第5話 査察は明日ですよ、間に合いません
ゲートの制御室は工事用ステーションと接続している。システムが完成した時点でステーションの切り離しと解体が行われる予定になっているため、渡り通路は仮のものだ。もちろん仮とは言っても気密も構造もしっかりしている。
電装系、制御系、ソフト系、さまざまな技官に混じり、良二とユートはその廊下を渡っていた。
警報こそ鳴らないものの、全職員に職場待機命令が出された今、追い抜いていく技官もすれ違う職員も、全員がピリピリしていた。
「続報はある?」
後ろを振り返らず、良二はユートに声をかける。
「メーリングリスト上に新しい情報はないようですね」
手元のレポート端末をちらと見て、ユートが答える。
「じゃあ、ちょっと状況をまとめてみようか」
「はい」
「位相空間との接点を作るコアユニットが暴走した。原因はこれまでの調査でまったく不明。コアユニットの電源供給はすでに落としているが、停止する様子はない。制御系からのコントロールは不能。排出エネルギー吸収装置は、かなり高い数値を出している。こんなところか」
「そうですね」
渡り廊下が終わる。今度はゲートを構成する通路だ。
「有効な手立ては思いつく?」
「どうでしょう。私は電装系ですが、原因不明ならとりあえず電源を落とします。しかし電源を落としているのに止まらないとなると、どうすれば良いのか」
「ま、元の元だな。それしかなさそうだ」
「は?」
「職員の退避を指示して。ゲートの主電源から落とす。全部ばっさり」
「ほ、本気ですか」
ユートは上ずった声で聞き返す。
「そんなことをすれば再セットアップにまた三日くらいかかります。査察は明日ですよ、間に合いません。それに原因の解析はどうするんですか」
「査察はどうでもいいよ。私が文句を言われれば済む。原因解析は、これまでのログで充分だろう」
「それに主電源を落とすと生命維持システムまで――」
「落ちるよ、もちろん」
良二はあっさりと言う。
「だから退避するんだ。まあ、すぐに戻すからたいしたことはないと思うけど、念のためにね。責任者だけ数名残るように指示して」
「わ、分かりました」
ユートは急いでレポート端末をたたく。メーリングリストに指示が流れる。「速報」扱いで流しているから、すぐに周知されるはずだ。
「指示を出しました」
「ありがとう。私はこのまま制御室へ行くけど、ユート君は戻っていいよ」
「戻りませんよ」
少し恨めしそうにユートは答える。
「不本意ですが、私は部長の秘書役です。付いていきます」
良二は笑った。
「ありがとう、じゃ、行こうか」
良二の構内携帯電話が鳴る。ポケットからカード状のそれを取り出し、良二は話す。
「うん。うん。そうだよ。そう。ログ。足りない? でしょ。うん」
通話を切る。
「制御室のエドが――」ユートに話し掛けようとしたとたん、また鳴る。
「はい。ああそう。流して。うん、それも。すぐにね。よろしく」
切る。良二は苦笑した。
「管理室から確認されたよ、退避警報流して良いのか、って」
「それはそうですよ。今まで出したことないんですから」
鋭い警報が響き渡り、通路の片隅に取り付けられている赤いランプが点滅を始めた。
『全職員に通達です。これは訓練ではありません。退避警報が出されました。制御室責任者を除き、すべての職員はゲートから退避してください。繰り返します。これは訓練ではありません――』
良二たちの前や後ろにいた職員が、はっとしたように立ち止まり、慌てて工事用ステーションに向かって戻り始める。良二たちはその間をすり抜けて進む。
再び、良二の端末が鳴った。
「はい。ああ。私ですよ。え? ええ、分かってます、責任は私が持ちますから、ご心配なく。はい」
通話が終わってから、良二は肩をすくめて見せた。
「レイブン理事だ」
「あ、今のはなんとなく分かりますよ、会話で」
「分かるよね、あの人は。責任問題が好きだからね」
