応援コメント

第924話 「666」は技術者か?」への応援コメント


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    ヒロソ様。

    「獣」は自然(地球)との共生が出来なくなった人間存在、「大衆の心」に取り付かれた人間であると思います。良い生活を志向し、良い思いをする事が人生の目的であり、それを成就させる存在を神であると崇拝する大衆の心です。

    神道は本来は自然(地球)・宇宙と共生出来る人間であろうとする道です。どこか遠くの創造神を崇める宗教ではありません。人として中心を持ち続けようと志します。その中心は以下の動画で語られています。


    https://youtu.be/iXqBYCzCUco


    動画にあるように、シュタイナーがハート(心臓)での思考と呼ぶものと一致すると思います。「己の胸に聞け」とは「心臓で考えろ」という意味で、観念的に言っているのでは無く、本当に心臓で思考します。

    心臓で思考すると、理屈を越えて真偽が見分けられます。もちろん、直ぐには分からない事もありますが、心臓で考え続けると答えに近づいて行きます。

    頭にある思考を心臓まで引き下ろし、思考と感情を一つにして考えます。それにより机上の空論では無く、事実に即して考える事が出来るようになります。

    自然(地球)との共生を志向すると、自分に中心を持ち、この自然・宇宙での自分の立ち位置を受け入れ、どのような働きが出来るかという事が重要になってきます。

    何かをしてもらう事を待つ、大衆の心とは真逆の心です。私が何を貰えるかでは無く、私に何が出来るのか?という事です。神に祈るのは、私が何事かを成せる人間へと成長出来るようにとの導きであり、私が何事かを行う時に間違いの無いようにとの導きです。主体は私の意志にあります。

    そういう祈りには手応えがあるものです。祈りに手応えが無いのは、その願いに問題があるからだと思います。大衆の心・・・欲望、不安、恐怖、虚栄心・・・で祈り、神を考えると、必ず、悪魔に行き着きます。

    大衆の心が蔓延る限り、どんなに物質的に潤っても幸せにはなれません。社会が変わる事も無いと思います。今、世界で起きている変革も、大衆の心を捨てさせるところまで行かなければ結局、鬼の世に戻ってしまうと考えています。大衆の心が鬼を崇拝するからです。