第1000話 出番封じに名を隠す?

「とうとうここまで来たね」

  「うん、皆さまの御蔭」

「読んでもらえて感謝だね」

  「舞台にも励みが出る」

「というと?」


・・・

「読んでもらって」と

「呼んでもらって」は

発音が同じ。


つまり、「求め」に該当。


パーティーなども「呼んで」もらって正式な参加となる。


相撲では「土俵」が晴れの舞台であり闘いの場。


行司が正式に力士の名を呼ぶ。


呼ばれない力士は、闘いにも参加する事がない。


先人は、ヤコブの相撲で「名乗らない神」の行為が、「礼儀の外にある」と感じ取っただろう。


相撲でも、「誰」と「誰」が戦っているかを観客は知る必要がある。


(顔が見えない神は特に)


天界と地上の闘いもこれと同じで、「名を呼ばれない神」が登場するのは道理に外れているわけだ。


それほど、神の名は大切なのである。




 ■地上を救う闘い


呼ばれないのに「土俵の闘い」を始める力士はいない。


これと同様、いきなり救いの闘いを始めるのは人類にとって嬉しいが、神界では無法。


作法を重んじる民族であればこそ、その神もまた作法通りに行動を起こす。


天軍を伴って地上を救いに来るためには、まず、「創造主の名」が呼ばれなければならない。


地上を救う闘いであっても、それは相撲と似ているのだ。


これを教える聖書は「ヤコブの組討ち」を通し、名乗らない神を「顔だけの神」に分類している。(ペヌエル)



呼ばれなければ

→ 「出番」が無い


出番を封じたい地上の鬼神は「恐れ多い」という理由付けを曲解させ、創造主への呼び声を封じてしまった。



◉出エジプト記20章7節

あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。


(本来は「軽々しく誓いを立ててはならない」という意味)


「神の名をもって誓う」というのがイスラエルの風習であったが、


これはイエスによって破棄されている。




マタイ5章(一切誓うな)

33 また昔の人々に『いつわり誓うな、誓ったことは、すべて主に対して果せ』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。

34 しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。天をさして誓うな。そこは神の御座であるから。

35 また地をさして誓うな。そこは神の足台であるから。またエルサレムをさして誓うな。それは『大王の都』であるから。




しかし、窮地にある人類が、救いを求めて名を呼べば、無敵の力士が天から登場する。


勿論、間違えた名を呼べば救いどころではない。


今まで、救われなかった現実を振り返り、我々は「間違えた名」を呼んでいたと気付く。


『出番封じに名を隠す』


こんな計略に負けないため、我々は正しい名を呼び求めよう。


倉の中から、岩なる神の名「イハウヘ」が出現している。



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