第9話 国防省大臣室にて
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2037年3月4日
午後6時15分
大阪府大阪市・国防省臨時施設
国防大臣・大臣室
日の入りを午後六時前に迎えた大阪市はオレンジと濃い青が混ざる空が広がっていた。しかし中央省庁の臨時施設が集まるこの地区で、今空を眺められるほど悠長にしていられる者はいなかった。最たる例が国家公安委員会と国防省で、マルトクとエルフィーナの件の関係者でもある。
その中で国防省は伊丹と同様、定時を過ぎた――開戦以来、定時の概念など行方不明になってしまっていたが――にも関わらず帰宅の途につく気配など微塵もなく、今も施設内のあちらこちらで文官と軍人の分け隔てなしに歩き回っていた。
しかし、国防省臨時施設内でも静かな区画がある。それは国防大臣の大臣室。防音魔法が施され、人払いも済まされている。
室内にいるのは二人だけ。一人は香川上級大将。もう一人は部屋の主たる国防大臣の
二人は会話を始めて少しだけの間は互いを労うなど当たり障りのない雑談をしていたが、それもすぐ終わる。本題を切り出したのは豊川だった。
「さて、香川さんをお呼びしたのは事前にお伝えした通り二点です。一つは帝国の内部潜入者について。二つ目はマルトク。『帰還者』グループの一人、山岸と帰還組そのものについてです。まずは一つ目に関して、早速お聞きしても?」
「構いませんぞ。ただ、大臣もお察しの通りまだ事が起きて半日と少ししか経っておりませぬ。大した話は出来ませんぞ」
「問題ありません。報告書ベースでは既に総理へお伝え済みですが、本件は重大事態。普段はどっしりと構えられている総理もコトを憂慮されておりましてね……」
「…………それは主に二つ目の話を、ですかな?」
香川の言葉に豊川は曖昧に首肯する。暗に二つともだが、どちらかというと二つ目についての方がと表しているようだった。生粋の軍人と、国防組と呼ばれるほど安全保障に長く関わってきた豊川の付き合いはかれこれ一〇年にもなる。このやり取りだけで何となく豊川の言いたいことを察した香川は手短に一つ目の話を始めることにした。
「ネズミに関しては敵勢力からの奪還を防ぐため七条准将の召喚生命体、空狐・茜の封印措置を維持したまま大阪へ持ってくる事が決まり、既に厳重な警備のもと現在陸路にて輸送中です。既に関東まで着いたでしょうから、そこからは空路で伊丹空港へといった具合ですな」
「全て空路ではいけませんか? というのは野暮ですね。ドラゴンや飛行型エンザリアが現れでもしたら大惨事です」
「理解頂けているようで助かります」
「いえいえ、これくらいは国防族ですから」
「そこの理屈が分からんのがいるのが頭痛のタネですが、面倒な輩の対処は大臣に任せます。――伊丹到着後、軍管理のもと洗脳防止措置及び魔法封印措置を講じた上でネズミの尋問を行います。非魔法尋問担当官と魔法尋問担当官は既に洗脳看破魔法にて対策完了。万全の状態で臨みます」
「本来は魔法情報や公安の仕事ですが、難しいでしょうね」
「両組織についてはシロと出るまで使いにくいのが現状ですな。統合本部の情報参謀部と中澤魔法軍総長が信頼を置いている人選で実施します。中澤魔法軍総長曰く九州に腕の良いのがおるらしく、本件の性質上からして九州なら手が伸びていることは無いだろうと」
「イレギュラーですが、やむ無しと。それなら総理もまあ納得はされるでしょう。……一つお聞きしますが、香川さんは帝国のネズミはどちらから情報を得たと思われますか?」
「意地の悪い質問をされますな。情報の抜き取られ具合にもよりますが、機密度の高い情報は魔法軍の線は薄いかと。身内を庇うわけではありませんが、魔法情報が入る大阪キタの施設にまで侵入するのは至難の業です。ただ、洗脳の腕次第ではどこでも同じなようなもんですが……。ここも尋問で必ず吐いてもらうつもりです」
「分かりました。総理には尋問結果待ちと伝えておきます。……その総理からの伝言ですが当該は条約締結国でなく、しでかしたコトが重罪も重罪であるから軍の裁量に任せるとのことで。マルトク相手だったらこうはいきませんでしたが、なにぶん相手はネズミですので」
香川はもとよりそのつもりだったが、総理のお墨付きともなれば躊躇なく苛烈な尋問もやりやすくなる。彼はありがたく総理の伝言を受け取ることにした。
「では、二つ目に移りますか。マルトクと『帰還組』についてです。まずマルトクから。彼が暴走した事により、帰還組保護チームは戦々恐々の様相でしたよ。同情するくらいには」
「彼等に責が無いかと言われればゼロではありませんが、少し可哀想ですな……。
