2.2.3 男爵との宴(2)

――ザエラ六歳 夏 アニュゴンの街 手工業ギルド設立の式典(続き)


僕たちは男爵への挨拶を終えると隅の円卓に集まる。


「ふう、やれやれ、何とか終わったな」

街長オサは扇子を開き、胸元に風を送りながら一息つく。


「母様、おつかれさまでした」

ミーシャとサーシャも合流した。


「おいくらでしたか?」

僕が街長オサに尋ねると、彼女は扇子で隠しながら四本の指を立てる。金貨四百枚ということだ。


「予算は片手(金貨五百枚)でしたので安心しました。ありがとうございます」

これでようやく苗字と戸籍が手に入る。僕は思わず拳を握りしめて腕に力を込めた。


先日、男爵が来る話を聞き、苗字と戸籍の購入の交渉を街長オサにお願いしていた。この王国は血族を重視するため、苗字は登録制だ。新しい苗字を登録するには、十数年の納税と王国への貢献が求められる。気の遠くなる話だ。苗字の売買は盛んだが、一方で詐欺も横行している。そのため、貴族から鑑定書付きの苗字を購入したいと常々考えていた。


また、戸籍がないと王国の国民と認められず軍隊に士官できない。師匠も心配していて、養子縁組の話を探してくれた。しかし、魔族に育てられた子供を養子に取ろうという人は見つからなかった。師匠の子供として養子にすることまで考えてくれたが、家族を説得できなかったそうだ。


街長オサは再び男爵に呼ばれた。僕は食事の味を確かめながら談笑していた。


「ミーシャちゃん、どう、楽しんでいる?」

顔を真赤にしたミハエラがミーシャの肩を抱く。いつの間に紛れ込んだのだろうか。しかも、正装に着替えている。


「料理美味しいね、王都のお店に負けない……とは言えないけどね、あはは」

ミハエラは葡萄酒をこぼしながら陽気に笑う。ミーシャは彼の服にこぼれた葡萄酒をハンカチで拭いて壁の椅子に座らせる。


「ふう、しょうがないわね」

ミーシャはミハエラのネクタイを揺るめて水を飲ませる。


「彼は私たちの前だと軽い感じだけど、師匠とはずいぶんまじめな様子で話し込んでいたわ。少し、あなたと似ているわね、男の人は皆そうなのかしら」

サーシャは僕の耳元でそっと囁いた。


――アニュゴンの街 手工業ギルド設立の式典翌日


ギルドの前でミハエラと別れの挨拶をする。王都に戻る商人にために馬車が用意されるので、それに便乗するそうだ。


「ザエラ、お世話になったね」

「こちらこそ、武術の訓練に付き合ってくれてありがとうな」

僕はお礼を言いながらミハエラと握手をする。彼の剣さばきを見た後に武術の指導をお願いしたのだ。ミハエラは喜んで引き受けてくれた。


「みんな筋はいいけど変な癖がついてるから、僕の助言を参考に訓練を続けてね」

と言うと、ミハエラは一人一人に挨拶をする。彼は眼が充血し、髪が乱れている。しかし、眠そうに目を擦りながらも、笑顔を絶やさない。


「キリル、イゴール、君たちは僕の指摘を素直に聞いてくれて感心したよ」

二人は恥ずかしそうに頭を掻いた。


「カロル、君は器用だから、扱える武器を増やして、状況に応じた使い分けができるといいね」

カロルはお礼を言いながらミハエラと握手する。


「オルガ、武器を使った訓練もいいけど、もう少し礼儀作法を勉強するように」

オルガはミハエラの手を強く握りしめる。彼は笑いながらも痛そうだ……


「サーシャ、槍が扱うときに重心が安定していないから、下半身を鍛えるといいよ」

サーシャは静かに会釈する。


「ミーシャ、昨日は介抱してくれてありがとう。眼帯のない素顔は素敵だった」

ミハエラはミーシャをじっと見つめる。


「髪の毛がぼさぼさでお酒臭いよ……また、遊びに来てね」

ミーシャは眼帯を外して、言葉少なくお別れの挨拶をする。


「うん、すぐに戻って来るね、みんなさよなら」

ミハエラは手を振りながら、上のほうを一瞥して馬車の乗り場まで走り出した。何気なくギルドの二階の窓に目を向けると、師匠の後ろ姿が一瞬見えた。


――手工業ギルド設立の式典から一週間後


男爵から戸籍と苗字の手続きのために彼の居城まで来るように連絡を受けた。街長オサの家族も戸籍を更新するため同行する。ただし、キリルとイゴールは留守番だ。


「それでは、あなた方の順番となりましたので、執務室へおいでください」

街長オサを先頭に僕たちは男爵の執務室へ向かう。


執務室の衛兵に案内されて中に入と、男爵は椅子から立ち上がって笑顔で隣のソファに座るように促した。


僕はすっと立ち上がり、木箱に入れた紅雲織コウウンシキをお礼に渡す。男爵はそっと受け取る。ずっしりとした重さに彼は満足しているようだ。この小箱には紅雲織コウウンシキに包まれた金貨四百枚が敷き詰められている。


「長旅でお疲れかもしれないが、早速手続きを始めましょう」

秘書がお茶を置くと同時に、苗字の権利書と鑑定書を文官が並べる。権利書は変色していて年代を感じさせる。


「鑑定書によると王国が成立するより前に作られた権利書のようだ。もちろん、今でも有効だから安心するように。儂が前任者から引き継いだときには、旧統一王国時代にこの地を収めていた伯爵家の苗字と言っておったな。まあ、似た話はあちこちにあるから真偽のほどは分からないが……」


権利書と鑑定書を読み合わせて問題ないことを確認し、権利書の持ち主変更に進んだ。権利書に設定された魔法陣を男爵が解除し、僕が新たに魔法陣を設定すると持ち主が僕に変わる。あとは、移管申請書にお互いの署名を入れ、男爵が王国に提出して承認されると移管完了となる。


「苗字は‟アルビオン”ですか」

男爵から渡された権利書に記載されている苗字を思わず口ずさんだ。‟ザエラ・アルビオン”——悪くない響きだ。


感傷に浸る間もなく、続いて文官が戸籍の手続き書類を机に並べる。僕たちは文官の指示に従い、黙々と記入する。手続き書類の記入が終わると、文官から戸籍取得による義務と権利について話を聞く。納税の義務か発生するが、身分証明書により王国内外を移動できるのが素直に嬉しい。


「これで手続きは完了だ。今日はこの街に泊まるのかい?」

街長オサが頷くと男爵はこの街一番の食事処を教えてくれた。男爵の紹介と伝えば彼のつけになるとのことだ。僕らはお礼をして、執務室を後にした。


「食事処を紹介してくれるなんて、よほどお礼の品が嬉しかったんだな」

オルガは男爵の居城から出るとすぐに軽口をたたく。


「この街一番だから楽しみだね。早速、食事処に行ってみよう」

僕たちは地図を見ながら食事処の場所を探し始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る