第958話 悪しからずの国
「日本は『悪しからず』の国?」
「えっ?」
・・・
妙な夢を見てから連想していた。
海外のモールに行ったのだが、とにかく広大な建物の中をずっと歩いていた。
(詳細を書きたいが、大部分を忘れて書けなくなっている。「悪しからず」)
雑踏をあちこち歩きつつ、珍しい展示に見とれたり別の区域に移ったり。
言葉が通じないので会話もしてないが、覚えているのは食品を一つ買ったくらい。
その名も
「バビロン・スパゲッティ」。
(清めてから食べないと)
■日本も清めないと
時々、鬼が仕掛けてくるので、追い払うのに神経を使いながら暮らして来たが、一般には鬼への認識が薄い。
それは鬼と敵対して「いない」からだろう。
鬼は自分を『神』として君臨するし、従順な人にはご利益も与えてくれる。
驚くほどの事じゃない。
カルトと呼ばれる組織は、鬼神が主催しているわけだし、鬼は偽善が得意なので国家を「丸ごと騙す」のも可能。
その代表が日本だった。
先人は、鬼の誘導や結果をこう表現する。
→「風が吹けば桶屋が儲かる」
今なら、「軍需産業が儲かる」とすべきだろうか。
「鬼の風に用心」という教訓を持つ日本だが、当時は風を見破れなかった。
まるで「葦」のように風に靡いた。
イエスが「風にそよぐ葦」という表現を使って警告していたが
まんまとやられて暴走した。
それだけ大量の悪霊が墓から出たのだろう。
※ 日本での墓とは靖国に相当し、福音書ではゲラサ人の地域の豚が大量に自殺している。
子供のような疑問が浮かんだ。
「日本は清めを行ったのか?」
穢れに敏感な国民であればこそ、浮かぶ疑問である。
■「悪しからず」の深意
「悪しからず」という表現は、「灰」に深い関係がありそうだ。
【ashy】アシ
灰だらけの。
キリスト教では「聖灰の水曜日」という行事があり、「四旬節」の初日に、頭に灰を被る。
四旬節 - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%97%AC%E7%AF%80
以下、資料より:
英語では「レント」(Lent)という語が用いられるが、この言葉は元々ゲルマン語で「春」を表す言葉に由来する。
(引用感謝)
灰を頭に掛ける行為は、「悔い・悲しみ」を意味しており、それはヨナ書でも説明されている。
ヨナ書 3:3-10(灰を被ったニネベ)
ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。
ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。
このことがニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し、王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。
「人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない。食べることも、水を飲むことも禁ずる。人も家畜も粗布をまとい、ひたすら神に祈願せよ。おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。
そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない。」 神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。
・・・このような「灰の上に座る」という態度が日本で消失。
これこそが「あしからず」であり「ashyからず」とすべき意味ではないだろうか。
つまり、鬼に操縦されて戦争に引き出された日本だが、戦後「悔い改めの表現」として灰まみれになってこそ「後悔」を示した事になる。
しかし日本は「過ちは繰り返しません」と記念碑に記しているだけ。
これこそ「悪しからずの家」。
「私は十分に悔いておりますが、灰はかぶりません」
・・・
聖書的には国家ぐるみで「灰まみれ」になるべきなのだが、なぜそれを回避したのだろう?
実は、「戦犯」が巣鴨から返り咲いて指導者になった国なので、本当の意味での「悔い」が表現できないのだ。
「悪しからず」の国である日本は、今も夢の中に彷徨っているのかも知れない。
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