その18 『夢であるように』
一歩、歩くごとにつま先から脳天まで電流が走る。
傷口の熱が全身に回り、ひどく気だるい。頭がボーッとする。
誰が敵かわからない。助けてくれと民家に駆け込むわけにもいかない。
――圧倒的、孤独。
仲間と離れ、何が起きているかもわからぬ町中でただ一人、闇夜を彷徨う。
倫は体力的にも精神的にもとっくに限界を迎えていた。
(誰か……誰か、助けてくれ……痛い……痛いよ……)
ともすれば棒のように固まって動かなくなりそうな足を引きずりながら行く。ただただ来るはずのない助けを求めて。
そしてついに、裏路地で力尽き、倒れこんだ。
(だめだ……もう一歩も動けない……怖い……怖いよ、父さん、母さん……救急車……救急車呼んでくれ……このままじゃ俺、死んじまうよ……)
(もうつまらない現実なんていらない、異世界で第二の人生始まりだなんて思ってたけど、俺がバカでした。もうくだらない夢見たりなんてしません。親孝行だってします。だから神様……元の世界に戻してください……)
(目が……どうか目が覚めたら、元の世界でありますように…………)
→ * → * → * → * → * → * →
「……りん……りん……」
声が聞こえる。
「倫、起きなさい!」
ガバッ、と体を起こすと、見慣れた自分の部屋だった。
目を丸くして声の方を向く。
「なに間抜けな顔してんの」
――母だ。
「か……母さんっ!」
情けなく抱きつく。
「ど、どうしたの倫」
「怖い……怖い夢見たんだよぉぉぉ」
「もう、いくつになったと思ってんの。怖い夢見たくらいで……」
「ごめんなさい……もう、この世界に未練はないとか言わない。受験も頑張るしいい大学必ず行くから」
「あ、あぁそう? じゃあ頑張りなさい」
泣きじゃくりながらも、いつもと変わらぬ母に心から安堵する。
ようやく気持ちが落ち着いてきた。
「……もう大丈夫?」
「……うん」
「じゃ、さっさと着替えなさい。朝ごはん出来てるから。早くしないと遅刻するわよ!」
そう言うと母はトントンと階段を下りて行った。
(……自分の部屋だ……)
落ち着いてから、改めて周囲を見渡す。
美少女ゲームのポスターやら、フィギュアやらがあちこちにある、見慣れた光景。
机の上には大人のゲームがたくさんインストールされたマイノートPC。
(いつもどおりだ……いつもどおり……)
あの日、倫は電気街で大人のゲームを買いあさっている途中でホーリィ・ホラーレに転移した。
いったい、どこからが夢だったのだろうか。
(実は俺は電気街になんか行ってなかったのかな……新作のゲームなんて買ってなかったのかも……)
ボーッとそんなことを考えながら制服に袖を通す。
部屋を出ると、目玉焼きの香ばしい匂いが漂ってきた。
トントンと階段を降り、リビングの扉を開ける。
「……え」
――テーブルには、既に倫が座っており目玉焼きを頬張っていた。
「は? お……お前、誰……」
→ * → * → * → * → * → * →
「…………」
目が覚めると、既に辺りは明るくなっていた。
酷い体勢で寝ていたせいか、体がバキバキになっている。
首、腰、背中、あちこちが痛い。
上体を起こそうと右手を地面にやると、つっかえるものがなく倒れこんだ。
「痛ッ…………!!」
忘れていた激痛がやってきて、顔を歪める。
声をあげかけるが、ハッとして口をふさいだ。
町のあちこちから何人かのグループがザッザッと走っていく音が聞こえる。
(……俺を、探しているのか……)
天を見上げた。
(……どうしよう……)
痛みはマシになったわけではない。単に自分の感覚が鈍くなっただけのようだ。熱は相変わらず酷い。頭がボーッとして眠さと痛さが拮抗しているような状態だ。
幸いにも……というべきか、ジオドに切断された右腕はねじり切られたような恰好になっており、出血があまりなかったようだ。
(ちくしょう……もっとスッパリ切ってくれてたら、もう目覚めることはなく楽になれたかもしれないのに……とことん俺を苦しめたいらしいな……)
(でも……もう長くはないかもな……)
ひとまず朝は迎えたが、このままここにいたら翌朝には死んでいるかもしれない。
(また酷い目に遭わされるくらいなら、このままここで人知れず朽ちた方が……)
ウェスタの顔が浮かぶ。
(ウェスタ……すまん。俺にはもうお前を助けられそうにない……。きっとこの町の異変は王国がそのうち見つけてくれるさ……。そうだ、ユーノ……ユーノさんがフラッと立ち寄るに違いない。こないだもここを出た馬車に乗り合わせてたじゃないか。来る、きっと来るよ。ウェスタ、大丈夫だ。お前のことは必ずユーノさんが助けてくれるから……)
その可能性は極めて薄い。
――いや、それ以前に。
そもそもニンフの力は1日しか持続しない。倫が再び力を与えない限り、万が一ユーノがこの町をタイミングよく再訪したとしてもどうにもできない――そんな簡単なことすら、もはや思考する力が残っていなかった。
