第9話


  声が聞こえる、確か彼女は……そう、ウーデンと言っていたか。

  だが、それ以上はわからない。ウーデンとは私にとってどんなやつだ?

  ……彼女の隣にマグヌス君がいる。……あぁそうだ、思い出した。

  彼女は、敵だったな。





 自分の名前を繰り返し呼ぶ悲痛な声。朧げな意識にうっすらと目を開くと少しずつ、ほの暗い情景が鮮明に映しだされていった。

「アリトモさん! ご無事ですか」

「え?……あ、あぁ」

 彼女は前のめりに私の手を強く握りしめ、肩の荷を降ろすように息を漏らした。

「良かった……お身体の具合はどうですか? 爛れていた肉も回復しているようですが……」

「ちょっと待ってくれ、状況がうまく読み込めない……そうだ、アカネ達はどこに」

「えっ?」

「ん? どうし………あっ」

 やらかした、なんで今になってこんなことを…

「……ごめん、なんでもない。それよりもここは?」

「君の記憶が正しいままなら、相変わらずの地下水路だよ……正気に戻ったみたいだね」

 戦争屋が濡れた軍服を軽く振りさばき、珍しく鋭い目つきを私に向けた。

「今までのこと、どこまで覚えてる?」

「どういう」

「いいから、分かる限りのことを言って欲しい」

 眉を顰めながらのその口調は、やっつけ気味であっても、決して突き放しているという物ではなかった。

 彼女はしきりに周りの様子を伺ったりと、どこか落ち着きがなく、

 例えるなら、そう別の何かにも意識を裂いているようなそんな感じだった。

「……覚えている限りでは、地下水路に入った後、アンデットに襲われ気づいたら……いや」

 違う、これ以降に何かあったはずだ。アンデットに襲われた後に何かが。しかし靄がかったそれを思い出そうとすると、瞬間的に頭痛がほとばしる。

「……すまない。襲われた所までは覚えてるんだが……?」

 すぐに周りを見渡し、そうして気づいた。

 さきほどまでアンデットの叫び声に満ちていた地下水路が、今は不気味なほどに静かだ。

「アンデットはどうした?」

 そうたずねると、彼女はまだ生乾きの軍服を羽織り直し、私の腰にかかっている銃を指差した。

「君が全部倒した。ミハイルからもらった銃を使ってね」

「私が? お前ではなく?」

思いがけないそれに聞き返すと、奴は待ってましたと言わんばかりに顔をほころばせた。

「君がミハイルから受け取ったその銃は、周りの物を巻き込んで燃やす性質がある。AK-94式リボルバー。通称、延焼銃と呼んでる。それのおかげで、アンデット達は残らず燃え上がった」

「私たちはそれに巻き込まれないよう水路に身を投じ、こうしてずぶ濡れになっていると言うわけです」

「……なるほど」

 辻褄は合っている。

 しかしどうして自分の記憶は飛んでいるのか、そこがまだ分からない。

 口ぶりからして戦争屋はその原因を知っている、しかし伝えないのはなぜだ?

 少しずつ、自分の記憶を辿るうちに、ある情景がまぶたの裏で浮かび上がってくる。

 いくつもの人間が炎に巻き込まれ辺りに燃え広がり、銃を向け先には、戦争屋が物悲しそうにこちらを見ている。

 想像よりもはっきりと、しかも鮮明に映ったそれが、記憶としてはっきりと思考に根付き、私の胸中を強く締め付けた。

「私は……」

 邪推かもしれない、だが確証に近い。

 記憶がないあいだ、私は意思とは関係なく延焼銃を使い、アンデットを倒した。

 だが、それと同時に私は、戦争屋やマグヌス君を危険な目に…、

「おおっ〜っと!そこまでだ。 辛気臭そうに考える顔も可愛いが、せっかく勝ったんだしもっと笑顔でいなさい」

「妄言を、アリトモさんはかっこいいの分類です」

「いや〜こればっかりは譲れないなァ〜…見ろ、自分が私たちを傷つけたんじゃないかって悩み苦しんでる彼の顔。そそるだろ?」

「いえ、それも良いですが、あの人は戦場における冷ややかな眼差し、それこそが至上です」

何故か今までで一番の盛り上がりを見せる彼女達の会話。

割り込むにも忍びなく、ただその様子を見ていた自分に戦争屋が語りかけてきた。

「おや、どうしたんだいアリトモくん?自分を取り合う二人の美人に思わず見惚れてても…」

「…戦争屋、これを預かってて欲しい」

持っていた延焼銃を彼女に渡した。

「これはお前が持っててくれ……私には過ぎたものだ」

 

