第31話 30.ハンカチを噛むサディストのカリグラフィー
ワード30は『カリグラフィー』だった。
知人がカリグラフィーマスターだ。その知人が通っていた教室は、空襲を奇跡的に免れた市街地にあり、二年に一度展覧会を開催している。僕は三回見に行ったことがある。一階には、白い苺をつかったタルト屋があって、展覧会の帰りにはそこで、タルトを食べていく。オープンテラスになっているのだが、立体駐車場と、銀行と、仕出し弁当の工場にはさまれた立地なので、景観はさほどよくはない。地元のFM局のサテライトスタジオが真向かいにあるが、ほとんどがキー局からの放送なので、たいてい日に焼けたカーテンが閉じたままだ。噴水も止まっている。それはさておき……
そんな関係で、何回かカリグラフィーを体験をさせてもらったことがある。正確には、カリグラフィーペンで筆記する体験をさせてもらったのだ。軸からシュモクザメのように横に飛び出したところにペン先がついていて、それが恐ろしいほどよくしなり、しなればしなるだけ開いていく。当初はペン先を傷めるのではないかとおずおずと押し開いていたのだが、先生の「もっとちゃんと緩急をつけて」という指導によって、しだいに大胆になり、ペン先もきちんとそれに応えてくれた。途中でインク壺にペンを浸して、垂れるインクをちょと拭って、サイドスローするようなバランスで
カリカリとペンを進めていくと、自分の身体と、肩と、肘と、手首と、指先と、ペン軸と、ペン先とが、それぞれがまるで無関係に、それでいて完璧なバランスで連携して、ほとんど意識しないまま、ラインが連ねられていき、それが「メリークリスマス」だったり「ハッピーバースデー」というアルファベットになっているという奇跡を、ほとんど傍観しているかのように、出来上がるであった。
綿密なガイドラインと、厳格に遵守すべきな角度とプロポーションというがんじがらめの中で、なぜこれほど自由闊達さを感じさせることができるのか。カリグラフィーは、サディスティックであることが、じつはその大枠においてはマゾヒスティックであるということを、身体に教えてくれる体験なのであった。
さて、俳句か。昨日の午前中に考えて駄目で、今日も昼過ぎまで作ってみて、全部いけない。夕べのプレバトの、梅沢さんの夏井先生による添削句は素敵だったな、と思いながら、皆藤さんの句を引きずり、レーザーラモンRGの句も一期一会という感じでよかった。
僕はたぶん、「お題」にべったり付きすぎる。それが、ワードでも、写真でも。不即不離という気合を、身に着けなければ先はないのだろう。
さて、改めて俳句か。
蚊の名残カリグラフィーのバッタもん
卓一つ栗剥く妻とカリグラフィー
蛇穴を出づカリグラフィーペン先割れ
冬の蜂カリグラフィーに似たりけり
秋の蝶カリグラフィーを描くかに
苗札にカリグラフィーを次々と
糸遊をカリグラフィーとして写す
カリグラフィ一行分の百合の花
冬の日やサイドスローのカリグラフィー
花篝カリグラフィーの所書き
春日傘カリグラフィーの名を入るゝ
渡り漁夫カリグラフィーの師範代
サディストの噛むハンカチやカリグラフィー
そして、表題句
ハンカチを噛むサディストのカリグラフィー
今回はこれで
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