制御室につくころには、誰ともすれ違わなくなっていた。もうほとんどが工事用ステーションに戻ったのだろう。入り口のドアがスライドし、二人は制御室に入る。
「部長!」
先ほどの通話の相手の一人、エドワード・デッカー主査が二人に気づいた。
「本当に全部、落とすんですか」
「落とすよ」
それから良二は制御室をぐるっと見渡し、顔をしかめた。まだ一〇人くらいの技官がおのおの席についている。
「何でこんなに残ってるんだ。早く退避しなさい」
「すみません部長」
エドワードが謝る。「指示はしたのですが……」
「部長」
コンソールについていた一人が立ち上がった。
「我々も技術者の端くれです。万一を想定して、自分の意志で残っています」
「……わかった。ありがとう。まあ、私とエドワードだけじゃ、操作も大変だからな」
良二は笑みをこぼす。
「さて、そろそろどうだ。退避は終わったかな」
良二はカード端末で、管理室に連絡する。
「どう、全員退避した? うん。うん。まだ? え? ああ、はいはい。うん」
しばらくして、遠くで何かが閉まる音がした。
「隔離壁も閉まったみたいだな。さて、落とそうか」
「了解です」
エドワードが答える。座っていた技官たちも襟を正すように座りなおす。なにしろ、システムの完全な再起動は初めてのことだ。
「シャットダウン手順、開始」
「了解、手順開始します」
エドワードの宣言に技官が答え、作業内容を声に出しながら手順が進められる。いきなりスイッチ一つで落ちるわけではないのだ。手順が進められるにつれ、全体の唸りが少しづつ小さくなる。やがてエアコンも、生命維持装置も止まった。空気がよどんでくる。良二は額に浮いた汗を拭いた。
最後は壁に取り付けられた引き落とし式の大きなスイッチだ。
「メインスイッチ、切断」
そばにいた技官が、がこん、と音をさせてレバーを引き落とす。かすかに響いていたモーター音が、糸を引くような余韻を残して、小さく消えた。水を打ったような静寂が、辺りを包んだ。
「エドワード、どうだ?」
制御室の端には肉眼でゲート中央部が見られるよう、窓があけてある。それを覗いていたエドワードに、良二は聞いた。
「……だめです」
「何?」
良二は耳を疑った。思いもよらない答えだった。
「駄目、だって?」
「駄目です、止まっていません!」
エドワードは悲鳴を上げた。
「接点生成のコンストラクション歪みを確認! 位相空間オープン、ローディングフェイズに突入しています!」
「主電源を入れろ! モニターだけでも戻せ!」
良二は叫んだ。技官たちが慌てて作業を進める。
(すべての電源が落ちているのに、なぜ動作する! どこからエネルギーを――)
モニターに火が入る。一時的に制御を離れた遠隔カメラは、何もない宇宙空間を映し出している。
技官がコンソールをたたくと、ようやくゲートが映った。中央のゲート接点が虹色に揺らめいている。接点の安定まで、ほとんど秒読みの状態だった。
「――フェイズが安定化に入りました」
技官が、声を震わせて報告する。
「こちらの制御は出来ていません……いや……待ってください。吸収エネルギーレベルが……」
その技官はパネルを覗き込む。そのまま、恐怖に目を見開いて甲高い声を上げた。
「吸収エネルギーレベルが急上昇しています! これはまさか」
モニターの中で、ゲート接点がひときわ明るく輝いた。そしてゆっくりと盛り上がり始める。
「何か……何か出てきます!」
技官はかすれた声で叫んだ。
良二もユートもエドワードも他の技官も、皆が呆然とモニターを眺めた。
ゲートの中央から、何かが姿をあらわした。いや、ゲートを抜けてくる以上、それは宇宙船である。しかしなめらかな流線型のデザインをしたそれは、地球の無骨なデザインとは似ても似つかない。
見たこともない宇宙船が、悠然と姿をあらわしつつあった。
「ファースト・コンタクト……」
良二はぼそりとつぶやいた。
ミイとの遭遇 八川克也 @yatukawa
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