その20 『口属性のニンフ』
「モ……モマエ……いったい何をした……!?」
「…………」
倫にはもう口を開く気力もない。ただ、黙ってニヤリと笑っていた。
「グッ……何が可笑しいッ!! 言えェッ!! 何をしたァ!!!」
襟元を掴んで叫ぶジオド。が、倫の目は虚ろで焦点が合っていない。
もはや意識があるのかないのかも定かではない。
「チィッ!!」
相手にしていても仕方ないと、ジオドは廊下へと走り出す。
そして、部屋を飛び出たその瞬間――
「我生み出したるは暗黒の泥梨。汝、濁乱に呑まれし己が姿を恍惚たる瞳で見続けよ!」
(何だ……詠唱!?)
本来、日が差して明るく照らされるべき町長邸の廊下が、暗く怪しい紫色のオーラで満たされる。
「スカット・ロジスト!!」
ジオドが反応する間もなく、床下から湧きだしてきた泥が彼の体を捕まえ、寝室前の廊下を濁流と化して飲み込んでいった。
← * ← * ← * ← * ← * ← * ←
「聖弾ッ!!」
「ぐあッ!」
倫を抱えていた大男は、その一撃で力なく崩れ落ちた。
「キサマ、何を――」
「聖弾――フルバーストッ!!」
残る9人が倫めがけて突撃しようとしたところを、すべての指から一斉射撃。その場にいる全ての男を行動不能にした。
「ハァ、ハァ……これで、残り13発……」
思えば、十人一組で行動させているのはこうして聖弾を撃ち込まれるのを阻止する思惑なのだろう。たしか以前、ウェスタは『現役最強の勇者でも1桁』だと言っていた。
十人いればどんなに多く撃たれようと残った者で制圧できる、そう考えたに違いない。
(オッサンたちが目覚めたら、何食わぬ顔でこのまま屋敷に連れて行ってもらおう。そこでジオドのヤローに数発聖弾を撃ってやりでもすれば、なおさら"ここでオッサンたちに撃っていた可能性"はゼロに近くなる。あいつの警戒は完全に外部からは外れ、俺だけに向けられる)
思案していると、やがて倒れたオッサンたちが意識を取り戻し始めた。
「うっ……うぅ……」
「お、俺は、一体……?」
(……っしゃ!)
見立て通り。聖なる気の浄化力とでもいうのか――とにかく、聖子にはヤツの洗脳を解く力があったようだ。
「ドーモ、初めまして。勇者です」
「え……えぇ? ゆ、勇者様……? いったいなぜ、こんな……えっ!? そ、そのお怪我は……!?」
混乱するオッサンたちに端的に伝える。
「細かい話はあとあと。俺があなたたちにやってほしいことは2つ。1つは、俺を町長の屋敷に担いで連れてってほしい。2つめは――」
「その前に、セレス・エリーニュ――って女の子の家に連れて行ってくれ」
→ * → * → * → * → * → * →
「そ……そんな……バガなァッ…………」
驚き慄きながら、ジオドが声を絞り出す。
泥に包まれた彼の下半身は溶けてなくなり、骨だけの姿となっていた。
まもなく、骨は崩れ落ち肥大した上半身がドチャッと廊下に落着する。
彼の見上げる視線の先には――光を宿さず、ゴミを見るような目で彼を見下ろす復讐者の顔。
「ド……ドボジデ…………ドボジデモマエガ…………」
「……わかりませんか」
復讐者――セレス・エリーニュは冷たく言い放った。
「私が……勇者様のニンフとなったからです」
「ゾ……ゾンナバガナ……ヤヅバ……モレニヨンバヅモウッデギダノニ…………」
「ダ……ダレガ……! ダレガ、ゴイヅヲゴロゼェェェッ!!」
「醜い悪あがきですね……ゴミが」
助けは来ない。ジオドが倫をいたぶっている間、このセレスが町中を制圧していたからだ。
「ゴミはゴミらしく……消えてください」
セレスは両腕を大きく広げ、聖力を極大に解放させた。
「我が手に収めしは汝が魂の根源。慈悲なき衝裂の音を聞け――ゴールデンボール・クラッシャー……!」
「ヤ、ヤメ……ヤメロォォォォォォ!!!!!!」
巨大な二つの玉が出現すると、それはジオドの体を上下から圧し、すり潰していく。
――ジオドは、完全に消滅した。
「…………」
「……勇者様!」
しばしその場に立ち尽くしていたセレス。倫の命が危ういことに気づき、町長の寝室へと駆け込む。
そこには、左手以外のすべての四肢を失い、ズタボロになって血を流している倫と、彼を抱きながら泣き崩れるウェスタの姿――
タタッ、と、その場に駆けつける。
「リンくん……リンくん……」
「どいてください」
「……!? あなたは……!?」
「勇者様のニンフ、セレス・エリーニュ……属性は、口。詳しい話はあとで……」
ニンフ――そうか。いつの間にか、どうにかしてこの人を受聖させていたのか。ウェスタは目を見張る。
「……で、でも。口属性は攻撃系の聖魔法の使い手のはず……回復は胸属性のニンフでないと……」
「大丈夫……メインは口だけど、私は胸も少しあるから」
ウェスタを下がらせると、セレスは全霊を込めて回復の聖魔法を発動させた。
「私の……魂の恩人、勇者様……。どうか、戻ってきてください……"チア"……!」
パァァ、と倫の体を光が包み、両足からの激しい出血が収まった。
「……ふぅ……私にできるのは、ここまで……みたいです……。ごめんなさい、欠損した手足を戻すまでは……」
「いえ、命を救ってくださっただけでも十分です。命さえあれば……ありがとうございます……ありがとうございます……!」
「勇者様は私の恩人でもある……お礼を言われる筋合いは、ない……」
「恩人?」
「私の本当のお父様は、とっくに死んでいた……あの男は、ジオドの配下……。あの日、あの男は……私の目の前でお父様を……」
「そう、だったんですね……」
ウェスタは後で知ったことだが、エリーニュ家は跡形もなく燃え尽きていた。
セレスがニンフになった際、その怒りに任せて父親に化けていた魔物ごと焼き尽くしたのだろう。
町長邸から外に出ると、町中いたるところで町人が倒れ伏し、戦闘不能な状態となっていた。
(凄い……アノさんも凄かったけど、この人も凄い……)
翻って、それは倫の勇者としての力が桁外れということでもある。
それに比べて、彼に命を供給しているということ以外何の役にも立たない――むしろ足を引っ張り、彼の弱点となっている自分は何なのか――ウェスタの心に影が差した。
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