第三章 王位戦定(開戦前)
3.3.1 帰郷
――王国歴 301年 仲冬 アニュゴンの街
年明け早々にアルビオン騎士団はアニュゴンの街に帰還した。これから約二カ月の休暇が始まる。仮入団したヒュードル大尉の部隊とはザルトビア要塞で別れた。今頃は故郷で家族と休暇を楽しんでいるだろう。
粉雪が降る中、アルビオン騎士団一行は積雪を踏みしめながら静かに街中を進み、中央の広場へ集合する。沿道には街人が並び、白い息を吐きながら部隊の行軍を見つめていた。街出身の者は知り合いを見つけると手を振り、初めて訪れる者は珍しそうにあたりを見渡す。
ザエラは広場に全員が集合したのを確認して、
《長期間の任務ご苦労だった。本日から二ヶ月の休暇だ。英気を養うように。この街に知り合いのいない者は宿を用意している。街長が案内するから広場に待機してくれ。では、解散とする》
と労いの言葉と共に現地解散を念話で伝える。
アルケノイドとホブゴブリンは出迎えの家族や知り合いの元へと駆け寄り、街中へと消えて行く。鬼人と黒エルフそしてベロニカとソフィアが広場に残る。
「皆様お疲れさまでした。
街長が声を掛けると、居残り組が二人の元に集まる。
「詳しい話はあとで聞かせておくれ」
二人はそう言い残すと居残り組を引き連れて歩きだした。
サーシャが家へと戻ると、残りはザエラの家族だけとなる。
オルガはザエラの顔を心配そうに見ながら、
「ザエ兄、うちらも家に帰ろう……顔が赤いけど大丈夫か?」
と声を掛ける。
「大丈夫だよ。寒いから急いで家に帰ろう」
ザエラは明るく答えて、皆と共に家路へと急ぐ。
しかし、ザエラは数日前から発熱と関節に痛みを感じ、気力で我慢していた。自宅に到着すると、玄関で意識を失い倒れた。その後、丸二日、ベットで眠り続けた。
◇ ◇ ◇ ◇
「お兄様、熱いので気をつけてください」
実妹のティアラが食事を運んで来た。
ティアラは脇机に食事を置くとザエラの額に手を当てた。ひんやりとした手の感触が額に広がり心地良い。
「まだ、熱がありますね。無理してはだめですよ」
まるで子供に言い聞かせるように注意する。
商人見習いとしてアニュゴンの街を後にしたとき、泣いて別れを惜しんだ幼子が今年で七歳になる。目は好奇心に満ちて輝いているが、大人になるにつれて優しい顔立ちの母さんに似てきた。
ザエラは読みかけの書物を閉じて食事を受け取る。黒パンをスープに浸し、冷ましながら口に運ぶ。懐かしい我が家の味付けだ。
「しばらく会わないうちに成長したね。街の診療所はどんな様子だい?」
「腹痛の子供から建築現場で負傷した大人まで担ぎこまれて、毎日、大忙しよ。夜は眠たくて勉強がはかどらないの……朝起きると医学書を枕にしているわ」
ティアラは聖魔法が得意で独学で医術を学び、街の診療所で患者を診ている。来年成人したら正式に医者になるため王都の養成学校に通う予定だ。
「うちの騎士団の軍医を紹介しようか。持病のため養成学校は中退したそうだが、代々医者の家系で腕は確かだ。話を聞くといい」
「ぜひお話を聞いてみたいわ。お兄様が風邪を治した後にね」
ティアラは瞳を輝かせて喜びながら部屋を後にした。
軍医か――ザエラは溜息をついた。ラルゴとソフィアから退役の申し出を受けている。次の戦場には参加せず、このまま街に留まり、同棲を始めたいそうだ。レイデン少将が話していた、軍関係者から嘆願書が出ていた一名とはラルゴのことだ。鍛冶所の
そのため、二人の退役は軍規上、問題なく、彼個人としては新たな生活を祝福したい。しかし、後継者探しは難航していた。アイラはソフィアの助手にまで成長したが、ソフィアの代わりとなるには経験不足だ。
(聖魔法が使えて、医術に詳しい人物か……誰かいないかな)
黙々と食事を取りながら、ザエラは考えていた。
◇ ◇ ◇ ◇
体調が回復したザエラは街長の屋敷を訪れた。
「帰るたびに街が発展しているね、驚いたよ」
