その9 『ED』
教会に入ると、神父が信者たちに何か説法をしているところだった。
元気よく扉を開け放ったウェスタは一転、後ろに立つ倫を振り返ってシーッ、と指を立てる。
「いけない、マスの途中みたいです。リン様、お邪魔にならないように静かについて来てくださいね」
「はい」
(大きな音を立てたのはキミだけで、俺は一切声も出してないのだがね……)
何事? と、既に注目を浴びている中、抜き足差し足で静かに部屋の中へと歩みを進める2人。
「どうかしましたか? 元気のよい、迷える子羊たちよ」
距離が縮まると、神父はそう声をかけてきた。
「はい! 私、クリオナの村から来ました、ウェスタと申します!」
(声が大きい)
マスとやらの厳かな雰囲気は、なかなかに台無しだ。
が、神父さまはニコニコと和やかに応対する。
「ウェスタさん。この教会に来られるのは、初めまして……ですかな? 私はアンドレ。当教会にて、司祭を務めさせていただいております」
「アンドレ司祭様。えっと……私、勇者様の召喚に成功しました! こちらが証拠の勇者様です! リン様、ドゾ!」
「あっ、えっ、おっ、ドモ。勇者デス」
(あ゛ーーーーーーーっ!!!! キョドッたぁぁぁぁあ!!!!)
ただでさえ知らない人と話すのは緊張するのに、何人もの信者たちの注目を浴びて頭は真っ白だった。
ざわめきだす信者たち。
アンドレ司祭は少し目を丸くしたものの、ごく穏やかに『なるほど』と相槌を打った。
「ではその証を見せていただけますか?」
「はい! リン様、射聖を見せてください!」
(ちょっと待て。こんなに人に見られてる状況で……)
聖翼は縮み上がり、膨らむ気配がない。
「……リン様?」
「ち、ちょっと待って……ん……あれ、どうしよ、出ないな……」
焦り始めるとますますその気配が遠ざかってゆく。
「ふむ、どうしました?」
「あっ……えっと。勇者様、実はまだこの世界に来て3日目なんです。それで昨日、ご自分が何回射聖できるのかを確かめるため深夜に一人、私が寝ている横で射聖に励んでいたそうで……まだその疲労が回復していないのかも」
「ふーむ」
「でも、勇者様というのは本当なんですよ!? だって昨日は24回も射聖したんですから! ねっ、リン様!」
「あ、う、うん」
アンドレは半信半疑といった様子だ。
「24回? にわかには信じがたいですね……いくら勇者といえど、人間が1日に24回も射聖できるものなんでしょうか……」
「本当なんです!」
「いずれにしても、証をお見せいただかないことには教会としても判を押すわけにはまいりません。また明日来ていただけますか?」
「うぅ……はい」
→ * → * → * → * → * → * →
その晩は、気まずい夜になった。
(初めてできた彼女との念願の初体験で緊張のあまり立たなかった男の気分に、今俺はなっているかもしれん……)
宿に向かう途中から、明らかに落胆した様子で口数が少なかったウェスタ。
出会ってまだ3日だが、その間ずっと、向日葵のように明るく華やかに自分の方を見続けてくれていた彼女の期待を裏切ってしまった。
言い表せぬ苦しみがチクチクと胸を刺し、それをごまかすようにベッドの中を左右に転がる。
(クソッ、明日だ。見てろよ、明日こそは……!)
