第6話 感情と理屈

「…………束音さんがハッキリ言わないでいてくれた話を蒸し返すけどさ。私、この三ヶ月間は真逆の事をしてたんだよ」


 彼女の視線に耐え切れず、私は彼女から少し視線を逸らして話す。相変わらず壁は真っ白で、私に何の情報も与えない。ひょっとしたらこの部屋は、そういう目的で作られたのかもしれないと思った。この部屋からは何も感じなくて、だからこそ、自分と相手ばかり見えてしまうから。


「よく知ってるよね?」

「ええ……つまり、復讐ですよね」

「人殺しだよ」


 彼女はただ私をじっと見ている。


 ——不思議な目だ。この子の目には、およそ私というものが映っていないと感じる。物理的には私を見ているはずのその瞳で、彼女は何か別のものを見ている気がした。それこそ、私の運命なのだろうか。


「初めて人を殺した時、私はきっと、スッキリすると思ってた。それか、後悔すると思ってた。バカみたいだけど、本当に信じてたんだ。人を殺した時、何かあるって。私にとって特別な何かを、感じるはずだって」


 ——でも、違った。


「何も感じなかった。部屋に入ってきた虫をイラついて潰した時みたいに、終わったらもう、どうでもよくなってた……勘違いしてるかもしれないから、言うんだけどさ。私はその前の三年間だって、大して何も感じてないんだよ。助けた人達に思い入れはないし、失敗した時だって、すぐに気持ちを切り替えられた。私にとっては全部、作業なんだ。人助けも、人殺しも」


 ——それでハッキリと、理解した。


「当然だよね。だって人助けって、私にとってじゃなく、皆にとって特別なんだもん。人殺しも同じ。この能力も同じ。皆にとって特別で、私にとって特別じゃない。私にとっての特別は……たった一人の家族だけだった」


 ——そしてそれも、失った。


「うん。つまりだね、私にとって特別なものは、もうないわけだよ。そういう意味では確かに、私はやることのないコンピューターと同じだね。私にはもう、特別なものが存在しない。それなのに……長生きして、何になるのかな?」


 束音は黙って聞いていた。興味があるような、ないような、前屈みだけど無表情で、ただ私の話を聞いていた。

 彼女は私の質問に答えず、ただしばらく考えて、こう聞いた。


「じゃああなたはどうして、あの親子を助けたんですか?」

「……親子って、さっきの?」


 いや、さっきではないのか。私が眠っている時間がどれくらいかわからないが、つまり、あの車両火災で助けた二人の事を言っているのだろう。

 私は背もたれに背中を預けて、少し考える。


「朱音さんは、あの二人を助けなければ、そのまま死ぬことができたと思いますよ。直接あなたを見た訳じゃありませんが、その前にいた場所は見ました。大体の状況も、わかります。あなたの身体はボロボロで、傷だらけ。そもそも三ヶ月間、満足に食事もできなかったんじゃないですか? その後、炎天下の中、ただ歩いていたんでしょう? 多分、死ぬために。あなたが親子のために能力を使って、自分を回復しなければ——そのまま、死ねたのに」

「うーん…………まぁそれは、義務感だよ。私には力があって、目の前に助けられそうな人がいたら、とりあえず助けるさ。反射的にね。でもそれって、生きる目的にはならないんだよ。死ぬよりも、ちょっと優先順位が高かっただけ」

「ならやっぱり、あなたは私のオファーを受けますよ」


 彼女は確信があるらしく、はっきりとそう言った。


「……なんで?」

「この場所まで、私は車で来ました。アネットの運転でね。移動中、私はよく窓の外を見るんです。道行く人々を眺めてる。そうすると一人は、これから死ぬ人が見つかります。明日か明後日か、長くても一週間くらいで。その人は私がなにもしなければ、ほぼ確実に死ぬでしょう。大抵の人には、運命が見えませんから、変えることもできないんです」

「……それは別に、束音さんのせいじゃないでしょ」

「ええ。誰だっていつかは死にますし。でももしかしたら、どうにかできるのかも。誰かに殺されようとしている人を、私達の努力次第で、助けられる可能性がある」


 そこまで話して、彼女は鞄からタブレットコンピューターを取り出した。同時に私のファイルをひょいと手に取って、後半のページを開く。


「私には、死因はわかりません。近々死ぬことは分かっても、その人が何故死ぬのかはわからない。でも、あなたはわかるんじゃないですか?」

「…………」

「あなたがあの親子を助ける場面を、私は監視カメラの映像で見ました。一般の人が見るとマズいシーンもありましたから、記録は残さず消しています。映像はこのタブレットだけに、入ってます」


 そう言って彼女は、タブレットを机に置いて、その映像を再生した。


「親子を助ける時、あなたは車から引きずり出した二人を、車の爆発が起こる前にかなり遠くまで逃がした。彼らの報告書だけだと、あなたの能力は『身体強化』ということになってます。でも、私はそのシーンを見た時、いくつかのことに気付いたんですよね。まずは、助け出す前のこのタイミング」


 彼女は映像を少し引き戻して、車の追突直後から再生し直す。


「あなたは急いで車に近付いたわりに、その後少しの間立ち尽くして、車を見ていました。普通、ただ茫然と事故を見るか、急いで助け出すために行動するかのどちらかですよね。『戦うか逃げるか反応』という奴です、多分。でもあなたは、車をじっと見つめた後、そこから急に動きが機敏になる。彼らの言う『身体強化』ですね。そのままあなたは男の子を助け出し、数メートル離れた場所へ。そして女性を————あらら」


 私が女性をぶん投げてる場面を見て、彼女は少しの間言葉を失う。私も言葉を失った。見られちゃまずいのは、運転席のドアを引きはがすシーンかと思っていたけれど、どちらかというと、成人女性を投げ飛ばすシーンの方が、えげつない映像になっていたからだ。


「まぁ、とにかく……この女性投棄の直後に、あなたは爆発に巻き込まれるわけです」

「女性投棄って言うな」

「この爆発、あなたにはわかってたんじゃないですか?」

「……まぁね。私の能力は、そう。誰か一人の死が、具体的にイメージできる。イメージできたら、その死を救うまで身体強化される。そういう能力」


 実際には少し違うのだが、私はただ、彼女の話を肯定する。


「そこが、私との違いであり、相性のいい点です。私にはこれから死ぬ人間がわかる。あなたは死に方がわかる。助けられる死と、助けられない死とを切り分けられる。そして財力も技術も持つ私と、身体的な強さと人を助ける技能を持ったあなたなら、それを他の人より遥かに大規模に、速度をもって行えると思いませんか?」

「……できるかもね。でもそれは、私の目的にはならない」

「ええ。でも、優先順位は高い。そうでしょう?」


 私は応えず、彼女を見る。期待するような瞳や、机を超えて訴えかける姿勢。自信ありげに聞こえてくる言葉を聞く。


 ——この子はなぜ、私を選んだのだろうか。他の者達とやらから、人員を手に入れられることはできなかったのだろうか。


 そう考えながら、しかし。


「あなたは今、私という手段を得たんです。私達だけに助けられる人間が数多く増えた。あなたは否定するかもしれませんが私は、あなたを優しい人だと思う。助けられる可能性を、ただ無視できるはずがない……どうです? 私と人生を掛けて、仕事をしてみませんか? 死ぬかどうかはまたあとで、考えるとして」


 ……感情と理屈とを併用した、それは見事な説得で。


 私はただ、頷くほかなかった。

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