その10 『倫、ウェスタにぶちまける』

 ウェスタはあの手この手で、倫を接待しようとしているようだった。


 ちょっといい店で昼食をとり、昼からは美術館に行き、公園で一息入れているとその辺の出店でまた軽食を買ってきてくれる。路上でパフォーマンスをしている道化師を見つけて見に行ったりもした。


 昨日までの倫だったら、天にも昇る心地でデートを楽しんでいたに違いない。

 が、今日の彼はそういう気分ではなかった。


 さすがに3日以上もずっと一緒に過ごしていると多少は慣れが発生する。そのわずかばかりの余裕が、彼に違和感を感じさせていたのだ。


(露骨に焦ってるな、この子。俺をリラックスさせようと必死じゃないか。そんなに早く巫女に認められて、聖役を免除してほしいのか)


(俺に優しくしてくれるようでいて……その実俺はただの道具。実は、自分のことしか考えていないんじゃないか?)


 もやもやした気持ちを抱えながら、夕方を迎える。


「……そ、それじゃあリン様。そろそろ教会に行きましょうか……」

「あぁ……うん」


(これが行けそうな顔に見えるかよ?)


 倫の表情は冴えない。

 ウェスタに余裕があれば、きっと『今日はやめておきましょうか』とでも言ってくれただろう。しかし彼女にはその余裕もないらしい。



 → * → * → * → * → * → * →



 夕方の教会。


「三度目の正直……とは、いかなかったようですね」


 深く嘆息するアンドレ司祭。

 ウェスタは少し肩を震わせかけたが、深呼吸して一息おくと、また明るい調子で言う。


「……まだ、調子が戻りませんねぇ。明日! 明日こそはイケるはず! アンドレ司祭様! 本当にすみませんが、明日の朝また――」

「やめろよ」

「――え」


 倫は首を振りながら言う。


「神父さんや信者のみなさんに迷惑だろ。このままじゃ何度やったって成功しやしないって」

「リ……リン様?」

「疲れ、緊張。最初は一時的なできない理由があったと思う。でも、今は違う。うまく言えないけど、こう……心が燃え上がらないんだ」

「ど……どうしてですか? 何か私に不満があるのなら言ってください! 私、明日はもっとリン様を楽しませられるように頑張りますから!」

「それが違うってんだよ!」


 それまで一貫して大人しかった倫の、突然の大声。ウェスタはもちろん、その場にいた信者たちもビクリと肩を跳ねさせる。


「俺を楽しませようとしてくれてるのはよーくわかってる。でも、お前の真意は見え透いてるんだよ」

「み……見え透いてる?」

「そうだ。結局のところ、自分がさっさと楽になりたいだけなんだよ。だから俺のことを考えているようでいて、その実俺のことなんて何にも考えちゃいない。それがわかってしまったから、いくら接待してくれても何にも楽しくないんだよ!」

「そっ……それは……」


 明らかに狼狽した様子を見せるウェスタ。アンドレ司祭は少し眉をひそめたが、口出しせずにそのまま静観する。


「気楽なもんだよなお前は。あの村、あんまり裕福な様子でもなかったのに、出掛ける費用は村の皆さんに出してもらったのか? 皆がお前の成功を祝ってくれたってのに、そのお金でフラフラと外食して観光して」


「俺を召喚した動機だって、聖役が嫌だからってだけなんだろ」


「俺にだって父さんや母さん、じいちゃんに妹……大切な人たちはいたんだぞ。それをそっちの都合で勝手に召喚して……そういうこと、考えもしなかったのかよ!」


 ハァ、ハァと荒い息を吐く倫。


(言ってやった、言ってやったぞ!)


 人に激情をぶつけた経験などほぼないがゆえ、ただこれだけの吐露でも彼の昂りは頂点に達した。

 溜め込んだストレスの解放。快感すら感じる。


 数秒の満足感を得て――


 そして目の前を見て、即座にその興奮は立ち消えた。


 目の前には大粒の涙を溢れさせながら肩を震わせる少女の姿。


「……ごめんなさい!」


 ウェスタは、教会を飛び出そうとし、入り口の段差で思い切りコケて、鼻血を垂らしながら、そのまま再度走り出し闇に消えて行った。


(俺……間違ったこと言ってないよな?)


(うん……言ってない。言ってないはず)


 頭に上った血がサーッと引いていく感覚。それを否定するように、自分の正しさを反芻する。


「リンさん……とおっしゃいましたね」


 事態を静観していたアンドレ司祭から、ようやく声が飛んだ。


「あ……はい。すみません、教会の中で怒鳴ったりして……」

「いえ。それより、誤解があるようですので一つ認識を正しておこうと思いまして」

「……誤解?」

「はい」


 いったい何を間違えたというのか。


「……もしかして、俺、実はいつでも元の世界に帰れたりします?」

「いえ。それについては私も巫女を管理する教会関係者の一人として大変申し訳なく思いますが、今のところ元の世界に帰った勇者様の話は聞いたことがありません」


「じゃあ……」

「はい。ウェスタさんのことについて、少し思い違いがおありです」


「少し考えてみてください。おかしいとは思いませんか?」

「な……なにを」


「この国の女性は、15歳になると全員聖役を課されるということは既に聞いておられますか?」

「えぇ……」

「あなたが人の親だったとして、自分の娘が聖役に行く中、他人の娘が聖役免除されたからといって喜べますか? 果たして村をあげてお祝いなどするでしょうか?」

「……」


 言われてみれば、そうだ。

 だが、それが何だっていうんだ。


「……何が言いたいんです?」

「村が喜ぶ理由なんて一つしかないでしょう。補助金が出るからです」

「……!」


「彼女、村の財政を救うために補助金が欲しかったんじゃないですかね」

「そ……そんなこと、あの子、一言も……」

「いずれにしてもあなたには関係のない、ウェスタさんの村の都合ですからね。召喚された側の都合を無視して、といわれてはグゥの音も出ませんよ」

「いや、お、俺は……」


「いずれにしても、このまま彼女を放置しておくのは得策ではないと思いますよ。あなたはウェスタさんの巫女の力によってこの世界に存在しています。彼女が巫女の力を失ったとき、あなたという存在もこの世界から消えてしまいます。あなたが本当に勇者様であれば、の話ですがね」

「ファッ!?」


 衝撃の新事実。


「ウェスタが巫女の力を失ったら、俺も消える……? それって、元の世界に帰れるってことですか?」

「さぁ。そうかもしれませんし、そうではないかもしれません。それは死後の世界と同様、我々には観測できないことです」

「むぅ……じゃあ、巫女の力を失うってのは? 殺されたりしないように注意しろってことですかね」

「もちろん殺されてもアウトですが、純潔を失うことによってもその力は失われます。夜分に一人出歩くものではないと思いますよ」

「それって……」


 嫌な予感がする。


「俺……追ってきます!」


 倫は教会を飛び出した。

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