第3話 地球から約六〇億キロメートル
通路の左側の窓から見えるのは、漆黒の宇宙空間。他の星よりもひときわ明るく輝くのが太陽だ。そして反対側、右の窓からは建造物の一部が見える。
地球から約六〇億キロメートル離れた、冥王星軌道外縁。
狭く切り取られた窓から壁にしか見えないそれは、広範囲解析/再構成位置決定(ワイドエリア・アナリシス・アンド・リコンストラクション・ポジショニング)システム・ゲート、通称WARPSゲートだ。直径一〇キロに及ぶ巨大なリング状のゲートは、この工事用ステーションからでは全体像を見ることは出来ない。
「部長、何してるんですか」
窓からその壁を眺めていた蒲坂良二は、声をかけられて振り返った。本来は技術部に属する、数少ない女性技術者のユート・テリッセだ。業務の半分くらいは良二の秘書みたいなことをやっているが、技官用の作業着に負けない美貌のせいで、技術者というよりむしろそちらが本業にさえ思える。
「うん、でき具合をね」
「何言ってるんですか。今日中に最終テストですし、明日には国連査察チームが到着します。充分すぎるほどのチェックがかかってます。これで駄目でした、なんてことはないですよ」
「だといいけど」
「いいけど、ではありません」
良二のいささかのんびりした受け答えをぴしゃりとさえぎる。
「いつもいつも『誇りを持って作業に当たれ』と訓示をしているのは誰ですか。あれは私たちが誇りを持って作り上げたものです。問題なんか起こりません」
「『誇り』か……うーん、カッコいいこと言い過ぎたかな?」
良二は笑ってあごを掻く。元来、彼は政治的な面は得意でない。最初はただ、基礎となる空間連結理論を工学的に研究するグループの一人として、プロジェクトに参加しただけだ。しかしゲートの完成をライフワークと定めた彼は、悲願を達成するべくあらゆる方面に手を尽くした。その結果、次第に地位を押し上げられ、とうとう統括技術部長になってしまっていたのだ。
「少しぐらいかっこいいことを言ったほうがいいんです。イメージが大事ですから」
ユートは溜息をついた。
「どうして一人だといつもそんなにのんきなんですか……。まったく、部長のファンが見たら泣きますよ。結構いるんですから」
「ん? ひょっとして妬いてる?」
良二のからかうような口調に、ユートは良二をにらむ。
「くだらないことを言わないでください。だいたい私に秘書みたいなことをさせて」
「ああ、ごめんごめん」
「まったく。会議に遅れます、行きますよ」
そう言ってユートは先に歩き出す。良二はちらと横目でゲートを見てから、彼女についていく。
「今からの会議は何だった?」
「エネルギー収支の異常に関する最終報告会です」
会議室に入ってみると、すでに担当技官がそろっていた。良二を待っていたような格好だ。すぐに会議が始まった。
「結論は出てるの」
良二はパラパラと資料をめくりながら、ユートにささやくように聞く。コアユニットの単体試験で、どうしても投入エネルギーと消費エネルギーの収支が合わない件だ。工学的問題に基づくものなのか、理論的な問題なのかが焦点になっていた。
「一応は。思ったとおり、原因は理論、と結論を出してますね。位相空間の揺らぎを、現在の理論では計算できていない、ということみたいです」
「やっぱりそっちか……」
だいたいのことは今まで通りだ。特に目新しい事実はない。適当に聞き流しながら良二は考え込んだ。
WARPSゲートは、ビーテロルフ博士の提唱する「空間連結理論」に基づいた、いわゆる「ワープ」を実現するための建造物だ。
空間連結理論は、通常空間の裏側に位相空間と呼ばれるものがあると仮定している。その位相空間では、物質が光速以上の速度を持つことができるのだ。それを利用して、長大な距離を渡り歩く。
位相空間をたとえるなら、高速道路とみなすことができる。エネルギー準位の高い空間で、そのままでは入り込むことはできない。そこでゲートを取り付け、突入を容易にするのである。ちょうどインターチェンジを建設するようなものだ。
今回のエネルギー収支異常は、ゲートのコアユニットが通常空間と位相空間の接点を作り出すと、開始から終了までのプロセスでエネルギーの収支が合わないというものだった。
接点を生成する。安定化する。消滅させる。これがワンサイクルになる。
そのうち安定化のプロセスでは、高準位の位相空間から漏れ出るエネルギーを吸収する。しかし、制御のために投入したエネルギーより、吸収したエネルギーのほうが多いのだ。
まるで、接点の向こうからエネルギーがあふれているかに見えた。
最初は測定機器が疑われた。しかし問題はなく、次にコアユニットそのものがチェックされた。が、それも理論通りに作られ、動作にも異常はない。
