3.3.2 指輪
――王国歴 301年 仲冬 イストマル王国北西部
ベロニカは粉雪が舞う強風の中を巧みに飛竜を操りながら、
《アルビオン中佐、風に飛ばされないようにしっかりと私にお捕まりください》
と防寒着を着こんだザエラに念話で伝える。
ザエラは地上から数百メルク上空を飛竜に乗り、シュバイツ伯爵領の主都へと移動中だ。ザエラとヤヌーク中尉を乗せた飛竜の後ろには、ティアラとアイラを乗せたもう一体の飛竜が続く。
(これが翼のある者たちが見る世界なのか、不思議な感じがする)
眼下には雪で覆われた森と畑が広がり、点在する村々を道路が結ぶ。生まれて初めて見る景色にザエラは子供のように興奮した。
「シュバイツ伯爵領はこの方角で間違いありませんか?」
ザエラはシュバイツ伯爵から先導役として派遣されたヤヌーク中尉に声を掛ける。
ヤヌーク中尉はザエラの背中に胸を押し付け、
「は、はい。あちらの巨木の森が伯爵領で中央に主都がございます」
と指を差しながら耳元で叫ぶ。
しばらくすると森が開けて大きな街が見えて来た。
《前方の森の中にある街が目的地だ。住民を驚かさないように静かに降りてくれ》
ザエラはベロニカに念話で伝える。
二匹の飛竜は減速すると翼を拡げてゆっくりと街の入口に降下する。ザエラ一行はヤヌーク中尉に案内されて、シュバイツ伯爵領の主都へと入城した。
◇ ◇ ◇ ◇
ヤヌーク中尉の後に続きながら街中を進んでいく。
「飛竜に初めて乗りましたが便利ですね。半日で主都に到着するとは驚きです」
ヤヌーク中尉は金色の髪と瞳で近寄りがたい雰囲気のある白エルフだが、鼻を赤くして目を輝かせながら興奮気味に喋る様子は愛嬌を感じさせる。
ザエラはヤヌーク中尉を見つめながら、
「私も初めてでしたが、可愛らしい女性と御一緒できて光栄です」
と笑顔で答えると、ヤヌーク中尉は恥ずかしそうに俯いた。
《気のある素振りをむやみにしないでください。サーシャさんに言い付けますよ》
ティアラはザエラの腕をつねりながら念話で注意する。
(実妹まで話が伝わっているのか……女の
ザエラは腕をさすりながら、心の中で呟いた。
「建築物が木材で出来ていて温かみがありますね。白エルフの皆様は手先が器用でミスリルの加工が得意と学校で習いましたが、この街の特産は何でしょうか?」
ティアラは道に面した建物に目を遣りながら、ヤヌーク中尉に質問する。
「木材の加工品とミスリルの装飾品です。この森の樹木は魔力伝導率が高くミスリルの装飾を施した魔導士の杖が有名なんですよ。後は……ミスリルと宝石を組み合わせた宝飾品ですね。街の宝飾品店で王冠から結婚指輪まで購入できますので、お時間があればお立ち寄りください」
とヤヌーク中尉は答えた後、有名なお店の場所を何件か教えてくれた。
しばらく歩くと、ヤヌーク中尉は五階建の大きな建物の前に立ち止まる。
「ここが魔力循環不全の患者が入院している病院です」
ヤヌーク中尉は目の前の建物を見上げながら言葉短く説明する。
◇ ◇ ◇ ◇
シュバイツ伯爵の書状には、兵士の提供における追加条件が記載されていた。白エルフ族に蔓延する魔力循環不全患者の治療だ。一族の最高機密のためレイデン少将には伏せられていたのだろう。しかし、王位選定への参加要請が建前と思えるほど、書状には深刻な状態が記されていた。
以前、ザエラが施術した白エルフの兵士が魔力循環不全の重症者だ。軍団規模を維持するため軽症の患者でも入隊させ、重症化する者たちが後を絶たないそうだ。実情が露見しないように重症者を騎士団から除名し、兵役が終わるまで傷痍軍人として分散させていることまで書状には書かれていた。