 すると彼女はきょとんとした表情をパチクリと瞬きを繰り返した。

「……なんだいこれは?」

「俺はこれを手にする資格なんてない。だが俺の御技は恐らくお前と同じ死ににくい体、だからお前は俺に興味を持った」

「…んで?」

「俺が敵の注意を惹きつけてお前はこれで俺ごと撃て。それで考えうる最悪の結果は回避できるはずだ。知らない間に武器を使用していたなんて本当だったら今すぐにでも死んで詫びたい。…だが俺はマグヌス君の手前そんな身勝手なことはできない。だからせめてものケジメは…!」

「……参ったな、この鈍感男」

 彼女は私の胸ぐらを掴んで、その剣幕として表情を間近まで引き寄せた。

「そいつはミハイルが君を信頼して贈った代物だ。彼の信頼を無下にすることは許されない」

「だが俺は」

 戦争屋が私の頭を鷲掴みにし、凄い勢いで私の体を強く引きつける。……具体的に言えば、戦争屋が私の口内に舌を突っ込み絡ませてきた。

 離れようとする体を無理やり抑え込まれ、交わる粘膜と、弄ぶようなその舌遣い。呼吸がうまくできない息苦しさもあったが、それ以上にとてつもない圧を放っているマグヌス君がどんな顔してこちらを見ているか、考えるだけで身震いが止まらない。

