1.14 母の抱擁

――翌日


僕は台所に立ち朝食を作る。


普段より早く目が覚め、ベットの脇を見ると二人と二匹が寝息を立てていた。僕は改めて昨日の出来事を思い出し、彼らが起きる前に部屋を抜け出してきたのだ。


「あら、早いわね。手伝うわよ」


母さんと朝食を作りながら、昨日の出来事を話した。もちろん、人族を殺したこと、女の子が変身したことは伝えていない。


「街長のお嬢さんからも話を聞いたけど、大変だったわね。森の奥にゴブリンの住処があると聞いたことがあるわ。子供たちはそこから逃げてきたのかしら……体中傷だらけで……可哀そうに。応急処置はしたけど、ギルド長に診せたほうがいいわね」


自家畑の野菜と魔猪イービルボアの腸詰めを煮込んだポトフ、燻製肉の厚切りを敷いた目玉焼きができた。燻製肉は生肉から燻した自家製だ。人族の書物にある食材や料理を作るのが最近の楽しみだ。


「起こしてくるね」、僕は二階へと上がる。


女の子が立ち上がり、僕を睨みつける。その背中に男の子が抱き着き、両脇をゴブリンが固める。「ギィ、ギィ」とゴブリンが声を出しながら威嚇する。


「朝ご飯ができたらから食べにおいで」


僕の言葉を聞くと、ゴブリンが口からよだれを出し始めた。ゴブリンは喋れないけど、魔人語がわかるようだ。男の子も物欲しそうに僕のほうを見つめている。


僕は台所に戻り、朝食を食卓に並べて母さんとしばらく待つ。すると、ギシギシと音がして、二人と二匹がゆっくりと下りてきた。


子供たちは食卓の料理をじっと見つめる。僕は静かにうなずく。彼らは椅子代わりに置かれた薪の束に座り、恐る恐る口をつけて味を確かめたあとは、一心不乱に食べ始めた。スプーンとフォークを使わずに、手づかみで口に運んでいく。


