第4話 「考えさせてください」

「あ、あの。考えさせてください!」


 そう叫ぶような返事が返ってきた。肯定か否定か。その2択かと思っていたが、考えてみれば保留というのもあったか。


 ただ、「考えさせてください」は、後で告白を断る時に相手のショックを和らげるための常套句じょうとうくでもあって、俺は少なからず落ち込んでいた。


「そっか……わかった、待つよ」


 そうは言ったものの、きっと9割9分断られるだろう。分が悪い勝負だとわかってはいたが、少しきつい。


「え、えっと。何か勘違いしてませんか?別に悪い意味じゃなくて……」


 目の前の穂乃果が何やら必死に言葉を重ねているが、耳に入らない。


「いや、いいんだよ。長い付き合いだろ。そこまで気を遣わなくても」


 きついけど、受け入れられない覚悟だってしていたはずだ。


「そういうことじゃなくて。今、私、すっごく嬉しいんです!でも、色々混乱しちゃって、うまく言葉にできそうにないから、だから……」


 そう言ったと思ったら、唐突に唇を塞がれていた。そして、背中に回される両手。


「む、むぐ?」


 いきなりの行為に俺は大パニック。しかし、吸い付いた唇は離れてくれない。


「んぅ」


 たっぷり10秒は経ったかという頃、ようやく唇を離してくれた。


「これで、わかってもらえました?私の気持ち」

「あ、ああ」


 まだ頭の中は混乱しているが、キスの意味がわからない程鈍感じゃない。


「その。た、たぶん、好き、なんだと思います。でも、うまく返事できそうにないから。だから、少しだけ待っててください。キスはその証のつもりです」

「あ、ああ」

「それじゃ、また後で!」


 そう言うや否や、超高速で俺の部屋からドタドタと出ていく足音。そして、階段を登ってあいつの部屋の扉ががたんと閉まる音が聞こえた後。


「え、ええと。これは現実なのか?」


 だって、あいつの言葉を信じるなら、あいつも好意を持ってくれて、でも、いきなりだから少し混乱しているだけで。だったら、もうこれは両想いと言っていいのでは?キスまでしてくれたわけだし。


 しばらくの間、俺は、部屋の中で呆けていたのだった。


◇◇◇◇Side 穂乃果◇◇◇◇


「キス、しちゃったんだ、私……」


 考えさせての意味を勝手に悪い方に取る先輩が見てられなくて、反射的にやっちゃったけど、よく考えたら凄い事をしちゃったのでは。


 だって、唇同士のキスは明らかな好意の証。言葉での返事よりよっぽど雄弁に好意を物語っている。なのに、「考えさせて欲しい」とか自分でも何を言っているのだろう。


 落ち着け、落ち着くのだ、私よ。まず、私は先輩に告白された。そして、考えさせて欲しいと返事をした。それに対して、落ち込んだ様子だった先輩が見ていられなくてついキス。逃げ去るように戻ってきた。うん。整理終了。


「あれ?私も好きです、って言えば良かったような気が……」


 今更に順序が逆転している事に気がついて身悶えしたくなる。なんで、その言葉がすぐに出てこなかったのだろうとぐるぐる考えていて、ふと、理解した。告白されるまで、全然意識していなかったことに。嬉しい、好き、という想いだけが先に湧き上がっていて、言葉が追いついていなかったのだ。


「自分の気持ちに無自覚って、小説では時々見るけど、まさか私がそうだとは」


 少しショックだ。道理で、誰に告白されてもちっとも心が動かなかったわけだ。そして、それなのに、先輩に告白された途端、こんなに気持ちが浮き立っているんだから。


「どうやって返事しようかな……」


 キスの意味は伝わったと思う。だから、素直に好意を言葉にすればいいだけなのだけど。


「好きです、先輩」


 口にした途端、火がついたように顔が赤くなる。駄目だ。こうやって言葉にするだけで、凄く恥ずかしい。


「大好きです。先輩」


 口にして、私は何を言っているんだろうと思う。気がついたら、ベッドの上をごろごろと転がっている。


 恋は人を馬鹿にすると誰かが書いたのを読んだことがあるが、確かに今の私は馬鹿っぽい。ある意味、普通の男性より論理的に物事を考えている自信のある私が、ちっとも論理的な考え方を出来ていない。


 ともあれ、先輩は勇気を出して、私に想いを打ち明けてくれたのだ。恥ずかしくてもちゃんと返事をしなきゃ。そもそも、なんで私は先輩のことがこんなに好きで好きで仕方がないんだろう。恋は理屈じゃない、なんて聞くけど、物事には因果関係というものがある。