「余程の馬鹿じゃない限りは、がつきますがね」
「ふうむ。思ったより厄介な話になりかけてますな?」
「ええ。いらぬ風評被害が生まれそうなのは事実ですよ」
豊川は露骨にため息をついてみせた。たった半日でどこからか何らかの話が出ているのだろうと香川は理解した。
「『帰還組』と一括りにするのは少々乱暴な気がしますがね。総理はどのようなお立場で?」
「機密事項であるマルトクの情報が筒抜けになってしまっており、利用された点を大変遺憾に思っております。その上で、帰還組全員がそうではないと十分に理解しているが、全員が大丈夫といえる保証もないだろう、と」
「痛いところをつきますな……。ですが、軍としては強く反論しますぞ。軍籍を置いているか軍に協力してくれている帰還者についてはシロと言わせてもらいます。もちろん少しでも怪しい素振りを見せた者には調査をしますが、少なくとも今前線において命を賭けて戦っておる帰還組達まで一緒くたにされては困ります」
香川は言葉の裏に、「米原中佐達まで一緒にしてみろ。前線の士気低下どころか作戦そのものに綻びが生まれて政府が求める戦略にも影響が出かねないぞ。命懸けで能力者の責務を果たす彼等に恩を仇で返すような事をしようものならタダでは済まないぞ」という意図を潜ませる。
豊川もその点はよく分かっているのか、すぐにこう切り返した。
「…………総理も前線で戦う帰還組の方達まで疑っている訳ではありません。一部の脳ミソが足らない人達は物事を一面でしか考えられないのでどう思うかは未知ですが、その辺をどうにかするのは政治家たる我々の仕事ですので。ただ保護チーム作成の資料にもあるように、ごくわずかな帰還者は懸念するに十分な素行・言動不良者がいるのも確かですので」
「なるほど。では、脳内が残念な方々を大人しくさせる材料があればよろしいと」
「頂けるのであれば、越したことはありませんが……。いや、まさか……」
「おや。その様子ですと予想していたより、やかましい連中が静かなのは何故かと不思議に思っていた訳に気づかれましたかな?」
「香川さんの事ですから手は打ってくると思ってはいますが、もしかして」
「いやいや、買いかぶり過ぎです。まあ、コレをお読みくだされ。私よりずっと強力な手札が揃っておりますゆえ」
香川は鞄の中に厳重にしまってあった紙の資料を豊川に渡す。
豊川は受け取ると、終始目を丸くした様子で資料に目を通していた。
「これは驚きました。道理で魔法省も日本能力者協会も今のところ大人しい訳だ。いつもはなんでも反対議員連中もだんまりしているのが多いのはそういう事だったか……。うるさいのは本当のバカしかいないのが丸わかりだ」
「私としても天晴れと言いたい先手打ちでしたな。前線の将官級にSランク能力者が三名も署名されていればまず国防族は静かになりましょう。続けて経済の七条に政治の六条。この二家の名前がある時点で無言の圧力に。加えて民間魔法関連と親交の深い八条がおりますから、民間能力者の管理やランク認定から魔法文化振興まで手広く行う日本能力者協会も下手には動けますまい。日能協がこうですから、密接な関係のある魔法省は六条の絡みもあって尚更抑止力になる。京都方面で影響力のある九条にまで手が回っているのも大きいですな。筋の通っている話だけに、隙あらば九条術士内で復権を狙う二条や五条あたりも手出しがしにくい。一条、三条は静観。四条は京都のゴタゴタには我関せず。これ程までに手回しが済んでおるのですから、この期に及んで与党の足を引っ張りたい一部の野党には十二分な威力を持つ手札ではありませんかな?」
「ええ……。情報漏洩の失点を追求されるのは避けられませんが、帰還組に下手な風評被害が及ぶ可能性はかなり低くなるかと。政治はともかく戦況への影響は極力少なくしてみせます」
「その言葉が聞けて安心しました。我々も
「分かりました。素行のよろしくない帰還者がいる事実がありますから全ては庇いきれませんが、国防大臣として前線や協力者の帰還組は必ず守りましょう。そうでもしなければ、彼等が報われないですし、何より風評被害が起きてそれが伝わった時の前線将兵の反発を考えるとゾッとしますので」
「よろしく頼みますぞ」
「総理にも伝えておきます。あの人は六条とも親しいですから既にやんわりと話はいっていると思いますが」
「存分にソレをお使いくだされ」
「そうさせてもらいます」
豊川は安堵の息をつき、ようやくひと心地ついたといった様子でぬるくなったお茶をすすった。
璃佳が打った先手は、どうやら前線に響く影響は最小限に抑えられそうな様子であった
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