第9話
夜の八時前。
美幸の取材を終えた隆二は実家のリビングにいる。
ダイニングテーブルを挟んで向かいに座っているのは、
母親の市川美貴と直也の母親である高橋真衣。
直也を亡くして一月あまり。
葬儀で見かけた時よりかは少しだけ元気そうだが、
真衣の表情や仕草からは時折喪失感が漂っている。
美幸と別れた後、隆二は母親に電話した。
隆二たち親子と真衣の三人で夕食でも食べないかと誘ってみたのだ。
(今日決着を付ける)
そう思うと、隆二にのしかかっている嫌悪感が消えていき、心が軽くなった。
美貴への連絡も苦ではなかった。
(さすがに急過ぎるか)
美貴からの返事を待つわずかの間、隆二はそう思った。
だが偶然にも、美貴たちはこれから市川家で夕食を食べる予定だったらしく、
隆二が合流する形で食事会が開かれることになった。
隆二の目の前には皿に盛りつけられた数々の料理が所狭しに並べられている。
美貴は料理が出来ないので、おそらくデパ地下で買ってきたのであろう。
アルコールで乾杯し、食事会が始まった。
相変わらず話題の中心は美貴。いつもの事。
たいしたオチもないつまらない話を延々と聞かされた。
そんな退屈な時間が一時間を過ぎようとした頃、
美貴たちの顔はすっかり血色が良くなっている。
アルコールが程よく回ってきたのだろう。
(そろそろか。今ならペラペラとしゃべるはず)
隆二は言葉を発する。
「あのさ…」
二人の視線を数秒惹きつけてから言葉を続けた。
「一つ聞きたいんだけど」
『なに?』
美貴がワイングラスに口を付けてのどを潤す。
「あのさ、高校の同級生の木村真奈美さん、知ってるよな?」
ご機嫌な笑顔を浮かべていた二人の顔が強張る。
互いに顔を見合わせて美貴が言った。
『きむらまなみ?誰だろう?』
その問いかけに震えた声で真衣が答える。
『さぁ?』
わざとらしいとぼけた反応をする二人に隆二は舌打ちをする。
「とぼけんな。裏は取れてんだよっ!!」
A4の白紙用紙の束を詰め込んだ茶封筒をテーブルに叩きつける。
(中身はあの事か)
そう言いたげな美貴たちの視線がテーブルの上にクギ付けになる。
『あーバレちゃったのか。さすが雑誌記者ね』
観念したように美貴が肩をすくめる。
はったりをかましたのだが、見事に引っかかった。
(中身確認しないのか…どんだけバカなんだよ)
隆二が軽蔑のまなざしを向けると、
美貴はいたずらがバレた子供のような開き直った態度。
罪悪感は微塵もない様子。
木村真奈美をイジメていた主犯格はやはりこいつだった。
目の前でヘラヘラしているババア。
「なんで彼女にそんな事をしたんだ!!」
隆二は怒鳴り声をあげて問いただした。
『なんでって…なんか気に食わなかったのよ。ねぇ?』
ババアが隣でフリーズしている真衣に同意を求める。
『えぇ。そうね…』
ポツリと弱弱しい声が聞こえた。
(やはり…お前も加担していたのか)
真衣に今まで感じていた親しみは隆二の中から消えた。跡形もなく。
(このゴミめ)
直也は苦痛で歪んだゴミの顔を睨む。
ゴミのクセに何故そんな辛そうな顔をしている?
大切な子供を失った事で、命の大切さがわかったのか?
我が子を失った真奈美の家族の気持ちが理解できるとでも言いたいのか?
