第8話 伊丹での一幕

 ・・8・・

 マルトクこと山岸とエルフィーナによる角田盆地司令部奇襲という大事件は一時戦線全体に混乱をもたらしたが、早期に事態を解決したことにより最悪の事態を回避することができた。山岸が爆死し、エルフィーナの暗殺を防いだことで指揮機能を喪失せずに済み、奇襲と併せて始まった神聖帝国軍とCTの夜間攻勢を跳ねのけられたからだ。

 しかし、今後の作戦に影響が出ることから目を背けられない被害が出たのもまた事実であった。その最たる例が長浜の長期戦線離脱である。山岸からの攻撃から孝弘を庇った長浜が負った傷は相応に深く、軍医の診察結果は『魔法医学による治癒促進を実施しても全治半月。前線の野戦病院では早期復帰のための治療は困難につき、宇都宮設置の軍病院へ移転が必要。仙台奪還作戦の参戦は極めて難しい』というものだった。

 これにより特務連隊第三大隊の指揮は副隊長の安宅少佐に引き継がれることになった。安宅少佐の指揮能力については璃佳も保証しているから良いのだが、長浜が欠けたことにより第三大隊の作戦能力低下は避けられないものになってしまったのである。半月で戻ってこれることと、長浜本人はなるべく早期に戦線復帰を望んでいることが唯一の幸いと言えるだろう。

 だが、問題は直接被害だけではない。むしろこちらの方が深刻と言えるだろう。これは前線だけでなく戦地から遠く、日本軍の中枢機能たる伊丹の統合司令本部も同じであった。


 ・・Φ・・

 2037年3月4日

 午後3時半頃

 兵庫県伊丹市・日本軍統合司令本部


 日本軍統合司令本部は速報が入った直後から蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。それは山岸爆死による死傷者発生と敵軍の夜間攻勢開始で頂点に達し、エルフィーナ捕縛成功と敵軍夜間攻勢への反撃で一旦落ち着いた。

 しかし璃佳や美濃部からの報告で詳細が判明し始めると、再び混乱の極みに叩きつけられた。今回の件に関して、内部から情報漏洩の可能性が高くなってきたからである。特に情報参謀部は酷い有様であった。

 時刻は昼過ぎ。日本軍トップたる香川上級大将の執務室には高級参謀がひっきりなしに出入りしていたが、次に彼の部屋へ入ってきたのは魔法軍のトップ中澤大将であった。

 入室した中澤大将にはいつもの余裕は無かった。冷静沈着な彼とて、今回の件は余程衝撃的だったようだった。


「香川上級大将閣下。この度の件、誠に申し訳ございませんでした……。帰還者が暴走し米原中佐達を奇襲。挙句爆死して将兵に死傷者が発生しただけでなく、裏で帝国のネズミが手を引いているとは思わず……」


「中澤大将よ」


「……はっ」


「心境は十分理解しておるが、まあ落ち着きたまえよ。今の姿は貴官らしくない。水でも飲むかね?」


「…………頂けますと幸いでございます。お恥ずかしい話でありますが、速報を耳にしてからそういえば水もあまり飲んでおりませんでした」


「やはりの。水差しにはまだ沢山入っておる。一気に飲んでも構わんぞ」


「では、失礼しまして……」


 中澤はコップいっぱいに水を入れると、一気に飲み干した。それから深呼吸を二度、三度してからようやくひと心地ついた様子になった。


「ありがとうございます、閣下」


「よいよい。私とて速報を聞いた時は冗談抜きで顎が外れるかと思うたわ。……まあ実際には私の顎なんぞ外れとらんからどうでも良い。魔法軍の方で詳細はだいぶ分かるようになったかの?」


「はっ。はい。事態発生からまだ半日と少しでありネズミの尋問も始まっておりませんので推測の類が多いですが、だいたいは」


「今はそれで良い。して、どうじゃった」


「既に情報は上がってきていると思いますが、マルトクとネズミの関係性はほぼクロといって間違いないでしょう。ネズミが七条准将の暗殺をしようとした時刻とマルトクが米原中佐達を奇襲した時刻はほとんど離れておらず、マルトクの発言した名称と位置からしてネズミであることは間違いなく、以上からマルトク及び帝国のネズミには深い関連性があると思われます」


「セレネ。じゃったか。しかしアレは山岸がおった異世界の人物名じゃろう。噛み合わん点があると思うが」


「七条准将を襲撃したネズミは洗脳と変装に優れるとのこと。これはあくまで自分の見解でしかありませんが、マルトクがネズミに洗脳されていた線も捨てきれません」


「まあ、そのあたりも尋問をして見なければ分からぬか」


「はっ。はい。その通りであります」


「ふうむ……。コトは随分と厄介なものになりそうじゃの……」


 香川は参謀達から受け取った資料を見つつ、いつもより暗い声音で言った。


「詳細はネズミの尋問待ちとしてじゃ。本件は前線に余計な心配をかけさせることになるじゃろうな」


「はっ。はい。軍官いずれかから内部情報が漏洩している可能性が確証に変わった場合、緊急的な洗浄措置が必要になります。既に魔法軍情報部への調査は始めておりますが、公安の方は畑違いゆえ、ツテを使ってはいますがまだ情報は入ってきておりません。どこから漏れ出たか分かるには尋問結果と併せて時間を要するかと。いずれにしても、本件の調査で多大な人員と時間を消費するハメになります……」