(……………………)
(…………)
(……)
――結局、悶々としたまま一睡もできなかった。
← * ← * ← * ← * ← * ← * ←
倫とウェスタが日中、町をぶらついていたころ――
ユーノの馬車が、セルプレ公の屋敷に到着した。
使用人が扉を開ける。
彼女が馬車から降りようとすると、スッと伸びてくる手があった。
「お帰りユーノ」
ユーノはほんの一瞬だけピクリと体を固めたが、すぐに張り付けたような笑顔を浮かべながらその手を取る。
手を引かれるまま馬車から降りると、そのまま手の甲にキスされた。
「待っていた甲斐があったな。会えてうれしいよ」
「……私もですわ。お兄様」
"お兄様"と呼ばれた男は、ごく自然にユーノの腰に手を回しながら屋敷の中へと歩き始める。
「盗賊団を一網打尽にしてきたんだって? 相変わらずだね」
「ほんの暇つぶしですわ」
「でも賊は元勇者が率いていたって話じゃないか。あまり無茶はしないでくれよ」
「無茶などしておりませぬ」
「それもそうか。きみには心強いお供もいることだしね。なんといったか」
「S・KにK・Kですわ。覚えてくださいまし」
「はは、すまない。今度は忘れないでおこう」
数十人の使用人たちが入り口に立ち並び、一斉に『おかえりなさいませ』と迎え入れる。
扉を過ぎ、屋敷の中へ2人は進む。
「しかし腐っても勇者だろう。本当に大丈夫だったのかい?」
「何も問題はありませんわ。ニンフを従えていない勇者など恐るるに足りませぬ故」
「そうか、安心したよ。だがその体はもう君だけのものではないのだ。今後は少しは慎んでくれると嬉しいな」
ニッコリと、笑みだけを返すユーノ。
部屋の前に着くと、"お兄様"は名残惜しそうに彼女の手を離しながら言う。
「すぐに夕食だよ。その前に湯浴みを済ませておいで」
「はい、お兄様」
「待っていてくれ。今夜こそ私は……お前を受聖させてみせるからね」
そう言って廊下の向こうへ消えてゆく"お兄様"を見送りながら――
「すまんのう、ユフィテル……主がグズグズしているうちにもう済ませてきてしまったぞ、妾は」
お腹をさすりながら歪んだような笑みを浮かべる。
(さて、なんと言って今夜を切り抜けるか……これだから屋敷にいるのは嫌なのじゃが、まぁ会ってしまったものは仕方ない。相手は王位継承権第二位の男……妾の野望のためには無下にするわけにはいかぬしのう)
扇子を開き、ユーノはしばし思案した。
→ * → * → * → * → * → * →
翌朝。
「おはよーございます! リン様っ!」
バタン、と勢いよくドアが開かれる。
「……おはよう」
「リン様リン様ぁ。朝の散歩中、ステキなお店見つけたんです。一緒に朝食行きませんかぁ?」
ベッドにズイッと身を乗り出してきたウェスタがチラシを差し出す。
「あぁ、うん……行く行く」
(なに書いてるか、読めやしねーけど)
気にしていないのか、明るく振舞っているのか。対人経験の少ない倫にはその心情を読み解くことは困難だったが、ひとまず彼女の本心が何であるかは置いておくことにする。
(見てろよ……今日は必ずやってやる)
→ * → * → * → * → * → * →
「……出ませんね」
ふぅ、と首を振るアンドレ司祭。
朝のマスの最中、再び教会を訪れた二人だったが、結果は今朝も失敗のようだ。
体力は回復した。ウェスタと朝食を共にし、穏やかに談笑し、公園を散歩し、今度こそ精神的にもリラックスして万全の状態のはずだった。
(なのに……どうして!?)
後ろで不安そうな顔をしているウェスタの視線が刺さる。
「ウェスタさん。彼は本当に勇者なのですか?」
「ほ、本当です! 私、嘘なんてついてません!」
「しかし現に力を見せていただくことが出来ていない」
「そ、それは……」
「すみません。朝のマスが終わったら、教会が運営する孤児院に勉強や神学を教えに行かねばならないのです。また見てほしいのでしたら夕方に見てあげますので、それでよろしいですか?」
「あっ……わ、わかりました。何度もお時間をとらせて申し訳ありません……」
がっくりとうなだれるウェスタ。
倫はただ黙って歯を食いしばることしかできなかった。
→ * → * → * → * → * → * →
教会を出て。
「あはは……今日もちょっと、調子悪かったみたいですね」
「……ごめん」
「だーいじょうぶですって! 1日ゆっくりして、夕方また挑戦しましょ!」
蚊の鳴くような声で謝る倫に、相変わらず笑顔でフォローしてくれるウェスタ。
(……また夕方、か)
しかし、『1日ゆっくりして』とは言うが、夕方にまた来なければならないのか。それは1日ゆっくりといえるのか。今日丸一日、休ませてくれはしないのか。
倫の中に、初めて彼女への小さな不満が生まれ始めていた。
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