第8話
鹿島幸太郎に取材した翌日。
ブランチを食べるには丁度いい時間。
隆二は雑誌社のデスクで新聞記事を見ていた。
今から三十年前の新聞。
【呪いのベンチ】の噂の原因となっている事故があった翌日の新聞で、
昨夜新聞社の知り合いに頼んで記事のコピーを手に入れた。
亡くなった女子高生の名前は木村真奈美。
高校二年生。
顔写真が載っている。美少女だった。
彼女の顔を見た瞬間、隆二の胸がズキっとした。
愛子の面影があったのだ。
くっきりとした二重の目が印象的な美少女。
ハニカミ笑いを浮かべている。
当時は今ほど個人情報の取り扱いが厳しくなく、
こんな風に顔写真が載るの事も珍しくなかった。
直視すると胸が苦しくなってしまうので、
隆二は記事のコピーを丁寧に折りたたんで「心霊特集用」と書かれたファイルにしまう。
真奈美が生きていれば自分の母親と同じ年。
きっと彼女は素晴らしい母親として幸せな家庭を築いていただろう。
スマホの画面が着信を知らせる。
広報の鹿島幸太郎だった。
『市川さんおはようございます。昨日はありがとうございました』
「おはようございます。鹿島さん。こちらこそありがとうございました」
社交辞令のあいさつを終えると鹿島は本題に入る。
『妹が市川さんの取材を受けても良いと言っています』
「本当ですか!?」
隆二は、鹿島の妹の電話番号とメールアドレスをメモに取る。
メモの内容が合っている事を確認して電話を終える。
すぐに鹿島の妹の番号に電話を掛けた。
午後四時。
隆二は指定された喫茶店に入店し、店内を見渡す。
あらかじめ伝えられていた容姿の人間が目に入った。
黒髪のショートカット。黒縁眼鏡で知的な印象。ナチュラルメイク。
手足が長いスレンダーな体形で余計なぜい肉はなく、何か運動をする習慣がありそうだ。
待ち合わせの相手らしき人物に隆二はゆっくり近づいた。
「鹿島美幸さんですか?」
『はい。そうです』
黒縁眼鏡の中から奥二重の目が隆二を見上げる。
「市川と申します」
隆二は名刺を差し出した。
「急なお願いにもかかわらず、この度は取材に協力していただきありがとうございます」
『いえ』
挨拶を終えて席に着く。
美幸が頼んでいたアイスティーは半分ほどに減っている。
店員を呼んで、隆二はアイスコーヒーを注文した。
時間を少しでも無駄にしたくないと思った隆二は早速話を切り出す。
「木村真奈美さんの事を教えていただきたいのですが」
『お役に立てればいいのですが』
「どんな些細な事でもいいので聞かせてください」
美幸は懐かしさを感じる様子で話し始める。
『真奈美とは高校一年生の時に同じクラスでした。
入学間もない頃は名字順に座席が決まっていたので、私のすぐ後ろが真奈美の席で。
真奈美から話けてくれて、私たちはすぐに仲良くなりました』
「どんな方だったんですか?」
『優しい子でした。頭も良くて。おまけに可愛い。才色兼備というやつでしたね』
「木村さんが亡くなったのは高校二年生の時でしたよね?」
『えぇ。真奈美は文系、私は理系のクラスにそれぞれ進みました』
真由美がアイスティーに口を付ける。
羨ましそうに隆二が眺めていると店員が近づいてくる気配を感じた。
『失礼します』
控えめなトーンの女性店員が隆二の目の前にアイスコーヒーをそっと置く。
『ごゆっくり』
彼女は丁寧に会釈し仕事に戻った。
隆二もアイスコーヒーでのどを潤す。
美幸がタイミングを見計らって、話を続ける。
『うちの高校は文系と理系は別の校舎に分かれるんです。なので当時の文系クラスの様子を私は知りません。私が知っているのは、二年生になってすぐ真奈美に彼氏が出来たという事だけです』
「彼氏ですか」
『はい。確か四月中旬ごろだったと思います。真奈美から電話が掛かってきて、
彼氏が出来たという報告でした。真奈美は電話越しからでもわかるほど幸せそうで、私も喜びました。
まさかこれが原因で本当にいじめられていたなんて…』
伏し目がちの美幸は唇をギュッと噛む。
かろうじて聞こえるくらいの声量で呟く。
『ここからの話は真奈美が死んだ後に流れた噂話です…どうやら真奈美と同じクラスの女子生徒が真奈美の彼氏になった人に猛アピールしていたようで…』
「その女子生徒が…加害者ですか?」
『はい。彼女はクラスの中心、いや学校の中心人物でわがままな性格で知られていました』
「真奈美さんは逆恨みで、いじめの標的にされた…」
『噂ではクラスの全員がいじめに加担していたそうです…』
「クソが…」
怒りの瞬発力で隆二の口から汚い言葉が思わずこぼれた。
美幸は相変わらず視線を落としている。
聞こえていなかったようで反応はなかった。
キツイ口調にならないように隆二は優しく話しかける
「真奈美さんから何か相談はなかったんですか?」
『ありませんでした。真奈美遠慮してたのかな…』
「遠慮ですか?」
『真奈美は優しすぎたんです。当時の私は陸上部が中心の生活でした…忙しくしている私の邪魔はしたくないと考えていたんでしょう。