「ぬぅ……。仙台奪還を前に痛手じゃの……。せめて前線の将兵達が抱きかねない疑心暗鬼はどうにかならぬか」


「はっ。いいえ、難しいかと思われます。先程お伝えした通り、ネズミの尋問結果で中身が明るみにならない限り、全て推測で動くことになりますので……」


「マルトクめ……。半ば己が私怨でここまで軍官双方を掻き回してくれるとは……。下手をすれば軍の諜報部に情報参謀部が機能不全に陥りかねぬぞ……」


 香川は書類を握っていた手の力を強め、紙がくしゃりと音を立てた。年の功と自身の立場ゆえに一際落ち着いてみえていた彼ですらこれなのだ。事態はそれほどまでに厳しい状況にあると中澤は改めて痛感せざるを得なかった。

 香川は息を深く吐くと、再び口を開いた。


「実はの、国防大臣に夕方から国防省に来てくれと話を受けておる。夜中と朝、二度も臨時首相官邸に行ってこれで三度目じゃ。今回の呼び出しは帰還者に関する事と、帝国のネズミについてじゃ。帝国のネズミについてはともかく帰還者のことについては、夜中のうちに政府閣僚内に話が広まっておるから、既に一部の国会議員や旧華族系のうち政治中枢に絡んでおる者達、とりわけ九条術士辺りには伝わっておるじゃろて。流石にマスコミには漏れておらんようじゃが、時間の問題かもしれぬ」


「…………」


「仕方の無いことじゃ。大臣の心境は儂もよう察しておる。じゃがのう、帝国のネズミについてはまだ分からんとしか言えん。帰還者達にしても、せめて米原中佐達だけでも擁護したいとは思うておるが、どうなるか……」


「その件に関してですが、三〇分ほど前にある書面が届きました。発は七条准将。ただし、軍外の連名付きです」


「ほう。軍外の連名とは興味深いの。通常の電子化はしておらんじゃろうな?」


 香川はやや驚いたのか、細い目をいつもより見開いていた。


「はっ。はい。本書面は高度暗号化通信で送られたものです。原本は厳重に保管し、紙にしたものはこちらに」


「うむ。受け取ろう」


 香川は中澤から書面を受け取るとじっくりと読み始める。しばらくしてから、彼は今日初めてする笑みをみせていた。


「さすがは魔窟まくつと呼ばれる九条術士が一つの七条家、その筆頭後継じゃな。どうせ話が政経中枢部に流れるのを見越して、本件で米原中佐達帰還組へ圧力をかけてくるであろう連中に対し先手を打ってきたわ」


「自分も驚きました。妻の実家九条家へも含め、この短時間にここまで手回ししてみせるとは。半日でここまで手札を揃えたのですから、この後にはまだ次弾が届くでしょう。最も七条准将は前線にかかりきりですから、第二弾以降は七条家から送られるでしょうが」


「第一弾でも十分な威力じゃよ。これは国防大臣へ良い手土産を持っていけそうじゃ」


「ええ。少なくとも、初動で我々が不利になることは無いでしょう。仙台奪還戦を妨害される可能性も幾分か低まるかと。強力な援軍です」


「じゃな。――のぅ、中澤大将」


「はっ」


「七条准将が実家を通じてここまで手配したのじゃ。軍に不届き者がいないことを祈るが、不遜な輩がおったなら必ず炙りだせ。それと、ネズミの尋問は少々苛烈にしても構わん。手段は問わんから真相を全て引っ張りだせ。もし軍のいずこかの個人名が出たのなら、儂の辞職を差し出す。やってくれるな?」


「は、はっ!! 必ずや成し遂げます。軍の名誉、私の名誉にかけて」


「うむ。頼んだぞ」


 話を終えると、中澤は退室した。香川は執務椅子に深く腰掛けると、璃佳が送ってきた資料に再び目を通した。


「さて、これが吉と出るか凶と出るか。儂の使いようじゃからの。ここでこそ本気を出さねばな」


 香川が手に持つ資料。そこには以下のようなタイトルと、文末には幾つもの電子署名が書かれていた。


『前線に所在する帰還者将兵及び本件と無関係の民間帰還者に対する、風評被害防止並びに名誉・身分保護措置の緊急要望に関して』


【本要望書・署名者】

 ◾︎日本魔法軍

 代表:准将・七条璃佳


 以下連名署名者

 大将・美濃部香織(日本軍東北方面奪還作戦統合司令部全権代表として)

 大佐・今川月子

 大佐・蓼科大吾


 ◾︎七条家

 当主・七条真之


 ◾︎六条家

 当主・六条実裕


 ◾︎八条家

 当主・八条兼光


 ◾︎九条家

 当主・九条高保

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