3.2.20 水塊

――王国歴 300年 晩夏 ヒュミリッツ峠付近 ザルトビア街道


空に雲が立ち込め朝日を遮る。夜明け前の夜襲から戦い続けた特殊魔導独立中隊はザルトビア街道へと退却する。隊員たちの疲労の色は濃い。その後ろに王国直轄軍の別動隊が迫る。


ポツリ、ポツリと雨が降り始め、すぐに土砂降りとなり道路が水浸しになる。道路はぬかるみ、敵の軍馬が足を取られ進軍速度が下がる。


(恵みの雨だ、ザルトビア街道へ出るまで持ちこたえられそうだ)

《もう少しの辛抱だ。速度を上げて敵を振り切れ》


ザエラが念話で隊員を励ます一方で、敵将は魔法攻撃に対処できるよう、一定の距離を保つよう部隊に指示する。


「整備された街道にでれば足の速い我々が有利だ。敵は追い詰められて正しい判断ができないようだが油断するなよ。無理に速度は上げずに警戒して進め」

自分たちとの遭遇は彼らには想定外であり、落石や伏兵などの事前の策は準備されていないと敵将は判断していた。


その判断は正しく、ザエラは何も準備していない。仮にカロル隊が何らかの策を講じても約二十名の兵士で約四百名の敵部隊を止めることはできないだろう。しかし、今はカロルの言葉を信じてザルトビア街道目指して突き進むしかない。街道への合流地点が遂に見えた。


《街道に出たら南に向かい合図するまで駆け抜けて》

カロルに従い、合流地点に入ると進路を南にとり走り続ける。後ろからは騎兵の軍馬が水しぶきを上げて迫る。


「ピューー」

雨音に混じり笛の音が鳴る――突然、両脇から歩兵が現れ敵の騎兵へと突撃する。


龍鱗リュウリンの陣を引き、騎馬隊を押し留めよ」

街道の中央から指揮官と思われる男性の叫び声が響き渡る。


歩兵は三列となり一列目は下段に二列目は上段に盾を鱗のように並べ、三列目は前列を支える。「ゴキン」、前列の騎兵隊は突然現れた歩兵の盾に衝突し落馬する。すかさず、三列目の兵士が槍で落馬した兵士に止めを刺す。


(雨でぬかるんでいるのに鮮やかな防御陣の展開だ。一体誰が指揮しているんだ)

街道の中央へ目をやると、そこにはヒュードル大尉が雨に濡れながら、伝令兵に矢継ぎ早に指示を伝えている。


(彼は早々に帰還したはずなのにどうしてここにいるんだ?)

ザエラが麻痺止めの魔法薬ポーションを飲んでいると、カロルが現れた。


「義兄さん、無事でよかった。街道を北上するヒュードル大尉の部隊と出会い、ここまで案内したんだ。僕たちが心配で加勢に来たらしいよ」


「体が動くようになれば挨拶しないとな。ところでベロニカとは合流できたか?」


「ディアナたちに急いで向かわせているよ。川が増水する前に救助しないとね」


二人ベロニカは野営地を設営していた谷間の岩場に待機している。天幕の中で安静にしているはずだが、まだ歩けないので、増水した川に流される危険がある。


「俺たちも前線で戦ってくる」

オルガ隊は前線へと喜々として向かう。疲れていても体が疼いて来るのだろう。その後を追うようにシルバ隊が続く。


「私たちも魔法は使えないけど援護してくるわ」

サーシャ隊も前線に向かう。槍と糸を使えば妨害することは可能だろう。


(麻痺を直して俺も手伝わないとな。ヒュードル大尉に借りは作りたくない)

ザエラは二本目の魔法薬を飲み始めた。


――王国直轄軍別動隊


「敵の歩兵が現れました。敵数はおよそ五百。防御陣の展開が早く、最前列は転倒し討ち取られた模様です」


「一旦距離を取り波状攻撃を行う。魔導士は騎兵に強化魔法だ」

(伏兵だと……一騎打ちでの時間稼ぎは援軍と合流するためなのか?)

想定外の伏兵の存在を知らされ、敵将(王女)は動揺しながらも指示を出す。


強化魔法を受けた騎兵は騎兵槍ランスによる突撃と撤退を絶え間なく繰り返す。ヒュードル大尉は予備兵と交代させながら陣形を維持するが、龍鱗は次第に綻び始める。


「騎兵が防御陣の綻びから侵入に成功しました。内側から敵兵を排除します」

(内側に侵入すれば防衛陣は容易く崩れる。次こそ彼ら魔人を捕まえてやる)

騎兵隊長の報告に頷きながら、王女は防御陣を見つめていた。


しかし、半数近くの騎兵が侵入してしばらく経つが変化が見られない。むしろ、防衛陣が修復されているように見える。様子を探るために偵察兵を送り込む。


「内側に侵入した騎兵が、悉く魔人と予備兵に倒されています」

偵察兵からの報告によると、ある者はホブゴブリンや鬼人に集団で殴打され、また別の者はアルケノイドの糸で縛られて予備兵に槍で突かれ、内側に侵入した騎兵は全滅したそうだ。


(魔族と人族が共闘だと、人権のある敵国でも聞いたことがないな)


「残兵は百を切りました。撤退いたしましょう」

取り巻きの部下たちが王女に提案する。


「王室の精鋭部隊が敵の一般兵に負けることなど許されぬ。魔導士による戦略魔法で敵を一掃する。ただし、魔人たちは死んでもよいが傷つけることは許さぬ。何か策はあるか?」


「この雨量を利用して、魔法で巨大な立方体の水の塊を複数個作成し、不可視属性を付与して静かに敵軍へと降下させます。水の塊に捕らわれた兵士たちは窒息しますので傷つくことはございません。本作戦はいかがでしょうか?」

魔導士長が王女へと進言する。


「許可する」

撤退の提案は一蹴され、魔導士部隊による戦略魔法の詠唱が始まる。空には幾つも立方体の水の塊が出現し、不可視属性を付与されて透明となる。


「準備整いました。作戦を開始します」

魔導士たちは敵軍の上空へと水の塊を移動させ始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る