技術的な検査はありとあらゆる機器で進められたが、少なくとも設計ミスや故障のたぐいは見つからなかった。
その結果、限定的な空間を扱う現在の理論ではエネルギー値の計算が局所的過ぎ、ひどい揺らぎになっているのではないかと考えられ始めていた。
「……以上から、工学的問題はなしと結論し、理論グループに再検討を依頼すべきではないかと思われます」
発表者が言葉を切る。スクリーンはすでに『ありがとうございました』の表示になっている。
「何かご質問は」
発表者の言葉に、良二はちょっとあたりを見回し、誰も手を上げないのを見て声を出す。
「あー、いいかな」
「何でしょう」
技術責任者に質問されるとあって、発表者が少し緊張した面持ちになる。
「顧問のルイス博士には相談した?」
「いえ、この会議の結論が出てからと思いまして」
「うーん……。やっぱりねえ、何か引っかかるんだよね」
「はあ」
「僕も理論家というよりは技術屋の出身だから、これだけ調査しても原因が見つからなければ、理論のせいにしたくなる。でもデータだけ見ると、理論のせいにするにはやっぱりランダム性が高すぎると思うんだ」
「それにつきましては」
「まあ、聞いて」
良二はちょっと手を上げて発表者をさえぎった。
「理論をかばうわけでもないけど、あまりにも美しくない。量子力学だって、確率という数学の範囲に収まるじゃないか。しかし今回の現象は、今までのデータから見れば完全にランダムだ」
「それではやはり技術的、あるいは工学的な問題がある、とおっしゃるのですか」
発表者が噛み付く。良二が指摘するまでもなく、その再現性のランダムさから、工学的な見地が疑われ続けたのだ。そのため工学担当セクションは汚名を晴らすべく、ありとあらゆる検証を繰り返してきた。それでもまだ疑われては立つ瀬がない。
「工学的欠陥はすでに調査し尽くしました。もっとデータを取ればどこかに法則性が見えてくるはずです」
「データ収集はもちろん継続する必要がある。それに異存はないよ」
逆に理論を強化する可能性もあるが、と良二は頭の片隅で考える。
「ただ、各研究機関の検証の積み上げもある。少なくともここで指摘されるほど大きな誤謬はないと思わないか」
「では何が原因だと」
「いろいろな可能性がある。発想を変える必要だってあるかもしれない。例えば」
そこまで言って、良二はちらりと隣のユートを見た。ユートはまさか、と不安になった。
(昨日のあの話を)
それに答えるかのように、良二はほんのちょっと口元で笑う。
(あれは冗談ですよっ!)
ユートは目で必死に訴えるが、良二は構わず話し始めた。
「こんな話がある。昔、フリーエネルギーの取得に成功したと主張する人間がいた。二〇世紀の後半頃か」
「はあ」
「彼――彼女かもしれないが、彼としておこう。彼は空気中からエネルギーが取り出せると主張した。実際に作った装置では、確かに投入した電力より、わずかばかり多い電力が取り出された」
「しかしフリーエネルギーなどと」
「もちろんありえない。彼の発明品を調査した科学者は、すぐに原理を見抜いた。何だったと思う」
「……分かりません」
「電波だよ」
良二は手をひらひらと泳がせた。
「空間を飛び回る、ラジオやテレビの電波。それを取り出していただけなんだ。今でも教材で使われてると思うが、ゲルマニウムラジオ、あれと同じでね。放送局が流した電波それ自体を、エネルギーとして取り出していた。――空中から生み出されたエネルギーは、誰かが空中に流し込んでたエネルギーに過ぎなかったんだ」
発表者は分かったような分からないような表情をしている。
「それとこの問題とどうのような関係が?」
「位相空間を、私たちは発見しただけだ。そこにもし、余分なエネルギーが溢れているとしたら」
「――それは」
良二の表情はにこやかだが、目はあくまで真剣だ。本気とも冗談とも取れる発言に、発表者が言葉を失ったその時、会議室のドアが開いた。
「失礼します」
一人の技官が会議室に入ってきた。周りを意に介さずツカツカと歩く。
「おい――」
議事進行を務めていた技官が声をかけようとするが、彼のただならぬ雰囲気に口をつぐむ。全員の視線を浴びながら、その闖入者は発表者に耳打ちをした。
発表者は顔をゆがめ、それから二、三言言葉を交わしたあと、全員に向き直った。
「申し訳ありません、会議は一旦中止とさせてください。緊急事態が発生しました」
声が少し震え、顔はこわばっている。会議室全体に緊張が走った。
「ゲートの試験運転を行っておりましたが、コアユニットが暴走しました。このままですと、制御不能のまま臨界――ゲートオープンが実行されます」
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