始めた。
◇ ◇ ◇ ◇
(……ここはどこだ?また、道に迷ったようだ)
早朝の自主訓練を終え、宿舎へ帰る途中に道に迷い、ラクシャは途方に暮れる。
ジレン隊はローズ公爵家陣営を支援することになり、本陣近くの野営地を割り当てられた。譲渡元のスキル保持者が死亡する
(適当に歩いていればそのうちつくだろう。しかし腹が減ったな)
ラクシャは手で腹を抑えながら当てもなく彷徨う。
黙々と歩き続け、大きな木造の建物の側を通り過ぎようとしたとき、微かにしかし耳に残る歌声が聞こえてきた。いつもなら気に留めもしないが、なぜか歌声が聞こえる方へ足が進む。気づくと建物に囲まれた中庭のような場所に佇んでいた。彼は目を閉じて木にもたれ、歌声に耳を傾ける。その歌声は合唱のように複数の音域の声が重なり調和している。
(心地よい
ラクシャは木にもたれたまま目を閉じると、居眠りを始めた。
「ドスン」、ラクシャは木からずり落ちて地面に倒れる。
「そこにいるのは誰?」
建物の縁側から身を乗り出した女性がラクシャを見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「私の歌を聞いて眠たくなって木からずり落ちたのね、可笑しいわ」
縁側に腰を掛けた女性は面白そうに笑う。目の前にはラクシャが片膝を付き控える。
(まるできれいな捨て猫みたいだわ)
銀髪で青い目をした鬼人を見つめながら女性は思う。少しでも手を伸ばせば、逃げ出してしまいそうだ。透き通るような青い目は女性を捉えて離さない。
「おまえ、一人で歌っていたのか?合唱かと思った」
唐突にラクシャは口を開く。
無礼な言葉遣いに思わず剣を抜こうとする警備兵を制しながら、
「私一人よ。‟並列詠唱”のスキルを使うと複数の音声を同時に出せるのよ」
と女性は笑顔で答える。
「そうか、おまえの歌が気に入った」
女性を見つめながら、ラクシャは無表情のまま喋る。
「ふふ、お褒めいただきありがとう。迷子の子猫君はどこから来たの?」
女性は嬉しそうにラクシャに話しかける。
「ラクシャだ。迷子だが子猫じゃない。もう帰るぞ」
ラクシャが立ち上がると、お腹から空腹の音が響く。
「待ちなさい、お菓子を出すから隣にお座り」
彼女は立ち去ろうとするラクシャを呼び止め、隣の床を手で叩く。
お菓子という言葉に反応し、警戒しながら女性に近づくと、
「俺は汗臭いぞ」
と言いながら隣に座る。
お菓子が出されると女性に背を向けて口に頬張る。
「お味はどうかしら?こちらを向いて頂戴」
女性は背負向けて無言で食べ続けるラクシャに声を掛ける。
「甘くてうまい。しかし、皮が硬くて喉を通らない」
ラクシャは振り返ると口をもごもごさせながら喋る。
「あはは、それはお菓子の包み紙よ。食べれる訳ないでしょう」
女性はラクシャの膨らんだ両頬を指さし笑い出す。
女性の笑い声に反発するかのように、
「いや、香ばしくてうまい」
と言いながら、ラクシャはごくりと飲み込む。
女性は涙を流しながら笑い続ける。控えの侍女たちはその笑い声に驚いた。その女性はスキル譲渡を受けたレナータ公女だ。聖魔法による回復治療を同時に受けると、次の日から食欲が戻り、数日で外見は完全に回復した。しかし、表情乏しく中庭に向かい寂しく歌い続ける日々が続いていた。
「もう帰る。そういえば、俺の他にもう一人、中庭でお前の歌を聞いていた」
「あら、誰かしら。警備兵に貴方の宿舎まで案内させるわ。また、遊びにおいで」
ラクシャは挨拶もせずに飛びだすとすぐにレナータ公女の視界から消えた。
◇ ◇ ◇ ◇
ザエラの元へローズ公爵から書簡が届いたのは、二人の出会いから数日後だ。
「この戦役が終わるまでラクシャをレナータ公女の
ザエラは驚きを隠さずにサーシャへ声を掛ける。
「あら、鬼人が王族の娘と守護契約を結ぶなんて聞いたことがないわね」
「書簡によると彼はレナータ公女のお気に入りとのことだ。彼と一緒にいるときだけ娘が笑うので、守護騎士として側仕えさせたいそうだ」
「私たち騎士団にも名誉なことだし、公爵家の頼みとあれば拒否はできないわね」
「そうだね、念のためにシルバとヴェルナに様子を聞いてみるよ」
二人に聞いたところ、毎日、彼はレナータ公女の使者に連れられて彼女の屋敷を訪れているそうだ。ラクシャはあまり多くを語らないが、守護騎士になることはレナータ公女からお願いされて承諾したと話している。
(無理やり任命されている様子ではないので大丈夫だな)
ザエラは早々にラクシャの守護騎士への任命についてお礼の返信した。
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