第10話 マルトク事件に政府と軍が下した判断は

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 戦場から離れた後方で山岸とエルフィーナがもたらした諸問題の処理が進められる中でも、前線の戦況は刻一刻と変化していっていた。

 三月五日から三月六日の午前にかけて仙台奪還前哨戦たる今の戦いは日本軍の勝利が決定的となった。主戦線は遂に大河原・柴田方面まで到達し、角田盆地のほぼ全域を奪還した角田盆地方面軍と合流を果たしたのである。加えて太平洋側から進む第二戦線側も亘理町のほぼ全域を奪還する。

 これにより日本軍は岩沼・名取方面への進軍の障害となるCT及び神聖帝国軍を排除したも同然となり、いよいよ戦いは第二段作戦『岩沼・名取の戦い』へと移行していくこととなる。

 このように戦いの推移だけを見れば日本軍の作戦は上手くいっているように思える。しかし、ここ二日間は美濃部や璃佳といった上位指揮官クラスにとっては憂いが拭えぬ期間でもあった。マルトク事件に関しての孝弘達『帰還組』の処遇が固まっていなかったからである。

 ただ、それも六日の昼になってようやく正式な通達がおりた。璃佳は孝弘達のいる所へ向かっていた。


 ・・Φ・・

 2037年3月6日

 午後3時過ぎ

 角田盆地方面司令部付近


 かすり傷とはいえ負傷した孝弘と水帆は、あの後治療を名目に休息を与えられていた。元々彼等には激戦が続いていたからと一日の休息が与えられていたのだが、それを山岸に台無しされている。ただし二人に休息が言い渡されたのは体力や魔力回復的な面だけではない。孝弘を庇った長浜が負傷し半月の戦線離脱となったという事実は少なからず孝弘や水帆の精神面に影響――六年の戦場経験があっても、味方が自分達を庇って怪我をしたというのはいかに彼等とはいえ多少の動揺はする――を与えており、心配した璃佳が二人を休ませたのである。

 璃佳の心配は杞憂では無かったが、過度に気にするほどでも無かった。孝弘と水帆は特務小隊のテントで心を落ち着かせてぼんやりと過ごすことが出来ていたからだ。ただ、それも今日までであることは二人はよく理解していた。前哨戦は日本軍の勝利で終えそうで近いうちに岩沼・名取に戦場が移ることを知っていたからである。

 そのような中で、孝弘と水帆がいるテントに来た人物が二人いた。璃佳と熊川である。孝弘と水帆は立ち上がり敬礼すると、璃佳は答礼して二人へ楽にするよう言う。

 璃佳と熊川は近くにあった椅子に座ると、璃佳が話を始めた。


「二人とも、疲れは取れた?」


「二日も休みを頂いたおかげでしっかりと。怪我も大したこと無いですし」


「私もばっちりです。身体も軽いので、疲労も取れました」


「なら良かった。こっから先はまとまった休息が取れるか分からないし。第一、今回のお休みはあの時二人は休みだったんだから元を取っただけ。いいね?」


『ありがとうございます』


「いいっていいって」


 璃佳はヒラヒラと手を振りながら笑う。対して孝弘は浮かない顔つきだった。彼は璃佳に視線を移すと口を開く。情報として知ってはいるが、気にしていることだった。


「七条閣下、長浜中佐はどうですか」


「米原中佐。先に言っとくけど、長浜は自分が怪我をしてでもキミを守れて良かったって言ってる。負傷度合いも致命的なものでもなし、半月もすれば戻ってこれるんだし、本人はこっちにまた来る気マンマンだからさ」


「…………良かったです。本当に」


「存外キミも気にしいだねえ。人の生き死には慣れてるんじゃないの?」


「慣れてます。けど、助けて貰った戦友が怪我して平然としていられるほど冷めた性分でもなくて。当然のことですけど、戦場に持ち込むつもりはありません」


「ふうん。そっか」


 璃佳は孝弘の発言を聞いて意外そうな表情をした。隣にいる熊川もだった。


「Sランクとはいえ、人は人だな。……いや、すまない。てっきりその辺は割り切るものだと思っていたからな」


「何年経っても慣れないものですよ、熊川中佐。山岸が大声出して自己主張してくれたおかげで長浜中佐も自身が死なない庇い方が出来ただけで、ヤツが真のプロだったら今頃三人仲良く二階級特進でしたでしょうし。悔やめるだけマシです」


「その点は同意する。ただ、第三者が言うのもおこがましいかもしれないが、あまり気にするな。貴官なら大丈夫だろうが、尾に引かないように」


「ええ、もちろん」


「その言葉が聞けて安心した。高崎中佐の方が冷静そうに見えるが大丈夫か?」


「一日は思いっきりくよくよしました。私があの時こうしてれば長浜中佐は怪我せずに済んだんじゃないかって。でも私、彼と逆で沈む時は深くなんですけど、次の日にはスッキリさせちゃうので」


