第4話 ねこみみしょうじょがぼくのへやにいるんだ
秋人と少女は部屋の真ん中に出してあるテーブルに向かい合って座った。少女はだぶだぶののTシャツを着ている。秋人が、とりあえず自分の服を着せていた。大きすぎて、まるでワンピースのようにも見える。
少女はそのぶかぶかの服を引っ張ったり、胸のワンポイントを見たり、とにかくうれしそうだ。
「お嬢ちゃん、お名前は?」
「みぃ」
「いくつ?」
「みぃ」
「どこから来たの?」
「みぃ」
会話が成り立つ気配はない。秋人の質問に、少女は「みぃ」と答えるだけだった。秋人は天井を仰いだ。
(困ったな……)
秋人はガシガシと頭を掻く。警察に連れて行っても、この調子で受け答えされては変な疑いをもたれるのは必至だ。秋人は状況をうまく説明できるとはとても思えなかった。
ぐううう――。
妙な音がした。秋人は音のしたほうを見る。少女がうつむいて自分のおなかを見ていた。それからちょっと顔を上げ、上目遣いで秋人を見た。
「み……?」
頬を赤らめ、少し困ったように小首をかしげた少女に、不覚にも秋人はまた『かわいい』と思った。まるで子猫がエサをねだるみたいで、保護欲を掻き立てられてしまう。
「ちょ、ちょっと待って」
秋人は台所に行って戸棚をあさる。
菓子パン二個とカップラーメンが出てきた。カップラーメンを作ることもできるが、箸が使えるとは思えない。秋人は菓子パンだけを持って戻った。
「食べる?」
袋を破って手渡すと、少女は顔を突き出してちょっと不思議そうにパンの匂いをかいだ。
秋人は笑った。
「大丈夫だよ、毒なんて入ってないから」
少女は受け取ってからも少しパンを見ていたが、一口食べ、ぱっと顔を輝かせると残りをほとんど一息で食べた。秋人はびっくりして、それからあわててもう一袋開ける。
「こっちも……」
食べる? と言い終わらないうちに少女がそれを奪うように取った。それも食べ終わると、少女は指先についた残りをなめるように人差し指を口に含めながら、にっこりと笑う。満足そうで、それでいて「次は?」といったふうだった。
「もうないよ……」
秋人はちょっと呆然とした。こんなことならもっと買っておけば良かったと後悔する。
突然テレビがついた。秋人は一瞬あせるが、いつも目覚める(というか遅刻だけはしないようにする)ためにセットしておいた、テレビのオンタイマーだった事に気づく。
「あ、目覚まし代わりのヤツか……」
「みぃ?」
少女が立ち上がり、テレビの前に移動した。座り込み、じっと動かない。聞き耳を立てているのか、猫耳も小さくぴくぴくと動いていた。
(この間にちょっと買い物に行くか?)
番組はニュースだが、相当興味深いのか、少女は吸い込まれそうなほど見入っている。秋人のことなど忘れていそうだ。
秋人は手早く支度をしてそっと部屋を出た。少女は気づくそぶりもない。
コンビニはすぐだ。カゴを取ると、菓子パンやサンドイッチ、果物など、手づかみでどうにかなりそうな食べ物を片っ端から突っ込んだ。手早く会計を済ませる。
帰り道、胸ポケットにとめてあるスティック携帯を取り出すと夏朗にかけた。ほんのわずかコール音がしてすぐに相手が出る。
「夏朗か」
『何だ秋人、もうじきアニメがはじまると知っての狼藉か』
「ああ、ごめん、でもどうせ録画してるんだから、後で見てくれよ。ちょっと相談したいことがあるんだ」
『……面倒そうだな。断りたいが、そうもいかんか』
「こんなことを相談できそうな相手が、お前ぐらいしか思いつかないんだ」
実際、こんな非常識な状況を信じてくれそうなのは夏朗ぐらいだった。スキーサークルのメンバーは常識人がそろっている。トンデモ扱いされるのがオチだろう。
『わかった、話してみろ』
「猫耳少女が僕の部屋にいる」
『……何だと? 今、俺の耳には「猫耳少女がいる」と聞こえたぞ』
「ねこみみしょうじょがぼくのへやにいるんだ」
ゆっくりと、言葉を区切るように話す。「朝起きたら裸でベッドの中にいた」
『…………』
「わかってくれたか」
『最初のアドバイスをしてやろう。病院へ行け』
「残念だけど、幻覚ではないようなんだ。すでに菓子パンを二つ、食べられた」