「慌てなくてもいいから。落ちついてお食べ」

母さんは心配そうに声を掛けるが、彼らには聞こえていないようだ。


「どう、落ち着いたかい」

ひとしきり食べた後、お皿にいれたお水を彼らのそばに置きながら声を掛けた。


「なんで助けた。お願いなんかしていないぞ。捕らわれようが、殺されようが、どちらでもよかったんだ。あたしらなんか生きていても……」

女の子はお皿のお水をすすりながら、僕を睨みつけた。


母さんは立ち上がり、女の子を抱きしめた。

「大変だったわね、頑張ったね」


声を掛けながらしばらく抱きしめていると、女の子のむせび泣く声が聞こえ始めた。母さんは男の子とゴブリンも同じように抱きしめた。


その姿を見て僕は驚いた。僕は歩き始めてから抱きしめられたことがない……師匠がいつも抱きしめてくることを僕から聞いて、それを真似たのだろうか。


「これからどうするの?」

母さんは心配そうな様子で僕に問いかける。


「傷の治療もあるし、師匠に相談に行くるよ。その前に身支度を整えなきゃ」


僕と母さんで手分けをして、子供たちの体を洗い、散髪する。驚いたことに、昨日の傷は既に塞がり、傷跡が微かに残る程度だ。これなら師匠の治療は不要だろう。


二人は僕のお下がりを着て、二匹のゴブリンは腰巻の布を取り替えて準備は完了した。こざっぱりした格好の二人を見ると上品な顔立ちをしている。


「じろじろと見るな」、と女の子は僕を睨み付けた。


――ギルド


「なんじゃ、ぼうず、今日はずいぶん遅いな」

師匠があくびをしながら出てきた。ミーシャとサーシャは街の集合教育でお休みだ。


「うお、ゴブリンじゃ。ぼうずどこで拾ってきた?」

ゴブリンを見て慌てる師匠を落ち着かせながら、訓練場まで背中を押して移動する。


そして昨日の出来事を話した。女の子の背中の魔力回路が光り、得体のしれないものに変身したことも含めて……しかし、僕が人族を殺したことは除く。


「そういえば、昨日、ゴブリン退治の冒険者が来ていたのお。きっとそれじゃな」


「ゴブリンに捕らわれていた人は助け出されたの?」


「いや、討伐は成功したが、捕らわれていた女性はみんな死んでいたそうじゃ。遺体を馬車に乗せ、そうそうに立ち去りおったわ」


師匠の話を聞くと、女の子の顔が強張る。彼女の母親がこの世に既にいないことを理解したようだ。


「どれ、わしが見てやろう」

師匠は魔人語で質問しながら、女の子と男の子の身体を触る。


「ふむ、女の子と男の子はお前と同じ魔人と人族の混血のようじゃ。ゴブリンの場合は人族が生まれることもあるが、年齢と体格を考えると普通の人族ではなかろう」

女の子は僕と同じくらいの背丈で一歳年下らしい。人族ではありえない成長速度だ。


「ちょっと待っておれ」

師匠はそう言い残すと階段を上り、手に紙を握りしめて戻ってきた。


「これは魔感紙といって、魔力に反応した部分が黒くなる紙じゃ。しかも、表面からの魔力にのみ反応する。この紙を使い、二人の魔力回路を写してみるとしよう」


紙の表面を背中に押し付け、魔力を流し込む。しばらくすると、魔力回路が活性化し、そこを流れる魔力が紙を黒くするという仕組みだ。


「……どこかで見覚えがあるのお。ちょっと調べてみるか」

師匠は、紙に黒く浮かび上がった魔術回路を見ながらつぶやいた。


「どれ、そちらのゴブリンも見てみようかの。特別な個体かもしれんでな」

次に師匠はゴブリンの体を触り始めた。腰布をまくって手を突っ込んでいる……ゴブリンはなんだかくすぐったそうだ。


「まったく、普通のゴブリンじゃ。あっちも普通じゃ。ぼうずのほうが大きいぞ」

手を拭きながら、師匠は僕の耳元でささやいた。


師匠のいつもの冗談を聞き流して、女の子に話しかける。

「みんなの名前を教えてくれないか?」


女の子はしばらく思案したあと口を開いた。

「私はオルガ、この子はカロルよ。ゴブリンの名前はキリルとイゴールよ」


「二匹とも同じに見えるよ。どうしたら区別できるの?」

「右の牙が長いのがキリル、左の牙が長いのがイゴールよ」

僕は笑顔で話しかけるが、彼女は表情を変えることなく淡々と喋る。


「オルガ、カロルよ、お前たちは、こぞう……いや、ザエラと同じ体質じゃ。先輩から色々と教わるとええ」

僕は‟こぞう”から‟ザエラ”に格上げされたようだ。なんだか新鮮だ。


「後輩にも勉強を教えてもらえませんか?師匠の勉強はとても楽しいです」

「そうかそうか、ザエラの頼みなら断れんなあ。明日から始めるとしよう」

僕と師匠は楽しそうに話を進めていく。


「おい、二人の世界で勝手に決めるな。何が後輩だ」

オルガは僕を睨みつける。カロルとゴブリンたちも不安そうに見つめる。


「師匠の昼食はおいしいから、みんなと一緒に食べたいと思って。あと、師匠の教えはとても面白いし、役に立つよ」

二人と二匹はひそひそと話し合う。二匹はうめき声を出しながら何かを訴えている。


「キリルとイゴールにも勉強とやらを教えてくれるならいいぞ」

オルガは開き直ったように言い放つ。


「それは構わないが……ゴブリンは敵性魔人じゃ。この王国では討伐対象で、奴隷として飼うことしか認められていない。隷属の首輪を渡すからそれを必ず付けておくように。街長にも話したほうがええじゃろ」

師匠は王国内におけるゴブリンの立場について説明を始めた。

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