ヤヌーク中尉はザエラが施術した患者の一人で見違えるほど回復した。その話をシュバイツ伯爵が聞きつけて取引の提案を持ちかけたそうだ。
今回は十日間で五千人の施術を行う。効率よく施術を行うため、魔力糸を使えるティアラと、固有魔法“
病院に入ると素早く準備を整え、病室の患者に施術をして廻る。事前にうつ伏せにされた患者の背中にアイラが“除痛”を唱え、ザエラとティアラが魔力糸で魔力回路を拡張する。彼女の魔法の効果で、前回のように痛みで気を失う患者はいない。その後の処置は白エルフの医師へ引き継ぐ。
黙々と施術を繰り返していると、アイラの顔色が悪いことに気づいた。魔力切れが起きているようだ。
弱音を吐かずに堪えているアイラを見かねて、
「アイラさん、魔力切れみたいね。兄様に補給してもらいましょう」
とティアラはザエラからの魔力供給を提案する。
アイラはおびえた表情を見せて、
「嫌よ、汚らわしい……ごめんなさい。私は男の人に体を触られたくないの」
と言いながら後ずさりする。
ティアラはアイラに近づくと、優しく、しかし、しっかりと抱きしめる。
「すぐ終わるわよ」、アイラの耳元でティアラが囁いた瞬間、ザエラはアイラの背中に手を当て魔力を流し込む。「あ……あん」、アイラは恍惚な声を漏らして気を失い、ティアラにもたれ掛かる。
「今のところ順調だから、彼女が目覚めるまで少し休みましょう」
アイラをベットに寝かせて、二人は椅子に座り休憩を取る。
「しかし、ティアラが魔力糸を使えて、これほど魔力が持つとは驚きだな」
「診療所で鍛えられているわ。あと……できる兄様を持つ妹は比較されて辛いのよ」
「なーんてね」、ティアラがクスクスと笑う。
しばらく雑談を続けているとアイラが目を覚ました。
「さあ、患者さんが待ちわびているわ。再開しましょう」
と言いながらティアラは椅子から立ち上がる。
三人で寝る間を惜しんで働き、何とか十日間で五千人の施術を完了した。アイラは背中に触れられることに慣れたようだ。思わずでる喘ぎ声に頬を赤らめる様子が微笑ましい。お互いの距離が少し近づいたように感じた。
◇ ◇ ◇ ◇
戦争の準備が本格的に始まるため、一晩休息して翌日には帰路に発つ。
「兄様、急いでください。間もなく出発しますよ」
息を切らしながら街の入口まで走るザエラに向かいティアラは大声で叫ぶ。既に二人は飛竜に乗り、ヤヌーク中尉と挨拶を交わしているところだ。
「所用で遅れました。ヤヌーク中尉までお待たせしてすみません」
ザエラは飛竜に飛び乗ると、ヤヌーク中尉に謝罪する。
ヤヌーク中尉はザエラの謝罪を気に留めることなく、
「この度はお忙しい中ありがとうございました。次は戦場でお会いしましょう」
と元気よくザエラに挨拶した。
二匹の飛竜が上昇を始めると、ヤヌーク中尉は帽子を振り、「お気をつけて」と叫ぶ。三名はそれに答えるように帽子を脱いで振り、主都を後にした。
《速度を上げますので、私にお捕まりください》
ザエラはポケットの中に木箱があるのを確かめてベロニカに抱きつく。
木箱には宝飾品店で見つけた指輪が収められている。精緻な金属細工が施されたミスリルの台座に幾つものピンクダイヤがはめ込まれた逸品だ。
(サーシャは喜んでくれるだろうか)
大きな期待と少しの不安を抱きながらザエラはベロニカの背中に顔を埋めた。
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