今みたいにスマホで気軽に連絡はできない。電話をかけるなら家の電話だったので連絡するのに躊躇していたんだと思います。そういう子だったんですよ』
「真奈美さんの事が気にならなかったんですか?」
『真奈美なら彼氏さんと元気にやっているだろうと思い込んでいたので…』
美幸の口調はどんよりさを増している。
隆二はコーヒーを、飲み大きく息を吐く。
そして目に涙を浮かべている美幸に疑問を投げかけた。
「教師に相談する人はいなかったんですか?」
周りの大人がちゃんと対応をしていれば違う結末になったかもしれない。
『匿名で告げた人はいるようです。でも…先生たちは真剣な様子で注意してくれなかったようです…』
「なぜ?」
『いじめの主犯格の祖父が地元の名士だったようで…学校に多額の寄付をしていたみたいです』
「配慮が働いたわけですか」
『はい。暴力的な行為はなかったそうで、学校側も穏便に済ませようとしたんだと思います』
(人の心を傷つけるのだって立派な暴力行為だろ)
隠れていた嫌悪感が隆二の顔に現れる。
『先生に注意された日から真奈美、そして教師に告げ口をした生徒へのいじめがエスカレートしていったそうです』
「…っ」
『まもなく告げ口をした生徒は転校したため、矛先が真奈美一人に集中したそうです』
隆二の頭に魅力的なくっきりとした目の美少女が浮かぶ。
真奈美のような愛子のようにも見える雰囲気の美少女。
「あなたは真奈美さんがいじめられている事に本当に気が付かなかったんですか?」
隆二はついとげのある口調になってしまった。
罪悪感を漂わせている美幸が涙を流しながら弁明する。
『…真奈美がいじめられているという噂は…知っていました。なので彼女に手紙を書いて聞いてみたんです。
”大丈夫?”って。そうしたら”大丈夫だよ。美幸ちゃんに迷惑かかるといけないから、しばらく私と関わらない方が良いよ”って返信が来たんです』
嗚咽を洩らす美幸。
『真奈美は平気そうに見えました。だから私…もしかしてそこまで大事じゃないのかも、と安心してしまったんです。今思えば真奈美は無理して明るく振舞っていたんですよね…きっと』
涙でぐしゃぐしゃに歪んだ顔の美幸がこちらを見ている。
『手紙を貰った数日後、真奈美は亡くなりました』
「その数日間に何かあったんですか?」
『何もわからないんです…』
美幸は弱弱しく呟いた。
そんな美幸をいたわるように隆二は優しい声で尋ねる事を心掛ける。
「学校からは何と言われたんですか?」
『学校からは”駅のホームで事故死した”と言われました。でもいじめを苦に自殺したのだと直感で思いました。死ぬほど苦しんでいたのに。ちゃんと真奈美の力になってあげていれば…』
感情の波が美幸に押し寄せる。
『すいません。ちょっとお手洗いに行ってきます』
美幸が席を外した。
鼻をすする音がだんだん遠くなっていく。
美幸は当時十代の少女。大人が守るべき存在。
そんな彼女に真奈美を救えたのではと責め立てるのは酷過ぎる。
(大人たちは何をやっていたんだ…)
隆二の脳裏で数日前に見たニュースの映像がフラッシュバックする。
無能どもの会見。
そして真奈美、愛子の顔がまた浮かぶ。
未だにいじめを苦に人が死んでいる。
それでも加害者は罰せられない。
故意に暴力をふるって人を死なせているではないか。
それが殺人ではないならなんなのだ。
とは思うものの現実的には『殺人罪』で処罰する事は無理だろう。
だが『傷害致死罪』あたりでなら処罰できるのではないのか。
人の心を故意に傷付けて死に至らしめたのだから。
胸糞の悪さをごまかすように隆二は残り半分ほどになったアイスコーヒーを一気に飲み干す。
化粧直しとしては一般的な時間が経った後、美幸が戻ってきた。
彼女のナチュラルメイクはそれほど崩れているようには見えなかったので、
気持ちを落ち着けるのに時間を費やしていたのだろう。
さきほどの弱弱しかった美幸の顔は、今では使命感に燃えている。
瞳から醸し出されているのは犯罪を告発しようという正義感。
何度か深呼吸をして感情を整えた隆二は核心に迫る。
「いじめの主犯は誰なんですか?」
『卒業アルバムを持ってきました』
美幸がバックからアルバムを取り出した。
アルバムに浮かぶ『✕✕高等学校』という金色の文字。
(あれ?この学校…母親の母校だ)
もっと言えば直也の母親の母校でもある。
まさかよく知っている人間に話を聞くことができたとは…
『灯台下暗し』ってヤツか。
そんな事を考えていると、見やすいようにアルバムをこちら側に向けて美幸が差し出してきた。
三年三組。三十人ほどの生徒たちと担任の教師が映っている集合写真のページだった。
『真奈美を死なせたのはこの人です』
美幸が指で示した人物を見て隆二は血の気が一瞬で引いていくのを感じた。
『市川美貴』
隆二の母親。
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