応援コメント

第1000話 出番封じに名を隠す?」への応援コメント

  • ヒロソ様。

    千話目となりヒロソ様の本当の神の名に対する執念を感じます。私には本当の神の名よりも、その執念を持つに至る動機の方が気になります。

    私は聖書には吐き気を覚える為に敬遠していましたが、ヒロソ様の文章を読んで、少しでも聖書について考えると努力をした結果、信ずるに値しない書物と確信できました。悪魔崇拝者が罪を認められずにあがいて出来た奇妙なロジックで埋め尽くされているように見えます。

    弟子たちも、最後にイエスを裏切ってしまった負い目からか極端な信仰を持ったように感じます。パウロにしても、キリスト教徒を迫害していました。その負い目からでしょうか極端な信仰に片寄っているように感じます。負い目からの信仰は狂信に至るように感じます。

    聖書は人が神に抱く信頼や自然な情を失った人々により記された書物なのでしょう。弟子たちもイエスを裏切った負い目を持っています。潔く神の為に死ねる人々は多数いるのに、何故この弟子たちが選ばれたのか、選民も弟子たちもポンコツに見えます。ポンコツな民に産まれ、ポンコツな弟子を持つのが救世主たる所以なのでしょうか。

    自然な神との繋がりが有れば、どのようにその名を呼ぼうとも、片言でも父母(チチハハ)のように、神は人に歩み寄って来ると思う、神への信頼が自然のように感じます。

    現代はそんな信頼をも破壊しようとした時代であったのだと思います。悪魔の計略を感じます。人は自分の心底信じている事を具現化させるからです。神への信頼を失えば、神を信頼できない世界を見るとこととなります。

    そんな時代に広まった信仰は「聖書」というロジックであったのでしょう。聖書への信仰は人類の黒歴史と言っても過言ではないと思えます。

    本当の神の名を呼ぶにしても、重要なのは「神の名」ではなく、その「動機」が、或いは、それに伴う思いが、本当は重要なのではないか思います。