汚らわしい。隆二は心の中でバッサリ斬り捨てる。
『なんか気に食わなかった』
このようなニュアンスの加害者の供述が報道される事がある。
そんな理由で人を傷つけたり、命を奪ったりしたのか…
クズ共にとって『なんか気に食わなかった』というバカげた理由は
人に危害を加える立派な大義名分になるのだ。
ババアがさらに言葉を継ぎ足す。
『若気の至りってやつよ。一つ上に大好きな先輩がいてね、
みんなにも応援してもらっていたのよ。なのにあの女に取られたのよ!』
聞き覚えのある不機嫌な声、自分の思い通りに行かなかった時に出るババアの声。
アルコールの影響なのかいつにも増してババアの口が動く
『私の心はズダボロにされて本当に傷ついたの。
女にとって恋愛は生きがい。命。好きな人を略奪する行為は重罪よ!死刑に値するわ!』
呆れ顔の隆二は言葉を失っている。
ババアはグラスに残っている半分ほどのワインをグッと飲み干す。
そして楽しい思い出でも語るような口調になる。
『先輩と良い思いしているんだから、ちょっとくらいいじめてもバチは当たらないでしょ?最初の頃は上履きを隠すくらいの可愛いモノだったんだけどね。だんだん楽しくなっちゃったのよ。ね?』
隣の青ざめているゴミにババアは不気味な笑顔を向ける。
『そうね』
ゴミは今にも消えそうな声。
『思春期はいろいろむしゃくしゃする事があるでしょ?いじめるのはストレス発散的な感じだったのよ』
ババアは自己弁護のつもりだろうがまったく効果はない。
その人間性のカケラも感じられない言葉は、むしろ隆二の怒りの燃料になっている。
『教科書を隠したり、机にいやらしい本を詰め込んだり、男子がいる前でスカートをめくったりもしたわね。そしたら、他の子もあの子にどんどん意地悪するようになったの』
ババアが急に天井を見つめたと思ったら、
隆二に向かって、とっておきと言わんばかりのゲス笑いを浮かべる。
『一番の傑作はアレね。知り合いの弟の童貞卒業式。彼がね童貞を捨てたがってたの。
だから真奈美を人気のない場所に呼び出して、睡眠薬入りの飲み物を飲ませたの。
で、そのまま二人きりにしてあげたのよ…』
嫌な予感がした。
頭に浮かぶ真奈美が不安そうな表情を浮かべている。
「やめてくれぇぇぇ!!」
隆二は怯える目でババアに訴えかけた。
ババアはニヤリと笑う。意地の悪い不愉快な笑い。
『まさかあの子も初めてだと思わなかったわ。
大好きな彼氏サンにたっぷりかわいがってもらっていると思っていたから』
パニック気味の隆二は顔をしかめる。
(真奈美?いや愛子?)
顔がぼんやりしている女の子が陵辱されている光景が頭に浮かぶ。
胸が苦しい。涙が止まらない。
(やめろ!!穢れた手で彼女に触るな!!…やめてくれ)
隆二の大切な思い出が穢されていく。
『あの女、泣きじゃくりながら帰っていたわ』
キャハハという不愉快な笑い声がどんどん大きくなる。
その醜い姿、醜い声に全身が拒否反応を示す。
『もうやめてよっ!!』
ゴミが泣き叫ぶ。
『はぁ?今さら善人ぶんの?あんたも楽しんでたろうが』
恍惚としていた表情が一転、ババアは不機嫌な表情になる。
恫喝しているような恐ろしく低いババアの声。
『いやぁぁぁ』
ゴミがパニック気味に頭を横に振る。
怒りと悲しみの炎で燃やし尽くされた隆二は、
ただ涙を流し茫然とするだけだった。
(まさかこれほどまでの屑だったとは)
どんな言葉を使っても罵り切れないほどの屑。
軽蔑。嫌悪。憎悪。
(こいつの遺伝子を自分が受け継いでいる…)
そんな事実に隆二は激しい吐き気を覚えた。
その時、シャンプーの甘い香りがした。
隆二が感じたのは身体の中にある「何か」の気配が強くなっていく感覚。
それに導かれるようにして隆二は何も言わずにキッチンに向かう。
キッチンから戻ってきた隆二が告げる。
「言い残した事は無いかしら?」
尋ねられた美貴と真衣は訳が分からないといった様子でキョトンとしている。
隆二は後ろ手に隠していた二本の包丁を見せる。
刃が放つ妖しい光は闇を切り裂けそうな鋭さ。
『え?なんであなたが…いるの』
顔面蒼白の美貴たちは目を見開いて、口をパクパクさせていた。
「やっと見つけた…許さない!!」
復讐に囚われ醜い異形な姿に成り果てた真奈美が叫んだ。
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