携帯会話劇
つばきとよたろう
会話劇 携帯から
誰かのイタズラだろうか。通学路の標識が、男の子から大人に変わっていた。
午後六時、下校の途中で友達のミサキに電話する。ちょっと恐ろしくなった。
「どうした?」
「最悪。今、帰宅中。バッテリーヤバメ」
「あかり、どこにいる?」
「待って。学校の門を出たところ。だんだん暗くなってきた」
「……。キキー!」
ミサキの声が聞き取れなかった。
「えっ、何? 聞こえなかった」
「……誰といるの?」
「誰もいないよ。私だけ。変なこと言わないで、怖いから」
「へへ、ぼっちじゃん。一人の夜道は危ないぞ」
「笑うな!」
「笛吹いときー」
「ふ、笛? 熊じゃないんだから、それに電話中だよ」
「でも、一人じゃ危ないぞ!」
「仕方ないよ。一緒に帰る人いないんだから」
「まだ明るいうちに、早く帰りな。トラックには気を付けな」
「まだ六時だから大丈夫。でも、暗くなってきたかも」
「私の言うこと聞いときな。分かるから」
通学路には外灯が並んで、あかりを励ますようにそれが灯り始めていた。しかし、車はときおり通るが、同じ学校の生徒は誰も見当たらなかった。ひどく寂しい所だった。
「本当に、誰もいないよ」
「当然。もう六時なんだから、みんな先に帰ったよ」
「学校前のバス停にもいないね」
「本当? なんか人の声聞こえてるんだけど。パトカーとか」
ミサキが、あかりを怖がらせようとしていると思った。
「えっ、誰もいないよ。冗談止めてよ! 怖いんだから」
「あれ、おかしいな。あっ、振り向いたらダメだからね」
「怖くて、振り向けないよ。でも、どうして?」
「怖くなるだろ」
「やっぱり。でも、とてもそんな勇気ないからね」
「しっかり前を見て歩きな」
「分かった、分かった。歩くから。ちょっと!」
「どうした?」
「今、変な人ぶつかった!」
携帯を手にした、顔色の悪いおじさんがふらふらと歩いて去る。うがーと唸った。
「何なの?」
「さあ、酔っ払いかも」
「嫌だな」
「気を付けな。夜には変質者が多いからな」
そこは繁華街に近いが、完全な裏道で明かりも疎だった。さっきの人は街の方から来たのだろう。
「あと車には気をつけな」
ミサキが心配してくれている。少し元気が出てくる。
「あああ」
「どうした?」
「なんか誰かついて来るみたい! さっきから足音が聞こえる」
「そういう時は、絶対に振り返ったらダメだよ。急いで帰りな。バッテリーなくなるからな」
「うん、分かっている」
ミサキに言われなくても、バッテリーの残量は十パーセントを切っている。
「充電しとけばよかった」
「後悔なんとかだな」
「なんだよ、それ」
「しゃべるより、足動かせ。バッテリー切れたら、終わりだぞ」
「そんな事言うなよ」
あかりは、足早に裏道を駆け抜けた。コツコツと足音も走り始めた。
「やばいよ。本当に誰か追いかけてくる」
「振り向かずに、気づかない振りしときな」
あかりの前に、携帯片手に会社帰りの女の人が歩いている。あかりは構わず、追い抜いた。
「今のちょっと変だよ」
「どうした?」
「携帯の画面が消えてた」
確かに女の人の携帯は真っ暗だった。
「なんなの?」
「気にするな。バッテリーが切れたんだよ」
「だったらいいけど。でも、それなら画面見てるのおかしい」
「見間違いだろ。すごい人集まってきたけど。大丈夫かな?」
バッテリーの残量は、七パーセントになっていた。
「バッテリーが」
「節約しろ!」
電話しているのに、それはない。辺りも暗くなって、携帯の明かりが頼りになってきた。あかりは普通じゃ考えられないほど、まじめに歩いている。
「あれ、携帯だ!」
足に何かが当たった。蹴飛ばされた携帯が路上に見つかった。誰かが落としたのか、それとも捨てたのか。
「誰か携帯、落としてる」
「ここで携帯、落としたらアウトだからな」
「わざと意地悪言ってる?」
