第3話 出会い
目が覚めた時、私は救急車に乗っていた。乗っていたというか、それは荷台の担架の上で目覚めたということなのだけれど、これが奇妙な話だった。
だって、誰もいない。
この狭い救急車の中に、さっきの救急隊員も、他の誰もいないのだ。視界に映るのは、救急車の白い天井と、棚とか、引き出しとか。その程度で、何も分からない。
あまりに不自然なので、私は立ち上がることにした。顔に掛けられた呼吸器を取り外して(こんなのしてたっけ?)、担架から下りる。担架はしっかりと車に固定されていて、グラグラ揺れたりもしないので、静かに立ち上がることができた。
車から出ると、そこは体育館くらいの広さをした、真っ白な部屋の中だった。その壁はあまりにも白いので、天井のライトが反射して、少し目に痛い。とにかく周囲を見渡そうと、救急車の前方に目を向ける。
この空間の中心に、一人の女の子と、一人の女性がいた。
少女は座って、白いテーブルの上にあるカップに手をかけている。
遠目に見ても、優雅な所作だった。この無音空間なら、カップがカチャリと鳴るだけで響くだろうに、そういった音も、一切聞こえてこない。
その隣で佇む女性は、そんな少女を見守っている。こちらもただ立っているだけではあるけれど、その背筋はピンと伸びて、気品に溢れていた。
二人共、私には見慣れない、金髪だった。目鼻立ちも、とても日本人とは思えない。少女は私と同い歳くらいだろう。女性の方は……四十代とかかな。母と近い気がするけれど、わからない。
やたらと現実感のない美しい光景だが、見とれている訳にもいかないので、ゆっくりと彼女達に近付く。
もちろん、周囲への警戒は忘れない。この部屋の出口がどこかは分からないけれど、とにかくこの部屋の中には、私達三人だけのようだった。
「守屋朱音――さんですね」
少女がゆったりとこちらを見て、口を開いた。先に声を掛けようとしたのに、機先を制された形だ。戸惑う気持ちを抑えながら、私は何とか答える。
「はい……あなたは?」
「
彼女はゆっくりと、人差し指で空に文字を書くようにしながら、私に名前を伝えた。
——ひょっとして、今の文字書きは、私に合わせて鏡文字だっただろうか。そんなくだらない疑問を持ちながら、彼女に視線を向ける。
瞳を合わせて、つい「綺麗だな」と、また思ってしまった。それは青い、深海のような色をした瞳だった。ただでさえ現実感のない空間にいるのに、彼女の整った容姿や、緩やかな仕草が、私の心を落ち着かせる。緩やかに、穏やかに。
——ダメだ、警戒しろ。初対面だぞ。
そう思って頭を振りかぶった私をどう見たのか、彼女は隣にいる女性を見て、何故か「やめなさい」と言った。
女性に視線を向けると、彼女はやや驚いたような面持ちで少女を見て、いつの間にか挙げていた右腕を下ろす。
彼女もまた、碧眼だった。束音よりは明るげな碧だけれど、やはり美しいというか、高貴な感じがする。まぁ、私も外国人と関わるのは初めてなので、ブロンドの白人女性は、みんなそう見えるのかもしれないが。
——なんにしても、警戒はちゃんとしよう。
周囲の状況はともかく、目の前の二人についても、安心するのは時期尚早に過ぎる。片方はあまり激しい動きのできそうにないドレスを着ていて、もう片方は些か老いが見えるけれど、それでも二人で襲いかかられては、面倒そうだ。
意識的にそう思い直したところで、少女は私に手を伸ばし、着席を勧めた。拒否せず、真っ白な椅子を引き、向かい合うように座る。彼女は私と目を合わせて、何が気に入ったのかにっこりと笑った。
「守屋朱音さん、あなたは本日、令和二年の七月四日、午後十四時十四分に、お亡くなりになりました。ご愁傷さまです」
それは、人生初の死亡宣告だった。
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