「いたぞ! あそこだ!」
「ぐっ……!」
ひっそりと――死なせてはもらえないらしい。
どうにか逃げようとするが、気力の失せた彼にはもはや立ち上がる力すらない。
10人の男たちがやってきて、そのうち最も体格のいい男に担ぎ上げられた。
「往生際の悪い奴だ。さぁ、町長宅でムエド――いや、ジオド町長がお待ちだぞ」
男の一人がそう言う。
ふと、ウェスタの声が脳裏によみがえった。
「……ねぇ」
「なんだ」
「ムエドって、何……?」
「はぁ? 何を言ってる。無駄口をたたくな。黙ってろ」
(ウェスタも、町長の名前を思い出せずに一瞬、その名を口にしていた……)
「あんたが今、そう言いかけたんだよ……ねぇ答えてよ。ムエドって、誰……」
「……うっ」
一瞬、ズキンと頭痛を感じたように頭を押さえる男。
「し……知らん」
「ムエド……ムエド町長。本当の町長の名前じゃないの……?」
「知らんと言っているだろう!」
――魔王の軍勢。四天王。そんな存在がここに居て、誰も気づかないなんてことがありえるだろうか。
(魔王ネトルーゾ……その名前、辺境の村の少女ウェスタですら知っていた……なのに、その側近だかなんだか知らないが、四天王なんて名前がついてるやつの名を誰も知らない……? いや、もしこの町の住人が全員、それを知ったうえでやつらの肩を持っているのだとしても)
以前この町を来訪したユーノがそれを見逃すとは考えにくい。
――操られている。
それが、もっとも自然な結論だった。
ほんの小さな一筋の光。それとともに思考回路が働きを取り戻し始める。
(ジェガンさんが襲い掛かってきたのも、そのせいだ)
(あのジオドって奴が本当の町長に成り代わった。そのうえで周囲の人間全員の記憶を操作して、自分が町長であると思わせるようにしている)
ウェスタですらそう思っていた。
しかし彼女のこれまでの行動を考えると、完全に手下として操られていたとは思えない。
(人によって操作の強度が異なる。ジェガンさんはかなり強く操られているが、ウェスタのように……町から遠い人間……? は、記憶の改ざん程度にとどめられているようだ)
(……だからどうした?)
知ったところで、もはや身動きを取ることすらままならない。ウェスタは敵の手に落ち、ジェガン、タルペは操られ、カヌール、ベネネは凶刃に倒れた。今ここに自分の味方は一人もいない。
(……俺に一体、何ができる?)
残された手札といえば、左手で聖弾を撃つことくらいだろう。
(……ジェガンさんたちに聖力を与えたのは、昨日の朝。彼女たちの聖力はそろそろ切れ、代わりに俺の聖力は戻る頃合いだ。弾数は――24発。これが、俺の全てだ)
ここにいる10人だけなら、一人一発ずつ撃ち込んだとしても残弾14発を残して切り抜けられる。
しかし。自分はもう歩けない。たった14発の聖弾で、逃げることもままならない肉体状態で不特定多数の町人相手に暴れるのは分が悪い。
ひとまず運ばれるがままに身を任せておくことにする。
(このまま運ばれれば、ジオドの屋敷に連れていかれるんだろうな……あいつが俺の目の前でウェスタに何かしようとしたときに……その瞬間に聖弾をブッぱなしてブッ殺すか……? できるか……?)
昨晩のことを思い出す。敵は、右手を構えるより早く突きを繰り出してきた。その可能性が頭に入っていて警戒していたのだろう。よほど愚かでない限り左手からの発射は許すポカをやるとは考えづらい。
(ごり押しでなんとかしようとしても難しいか……じゃあ、他に何が……)
ハッとした。
(あいつ……この町の住人を操ってる……んだよな……? 昨日俺がそれを聞いたときには『お前には関係ない』とそれを答えなかった。どうして答えなかった……?)
(あいつのイヤらしい性格からすれば、厭味ったらしく自慢げに強力なスキルとこの町の現状を俺に思い知らせて絶望をくれてやってもいいはずだ)
(なのに言わなかった。なぜだ?)
――可能性は、3つ。
(いちいち説明するのも面倒臭かったから――いや、それはない。面倒くさいならさっさとウェスタを手にかけるなりすればとっくに俺はここにいない)
(とにかく慎重だから、敵に能力を説明するなんてとんでもない、と考えていたから――これもない。そんなに慎重なら、そもそもその場でウェスタを手にかけているべきだ。現にこうして俺に逃げられている)
(……俺に、知られたくなかったから)
――これだ。
(なぜ知られたくない? それは、俺に能力がバレると、解除される恐れがあるからだ。じゃあ、どうやって俺はこいつらの洗脳を解いてやることができる? 俺に何ができる? 俺にできることは――)
左手を、見た。
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