「そうじゃないぞ。早く、余計なこと考えずに歩け! 走れとは言わない」
「何かすごい音聞こえたよ。ミサキ、今どこ?」
「今、運ばれてる。白い車の中な」
「車の中なの? 移動中?」
「みんな自分のこと、心配している」
「私だって、心配しているよ」
バッテリーの残量は、六パーセントになっていた。これでは家に着くまで持たない。
「どうしたんだろう?」
派手なスーツ姿の女の人が、明かりの消えた携帯を握って立っている。私は素通りする。
「いいから放っておけ」
「何かあったのかな?」
「例えば、何?」
「彼氏に振られたとか、家族に不幸があったとか」
「携帯なくしたとか」
「携帯は、大事そうに持っていたよ。でも、光ってなかった」
「ああ、それあれだ」
「やっぱりあれか」
「バッテリー切れ!」
同時に言って、二人でくすくす笑った。ちょっと愉快になった。でも、笑ってばかりはいられない。あかりの携帯のバッテリーも五パーセントになっていた。
「人のこと笑っていられないよ」
「はは、そうだな」
「あっ、やっぱり誰かついて来てる」
間違いない。はっきりと足音が聞こえた。さっきから、ずっとあかりを尾行している。
「どうしよう。なんか怖いよ」
「心配しなくても大丈夫」
「でも、ずっとつけて来るよ。私を狙っているんだよ。どうしたらいいの?」
「いざとなったら、近くの家に飛び込めばいい。でも、絶対に振り向くなよ」
「そんなの当たり前、振り向いた途端に襲われそうで、怖い」
それでも、足音は確実にあかりを追い詰めている。学校からだから、同じ方向に帰っている人とは、とても思えない。
「どうしよう。だんだんと近づいてくるよ」
「いいから慌てずに、できるだけ早足で歩け。でも、車には気を付けろ」
「うん、分かってる」
「ミサキは、今どこ?」
「今? 今、病院に着いたところ」
「あれ、今日病院の日だっけ?」
「……声がするけど、誰かいるの?」
「えっ、聞こえないよ」
「ひょっとしたら、後ろの人が言っているんじゃないの?」
「止めてよ。そんな冗談、笑えないから」
あかりは家まで、あと五分くらいの所に来た。バッテリーの残量は三パーセントになっている。もうギリギリ間に合わない。
「ねえ、ミサキ。一回、充電してからかけ直そうか?」
「ダメ! 電話切ったら絶交だからな」
ミサキの怒鳴ったような声が聞こえた。耳鳴りがして、耳の奥が痛くなった。
「分かったから、怒らないでよ。でも、もうバッテリーないよ」
「いいよ。切れるまで繋いでおいて」
バッテリーは、家に着く前になくなりそうだ。あかりは突然と、何かに間に合わなかったような、焦燥感に襲われた。だが、それが何かはっきりしない。
気づくと、残量は一パーセントになってる。
「ミサキ、もうバッテリー切れだよ」
「あかり、ありがとね」
「えっ、なにが? ミサキ、なんかおかしいぞ!」
「……」
声が聞こえなくなった。携帯画面が真っ暗になった。バッテリーが切れたのだ。しかし、ミサキの声がする。遠くから呼びかけるような声だった。
「あかり!」
あかりは思わず振り返った。そこには、ミサキが立っていた。さっきからついて来たのだ。意地悪だな。ミサキは、あかりに向かって大きく手を振った。親しい人に出会ったときのように、満面の笑みを浮かべている。それから何か言った。
「あかり。お前、もう死んでるから」
ミサキの顔がだんだんと崩れていく。やがてそれは、あかりの顔に変わった。ミサキについて来たのは、あかりだった。
突然と猛スピードで横切った大型トラックが、あかりの姿をかき消した。あかりは、全身が凍り付いた。
あかりは下校の途中で、事故に遭ったのだ。それは、ちょうどあかりが電話をかけた直後だった。
携帯会話劇 つばきとよたろう @tubaki10
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