「いい心がけだな」


「ええ。それにニ、三日は引っ張っちゃう彼を支えるのは向こうの六年で慣れてますから。代わりに初日は彼に支えてもらってますけど」


「ははっ、いい夫婦だな」


「やだなあ、熊川中佐。まだ婚約状態ですよ」


「んんっ」


 璃佳がわざとらしく咳払いをする。そろそろここに来た話を切り出したい。という意味と、米原中佐が照れてるからやめてやれ。と二つの意味での所作だった。


「あ、申し訳ないです。閣下」


「すみません……。私ったら孝弘のことになるとつい」


「ごちそうさまでした。イイもんみれたよ。…………じゃなくて。私も大概だねこりゃ」


「閣下がここに来たのは、私と水帆に伝える案件があるってことですよね?」


「そうそれ! 上から前線『帰還組』も含めて本件に関して方針が決まったからそれをね」


 璃佳が『帰還組』と『方針』という単語を出すと、孝弘と水帆の顔がひきしまる。マルトクが及ぼした影響を上はどう処理するか、二人ともまだ何も聞いていなかったからだ。


「電子書面で送るから読んで。話すとちょっと長いやつだから」


「分かりました」


「了解です」


 孝弘・水帆の順で言うと、璃佳は二人に電子書面を送る。そこにはこう書かれていた。


【マルトクY案件に関する前線帰還組を含む帰還組の当面の処遇について】


 ①本案件に関し前線『帰還組』は何ら影響が及ぼされないことを軍及び政府は保証する。よって今後の作戦行動に支障はない。これまでと同様に指揮官の判断のもと作戦に従事されたし。


 ②本案件に関し前線『帰還組』に圧力・風評被害が発生した場合、政府及び軍はこれに対して『帰還組』を保護する立場にあるものとする。また、これまでに得た戦功等に今後の分も含め不当な評価が及ばないことも保証する。


 ③②に関し、前線帰還組士官はマルトク暴走による被害を最小限に抑え帝国潜入者の捕縛に成功していることから、むしろその活躍を評価されるべきである。本緊急作戦に伴う武勲は当然評価点数に加え、今後の昇進の判断にも含むものとする。


 ④②に関し、不当な圧力や風評被害に対しての政府・軍の保護は終戦後も保証するものとする。


 ⑤②関し、前線帰還組の親族に影響が及ぶ場合、該当者の身辺及び人権の保障は政府が行う責務とする。よって、当面は警察が該当者の警護を行うものとする。


 ⑥本案件に関しての適用範囲は前線帰還組だけでなく、後方支援に回る帰還組や民間帰還組も含まれる。ただし要注意人物に指定されている帰還組はこの限りではない。該当者には調査を続行する。


 ⑦前線帰還組においては、今後も活躍を期待する。貴官等の引き続きの健闘を願っている。


 内閣総理大臣

 大桑元貴おおくわもとき


 国防大臣

 豊川博勝


 日本軍統合参謀本部統合参謀総長

 香川高信



 孝弘と水帆は電子書面に目を通して安堵した。

 今回の事件は山岸が帝国の潜入者に唆されて暴走を起こした可能性が極めて高いとされている。『帰還組』と一括りにされるのは納得いくものではないのだが、山岸が帰還組である以上は事と次第、政府や軍の対応によっては自分達の立場を危うくするものだったのだ。

 その政府や軍が出した結論は簡潔にいえば「山岸と他の帰還組を一つの括りにするつもりはない。要注意人物はともかく、前線帰還組を含めて不当に扱うつもりはないし、風評被害等から君達を守る」といったもの。明文化してまで孝弘達の味方であると書いたのだ。孝弘達が安心したのも無理はない。


「そこにある通り、今後の作戦に際して分別のつかないヤツらに妨害されることはなくなった。正確には一部のアホはいるけど、そういう手合いには政府や軍が対抗するってとこかな。だから貴官達は後方のゴタゴタのことまで憂う必要はないよ」


「良かったです。これで特務小隊の部下達にも心配かけずに済みます」


「バカが起こした行動でこれ以上ウチらが迷惑被るのなんてたまったもんじゃないからね。政府と上が理性的な判断をしてくれて、私も安心した」


 ええ、全くです。と、孝弘と水帆は返答する。

 璃佳は二人の表情が和らいだのをみて、先手を打って良かったと感じていた。作戦に影響があってたまるか。という考え最優先で動いたことではあるが、孝弘達も含めた帰還組に余計な心配ごとを持たせたまま戦わせたくなかったのも確かだからだ。


「この件は大輝達には私から伝えればよろしいでしょうか?」


「いいや。私が直に話しにいく。だからキミ達はゆっくり心と身体を休ませておきなさい。明日からまた忙しくなるからね」


「分かりました。――ありがとうございます、七条閣下」


「ん、どういたしまして。じゃ、私は早速川島中佐と関中佐に話してくる」


「よろしくお願いします。二人もその話を聞けば胸を撫で下ろすかと」


 璃佳は、「ん」とだけ言うと孝弘と水帆のいる場所を後にした。

 彼女は自分が徹夜で各方面に働きかけたことを言うつもりはなかった。ただ彼等の安心した顔が見られればそれで十分だったから。

 こうしてマルトク、山岸の件はとりあえずの形ではあるが一件落着となったのだった。

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