窓から街を見渡しながら感慨深げに話す。
「紅雲織の取引量が増えるに従い、商会が支店を出し始めてな。支店や商会関係者の屋敷を建築するため投資が始まると
街長が勢いよく喋る。表情が豊かになり、以前より若く見える。なお、
「次の目標は自治区から自治領への格上げですか」
「そうだ、自治領へ格上げされると領主として権限が増える。また、住民が戸籍登録され、国民として認められる。納税の義務は発生するが、国内の移動が自由になり、公務員や国家資格の必要な職業に就けるので是が非でも成し遂げたい」
自治領への格上げは彼の悲願でもある。なぜなら、この街に住む団員が戸籍を持てば、正規軍人として認められ、王国から給与が支給されるからだ。また、騎士団に所属する軍人が増えるため、騎士団への交付金も増額される。
今のところ、ザエラ、オルガ、カロル、サーシャ以外の団員は戸籍を持たないため、金銭的な負担が騎士団へ重くのしかかる。ザエラとカロルで考案した魔道具の売上とアニュゴンの街からの資金援助でやり繰りできているが、騎士団の規模拡大の足枷となりかねない。
「敵兵の防具を
「先ほど確認したよ。高純度のミスリル合金だ。遠慮なく街の運営資金にさせてもらう。あと、黒エルフの移住の件だが、森の廃村が使えそうだがどうする?」
ディアナたち黒エルフは今年の三月で兵役が終了する。退役後は近くの森で共同生活をしながら、街で働きたいと希望を聞いている。テレサとエミリアはみんなと別れたくないと泣いていたが、カロルが優しく言い聞かせていた。
「彼女たちを一度案内して欲しい。あと、隊員の増員はどうだろうか?」
「アルケノイドとホブゴブリンを各百名までなら可能だ。もう少し増員できるはずが予想外のことが起きたので、これ以上は難しいね」
「予想外のこと?」
「妊娠した者が数名いるのさ。儀式以外で性交渉をするのは禁止されているけど、発情期の欲情に負けてしまうんだろうね。結婚したいと言い出す者までいて困ったものだ。……ミーシャ出ておいで」
(儀式というのは何だろう……それはともかくサーシャのことだろうか)
ザエラは背筋が冷たくなり手が震え冷や汗が出てきた。
彼女は苛立ちを抑えるようにため息をつく。しばらくするとミーシャが恥ずかしそうに現れる。よく見るとお腹が膨らんでいる。
「この子もその中の一人さ。何度聞いても相手の名前を喋りやしない。一児の母親だというのに困ったものさ」
ミーシャは三年前男の子を産んだ。ザエラに続く二人目の男の子は栗色の髪の毛と赤色の眼をしていた。体に魔石があり、同じ体質を持つ子供だ。ザエラとカロルの経験を生かし、背中の魔術紋様が成長する前に魔石と魔術回路を繋げる手術を済ませている。
「母様、至らぬ娘で申し訳ありません。しかし、自治領として王国の一部となるために、人族と同じくアルケノイドにも自由恋愛と結婚を認める時期ではないでしょうか!? ねえ、サーシャと仲良しのザエラも同感だよね」
と言いながら、ミーシャは笑顔でザエラを見つめて同意を求める。
(サーシャのやつ話したな……。同類だから協力しろということか)
ザエラはミーシャの笑顔の裏にある意図を読み取る。
「他種族からの要望で結婚式場の建設は進めている。しかし、自由恋愛はだめだ。無節操な性交渉は我々一族の名を汚してしまう。まずは、性教育を徹底しないとな」
ミーシャの訴えは届かず、街長はきっぱりと自由恋愛を否定した。
その後、隊員の宿泊費用や物資の購入について話を続けた。そして、街長に挨拶をして屋敷を去ろうとしたとき、街長が耳元で囁いた。
「サーシャから話は聞いた。中佐殿なら大歓迎だ。来年こそは孫を見せておくれ」
ザエラは鼓動が早くなるのを感じながら、秘密にしていた非礼を詫び始めた。
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