『次のアドバイス。警察へ行け』
「そうしたいのは山々だけど、どう説明していいのか、僕には見当もつかない」
『……分かった。複雑そうだな。とにかくそっちへ行こう。あとで埋合せしろよ』
「ありがとう。頼むよ」
電話を切る。
秋人はふう、とため息をついた。
アパートに戻り、ドアを開ける。奥の部屋では、少女はまだ熱心にテレビを見ていた。
テーブルの上に買ってきたものをドサドサと出し、秋人は少女に呼びかけた。
「おーい、――」
そこまで呼んで、はたと秋人は困った。そういえば名前がないのだ。
(まあいいや、勝手につけよう)
「おおい、みい、食べ物だよ」
秋人は少女をみいと呼んだ。少女――みいは振り返って自分のこと? というように首をかしげる。
「そうそう、君のこと。さっき、名前聞いたらみい、って言ったからね」
半分独り言でも言うように話し、それからサンドイッチの袋を開ける。
「一緒に食べよう。僕もおなかがすいてるんだ」
「う……ん。みい、一緒に……食べ……るよ」
秋人の手が止まった。
「しゃべれるの?」
「え……と、覚えた。これ」
そう言いながら、みいはテレビを指差す。番組はすでにお昼のバラエティになっている。
「テレビ? 覚えた?」
秋人は思わず壁の時計を確認する。テレビがついてからほんの三〇分ぐらいだ。みいはそれだけの時間で言葉を覚えたと言っているのだ。
「秋人。好き」
「へ?」
突然の告白に秋人はみいを見た。みいはまっすぐに秋人を見る。秋人はたじろいだ。
「な、何を言って」
「秋人、好き。ごはん欲しい」
「……あ、ああ……」
拍子抜けして、秋人は肩の力を抜いた。
「おなかが空いてるだけなのか……」
自分が食べようと思って開けたサンドイッチを手渡す。みいはうれしそうにサンドイッチを受け取った。
「ありがとう。好き」
「いや……」
秋人は妙な感じであいまいに返事をする。
「他意はないんだろうけど……」
どうもなあ、とぶつぶつつぶやきながら秋人は自分のサンドイッチを新たに開ける。二人の食事がもくもくと始まった。
とは言っても秋人はサンドイッチと菓子パン一つで終わり、それから先はみいが食べるのを見ていた。
みいはすでに、自分の手で袋を開けて食べている。おにぎりの袋も最初はダメだったが、秋人が一度手本を見せてやると自分で開けられるようになった。
「みい、物覚えがいいなあ」
「ものおぼえ?」
「なんでもすぐできるようになって、立派ってこと」
「うん」
みいは笑ってうなづく。「みいは立派」
秋人は苦笑しながら、みいが食べ終わるのを待つ。テーブルに積み上げた食料が心細くなってきたところで、みいはようやく手を止めた。
「秋人、食べたよ、もういい」
「じゃあ、ごちそうさま、かな」
「ごちそうさま?」
「食べ終わったときの挨拶。こう手を合わせて、ごちそうさま、ってやるんだ」
秋人のしぐさをみいが真似る。
「ゴチソウサマ!」
そのときふと、秋人は妙なことに気がついた。Tシャツが縮んでいる。
「いや体のほうが……大きくなってるのか?」
確かに最初はぶかぶかだったはずのTシャツが、ちょっと大きい、というぐらいに見える。ほんの少し、胸も盛り上がっている。
秋人は改めてみいを見た。顔つきも少し違う。年齢が上がっているようだ。すでに十四、五歳ほどだ。
「ねえ、大きく……なってる?」
「うん、みい、すぐ大きくなるよ。秋人に追いつく」
秋人はふと、かぐや姫を思い出した。あの古典も、確か竹から出てきたかぐや姫は、すぐに大きくなったはずだ。ただし、それよりも驚異的に早い。
部屋のチャイムが鳴った。「秋人、来たぞ」
夏朗の声だ。秋人はあわてて玄関に向かい、ドアを開ける。
「夏朗、待ってた」
「ナツロウ?」
秋人についてきたみいが脇からひょいと顔をのぞかせた。
夏朗は秋人の顔を見て、みいの顔を見て、秋人の顔を見て、それから今度はみいの格好を確認するように見回し、ため息をついて肩を落とした。
「秋人」
「何だ」
「俺がついていってやるから警察へ行こう」
「話を聞いてくれよ! 違うから!」
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