ドンクラーザムスタークと第二次グランチャコ戦争

1971年1月9日 ドイツ国フランクフルト ドイツ取引所

 この日はいつもの土曜日とはならなかった。この日、この取引所で株価が大暴落した。その勢いは約40年前の世界恐慌を越えた。ドイツの企業は次々と倒産し、投資家や実業家たちが次々と自殺をしていった。翌日にはこの恐慌が海外へ拡大。ハンガリーは同年に予定されていたブダペスト万博が中止になり、イタリアでもこの影響でドイツより多くの企業が倒産した。恐慌は1週間以内に全世界へと広がった。日本では戦後長らく続いてきた高度経済成長が終わり、中国でも物価の急上昇が起こり、貧困が拡大。カナダ自治領や自由フランスなどでは本土奪還の計画が資金不足で中止になった。その他にも多くの国々で経済に大打撃を与え、人々を苦しませた。

 だが、この影響を避けられた国家もあった。それはフランス・コミューンやイギリス連合などといった共産主義を掲げる国々。彼らは世界恐慌の時のソ連の様に影響をほぼ受けずに、経済発展を遂げていった。

 後に「ドンクラーザムスターク(独語で暗黒の土曜日)」と呼ばれるようになったこの出来事は世界の秩序を崩壊させた。ドイツは約半年かけて経済を持ち直したが、完全な回復には至らず、また、その他資本主義国家でもいまだに回復できない国が数多く存在していた。

 特にパキスタンではそれまでの東パキスタンへの弾圧と恐慌の影響でバングラデシュ独立戦争が勃発。インド軍の介入などもあり、バングラデシュは独立してしまう。ただでさえ、恐慌で経済が大打撃なのに、そこにさらに領土の喪失も加わり、パキスタンでは全体主義や共産主義の勢力が力を伸ばした。

 1973年5月28日、未だに恐慌の影響から抜け出せないボリビアに対して、パラグアイが宣戦布告。同日その同盟国チリが参戦。ボリビアが挟み撃ちされる形で「第二次グラン・チャコ戦争」が始まった。開戦初期はボリビア軍が何とか防衛に成功していたが、夏が終わるころには東部の主要都市サンタクルスがパラグアイ軍に占領され、更に、9月の終わりには首都ラパスをチリ軍が占領。ボリビア軍はその後もアンデス山脈や北部で防衛をしていたが、年明けの1月4日に臨時首都のスクレが陥落し、ボリビアは降伏した。その後、パラグアイの首都アスンシオンで講和会議が開かれ、首都ラパスを除く南西部はチリ領に編入。サンタクルス含む南東部地域はパラグアイに編入され、残りのラパス含む北部地域にはパラグアイの傀儡「ボリビア人民共和国」が建国された。

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