 きっと、どこかにきっかけがあると思うんだけど……そう考えに浸っている内に、一つの事実を思い出した。そう。昔の私は、やたら人見知りをする子どもだった。


◆◆◆◆


 昔の私は、人に声をかけるのが苦手な子どもだった。その癖して、同年代の子に比べて勉強も運動も出来る方だから、「私は好きで一人で居るんだ」なんて言い聞かせて、ますます孤立して行った。


 そんな私を見るに見かねたのか、お父様とお母様は私の誕生日にゲーム機といくつかのゲームソフトを買って来てくれたのだった。他の子と遊ぶ習慣が無かった私にとってゲーム機はとても魅力的で、瞬く間に虜になっていった。


 ただ、過ぎたるはなお及ばざるがごとしとは言ったもので、ゲームにハマり過ぎる余りゲームをやり続け、細々とした交友関係もそれで途切れてしまったのだった。


 心配したお母様にはゲーム機を取り上げられ、「ゲームは1日1時間まで」との約束で返してもらえたけど、大作RPGだろうがアドベンチャーゲームだろうが、1日1時間という制限はきつ過ぎる。たとえば、クリアに平均50時間かかるRPGだったら、2ヶ月近くもかかってしまうし、そもそも、1時間できっちりセーブ出来る区切りまで行くとも限らない。


 そんなゲーム中毒と言ってもいい症状の私のところに聞こえてきたのが、1学年上のとあるクラスに、ゲームソフトをいっぱい持っている先輩が居るらしいという噂。生来の人見知りをゲーム中毒が上回り、こともあろうに初対面の太一先輩に


「あの。先輩のお家、ゲームがいっぱいあるって聞いたんですけど」


 などととてつもなく失礼な事を聞いてしまった。言ってから、しまったと思った私は慌てて取り繕おうとしたのだけど、そんな私に先輩は、


「1年下の藤原だっけ。なんだお前、ゲーム好きなのか?」


 とニカっと笑って聞いて来たのだった。その言葉に私はといえば、


「は、はい、大好きです。遊びに行っていいですか?」


 などと「ゲーム目当てです」と言わんばかりの事を口走っていたのだった。ほんとに、この頃の私、ひどいや。

 

 それからの私はというと、しょっちゅう、先輩の家に入り浸るようになって、その事が先輩のお母様伝手に私のお母様に伝わって、


「ずっと心配だったけど、穂乃果にもいいお友達が出来たのね」


 なんて言われたのだった。恥ずかしい限りだ。


 ゲームというのは、対戦ゲームならそれ自体が、1人用ゲームでも1人がやっている間他の誰かはプレイを見ているしかないので、必然的にコミュニケーションにつながっていった。


 先輩のプレイを見てはああだこうだ口を出したり、対戦ゲームで先輩をこてんぱんに打ちのめしてドヤ顔をしたり。可愛げのかけらも無い小学校時代だったけど、先輩の側はいつの間にか私の居場所になっていたのだった。


 そんな、可愛げがなくて、でも、先輩に依存している子どもだった私だから、先輩の家が引っ越すと聞いたときはとてもショックだった。でも、泣いて引き止めても結果が変わるわけでもないし、一方的に押しかけているだけの私がそこまで先輩に必要とされている自信もなかった。


 だから、先輩が私の家に下宿することになった、と聞いた時は飛び上がる程喜んだのだった。そして、先輩はといえば、


「お前と離れたくなかったからな」


 なんて事を言うものだから、恋というものを知らなかった私も、何がなんだかわからない程嬉しかった。今、思えば、この時が私の恋の始まりだったのだろう。


◇◇◇◇


「そっか。私、とっくに先輩に攻略されちゃってたんだ……」


 思い出を掘り起こした末に気づいたのはそんな単純な事実。先輩が私の家に下宿するようになってからは、以前程べったりという事はなくなったけど、それでも先輩と一緒にいるのはいつも楽しかった。


「よし!」


 もう開き直っちゃおう。そう決めた。恥ずかしいという気持ちが消えたわけじゃないけど、先輩の側が私の居場所だったというのが改めてわかったし。


 そう決意した頃、1階から、


「穂乃果ー、太一君ー、晩ごはんよー」


 そんなお母さんの声が聞こえてきたのだった。あ、ご飯のこと忘れてた。

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