第925話 「本命」と「宿命」

「カルトは命を軽く見るね」

  「どのカルト?」

「人民寺院とか」

  「あー、聖句を曲解してた」

「間違ってるの?」

  「そう、読み間違い」

「うわー!」


・・・

いつも言うのだが、

イエスは常に「極端表現」を使っている。


→ ラクダが針の穴を通るより…


他の箇所も、それは同じ。

だからこの表現も慎重に解釈すべき。




ヨハネ10章(命を捨てる羊飼い)

11 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。

12 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。

13 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。

14 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。

15 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。




羊飼いと羊は「別格」。

イエスは何のために生まれたのか?


それを念頭に置いていないとペテロの失敗のようになる。




マルコ8章(ペテロの失敗)

27 さて、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられたが、その途中で、弟子たちに尋ねて言われた、「人々は、わたしをだれと言っているか」。

28 彼らは答えて言った、「バプテスマのヨハネだと、言っています。また、エリヤだと言い、また、預言者のひとりだと言っている者もあります」。

29 そこでイエスは彼らに尋ねられた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。ペテロが答えて言った、「あなたこそキリストです」。

30 するとイエスは、自分のことをだれにも言ってはいけないと、彼らを戒められた。

31 それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、

32 しかもあからさまに、この事を話された。すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめたので、

33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた、「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。

34 それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。

35 自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのため、また福音のために、自分の命を失う者は、それを救うであろう。

36 人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。

37 また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。

38 邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」。




ペテロは理解不足で失敗。

イエスは「メシア」としての役割を担った人なので特別の道。


しかし、誰もがそうではない。


この聖句は、どんな意味だろう。




34 それから群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。




「自分の十字架」とは、「宿命」であり、「自分を捨てる」とは若い頃に描いていた「本命」を捨てるという意味になる。


それは「ビジネスでの成功」を夢見ていた人が、「鬼と戦う道」に入ってそれを貫くほどの変化だろう。


しかし、本当に命を軽視するという意味ではない。


やり遂げるためには、生き延びる事が重要だからだ。


すり替えを得意とする鬼は、そうした人の道をずらせてしまうので、クリスチャンは命を軽く扱ってしまう傾向にある。


復活の教えも加えて、「人民寺院」のような暴挙も起きてしまうのだ。


もとより鬼は、こうした人間の犠牲を喜んでいるため、「誤解や曲解」を心に流し込んで来る。


ペテロの場合は、「イエスの道をずらす」というサタンの目論見に流されてしまった。


だからイエスは彼を叱ったのだ。




 ■道を知ったなら強い


実際、「宿命」という言葉は意味深い。



【宿命】シュクメイ

前世から定まっている運命。

=運命論→一切の出来事はあらかじめ決定されていて、なるようにしかならず、人間の努力もこれを変更し得ないと見る節。運命論。(fatalism)




若い時代に自分で思い描いていた道が、何故か鬼の介在で歩めない人がいるなら、それは宿命を背負った人。


勿論、宿命道をやり遂げる力は与えられるだろう。


宿命を背負っていない人なら、自分の描いた「本命の道」を進めば良い。


イエスは「命を捨てる」という言葉でこれらを説明していた。


決して命を粗末にするという考えではない。


カルトと呼ばれる組織は、そうした誤解を抱えているので注意が必要である。


鬼は神の振りをするのが得意であり、人々の大勢が騙されるのだが、見破る目安がある。


→ 間違った神の名に固執


「それは間違いだ」と言われても、操縦を受けている組織は石頭のように固持するのだ。


その名を所持する何者かが、その組織を牛耳っているのだから。



「羊」としては、「本命」と「宿命」の違いをよく理解しておこう。


違う道に逸らされないために。


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