「なにを……しているんでしょうか?」

 抑揚のない、不気味なほど穏やかな口調。どうやらいろんな意味で終わりがそこまで迫ってるらしい。

 やがて息も絶え絶えになったぐらいのところで、ようやく戦争屋の拘束が緩まり無我夢中で体をのけぞらせた。

「はぁ、はぁ、…何の真似だ、お前‼︎ 」

 色々言いたいことがあるが、もうそれしか言葉が出なかった。

「悩んでたこと、どうでも良くなっただろ? 」

 そういうことではない。

「君の思いつめた顔は非常にそそられるが、いつまでもウジウジしてんのは好きじゃない。もっと胸を張りなさい」

 そう言って戦争屋は穏やかな表情で私の肩を軽く叩いた。

 もしかするとこいつは、和ませようとしたのか。

 確かに、だいぶ肩の荷が下りた感じはある。…ただ、

「ごめんねマグヌスくん、アリトモくんのお先に頂いちゃった♡」

「いつか然るべき報復を致します。覚えてろ貴様」

 こいつにそんな気遣いができるとは思えない。









 薄く長い地下水路、王城どころか外にたどり着くアテもない。仕方なく進んでしばらくした頃、前を歩いていた唐突に戦争屋が立ち止まった。

「匂うね、しかも襲ってくる様子がまるでない。特別なタイプのとかいたりすんのかな? 」

「……アンデットか? 」

 彼女は静かに頷くと、刀の柄に手をかけた。

 確かに戦争屋の言う通り、鼻を摘まみたくなるほどの、強い刺激臭が漂っている。位置的には後方から付けているといったところか……。

「……軍刀を携えているようですね。如何します? 早めの対処を?」

 そう聞き返したマグヌス君に、戦争屋は少しだけ振り向いた後顔を顰めたが、何事も無かったように再び歩き出した。

「何もしないならこのままでいい。どうせ大元を殺せば残ったアンデットは全部ただの肉塊に戻る」

「しかしこの匂い、…ちょっとキツイですね。まるで腐臭と血生臭さが混ざったような感じで」

「えっ大丈夫? 気になるんだったらやっぱり殺そうか? 」

「その謎の心遣いはなんなんだ戦争屋」

「………せん、そウや」

 呻くような低い掠れ声。それが聞こえた瞬間、戦争屋が反射的に振り返った。

「ーー驚いた。いま、あのアンデット喋ったかい?」

「喋りましたね。……今までそういった特徴がある個体は? 」

「いいや、一体も。……俄然興味が湧いてきた」

 軽やかな足取りで、鼻歌交じりに戦争屋は、壁にもたれかかっていたアンデットに明るい声調で話しかけた。

「やぁこんにちは。私は戦争屋、戦争を終わらすために来た。君ここからの出口分かる? もし知ってたら教えて欲しいんだけど……」

 重そうな瞼のまま、ミミズ腫れした首筋をまさぐり、アンデットが小さな掠れ声で繰り返した。

「戦そウ屋……」

「うん、戦争屋」

 アンデットは静かに息を漏らし、刀の柄を逆手で握りしめる。

「そウか……お前が、せいで」

「戦争屋! 逃げろ!」

 一瞬のうちにあらわになった刃が、戦争屋の鎖骨を砕き刀身の根元までえぐりこんでいく。

 私はとっさに銃を弾丸を放つが、しかしアンデットはそれを当たり前のように避け、身体を捻らせ繰り出された回し蹴りが、戦争屋をこちらへ蹴り飛ばし、諸共の勢いで私と戦争屋は壁へと叩きつけられた。

「アリトモさん、ご無事ですか⁉︎ 」

 マグヌス君が側へと駆け寄ってくる。

「ゲホッ……あぁ、私は大丈夫だ」

 彼女に支えられつつも体を起こした。

 それにしても、なんだあのアンデット。今までのそれとはまるで動きのキレが違う。喋ったこともそうだ、何か関係でもあるのか?

「戦争屋お前大丈夫か? まともに食らっただろ。今の」

「まだ行ける。……しかし済まないが、しばらくは動けそうにはないな」

 苦笑を漏らす戦争屋そのさまを、アンデットは何をする訳でもなく、ただジッと睨みつけていた。

「いや〜参ったね。まさか初手半身切断とは! 流石は最後のアンデット。一筋縄じゃいかないみたいだ」

 戦争屋のその言葉に対し、アンデットは苦々しく顔を歪めた。

「ちが…う、私は最初……に、___ 」

 頭を抱え、重い足取りでこちらに向かってくるその姿は、まるで何かを悔いているかのようであった。

 口ぶりと態度から察するに、こいつは戦争屋への尋常ならざるほどの恨みを宿している。

 死んだ原因が彼女に関わってるのか、それ以外の理由なのか、それは分からない。

 ただ、彼の頰に滴り落ちた雫が、偶発的なものではなく。自責や後悔に苛まれた彼自身の心情を表しているような気がしてならなかった。

「……アリトモさん、あのアンデット。私には見向きもしなかったんです。……無論、アンデットの存在を容認する訳ではありませんが、彼を敵だとは思えません」

「……どうしてそう思う? 」

 そう聞き返すと彼女は重々しい表情で口を開いた。

「……彼は貴方と、同じ目をしています」

「私と、彼が……」

「なるほど、じゃあその考察からすれば、彼は私たちを追ってきた兵士の上官という所かな?」

 片膝をつきながら戦争屋は、自身の体に突き刺さった刀をアンデットの足元へ投げ捨てる。

「……やるんだな、こいつを」

「当然。君たちは手ぇを出すなよ? これは私のための敵愾心だ」

 ニヤリと微笑み、戦争屋がゆっくりと刀を構える。

 彼女の体の傷は完全にとはいかないまでも、目立った外傷は治癒しつつある。

「……ふふっ。まったく、ゾクゾクするね。死体処理と、クズ殺しのツマラナイ仕事だと思ったが…案外、この国は骨がある」

 愉快そうに笑う彼女に、アンデットは剥き出しになった殺意を彼女へと向ける。

「お前を、・・・・殺す! 死んでも、殺す・・あの男、も俺が……!」

「いいねぇ……その熱い視線。君はまだ生きてるんだろ? なら敬意を表して殺すよ。それがマリオ・デット(操られた死人)に抗う、君への弔いだ」

 血を吐き捨て、刃をアンデットへと向ける。

「来な、介錯してやる」

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